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71.随分と興奮しておりましたので
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高くなった陽射しが差し込み、応接室を使うにはいい時間だった。
本来であれば、侯爵家当主がお客様を優雅に迎えるその部屋で、そんな声が聞こえてくることはないのだが。
「痛い痛い痛い」
泣きながら叫ぶ女は、ソファーの前の床に膝から崩れ落ちていて、後ろ手に両手を掴まれ、腕を捻り上げられていた。
少し前にコロンと落ちた短刀は、重厚な絨毯の上に虚しく転がっている。
それは音もなく。羽が空を舞うように。
お腹に回されていたジンの手をそっと掴んだミシェルは、その後ジンの膝上から飛び出した。
その勢いに乗って、軽いドレスの裾を本当に羽のように翻しながらテーブルを軽々と飛び越えると、ミシェルはミーネの後ろに回っていたのだ。
まさに瞬きをする間の出来事。
目に映る光を遮った靡く髪やドレスを追ううち、気が付けばミーネとミシェルがこの体勢に落ち着いていた。
「あなたも反省するでしょう、ミーネ?」
威圧感たっぷりに言ったのもミシェルだ。
その堂々たる振舞いに見合う声の響きは、今までのミシェルからは想像出来ないものである。
「痛いわよ、ミシェルお姉さま!痛い痛い!手が痛いの!」
「反省するわね?」
語尾を強めて言えば、夫人にも匹敵、いやそれを凌駕する威圧感でミシェルはこの場を制した。
涙目になったミーネは、「痛い痛い痛い分かったわ痛い痛い痛いするするわよ反省するわ」と叫んでいた。
するとミシェルが纏う雰囲気は一変し、女神の如き微笑みで母親に向けて語りかける。
「だそうですわ、お母さま。ミーネも助けてくださいますね?」
違う。そうではない。
母は心から反省しろと言ったのだ。
痛みを与えて口先だけで反省させてどうする。
誰もがそう思っていたが、この場で口にする者はいなかった。
誰しもが言っても無意味だと分かっていたから。
いや、それも全員ではなかった。
ミシェルの従姉妹である二人はミシェルの本質を知らず、その脳内は混乱しきりだ。
レーネは信じられないと目を見開いて、従姉妹のミシェルを見詰めている。
「お待ちなさい、ミシェル」
冷静に声を掛けた辺境伯夫人であったが、実は開いた扇で隠している口元は引き攣っていた。
「どうしたの、お母さま?反省すれば、二人とも助けられるのでしょう?ミーネも反省するそうだわ!」
「それは心から反省してからの話です」
「ご安心くださいませ。私がしっかり心から反省させます!」
娘にきらきらとした瞳で言われると、意外にもこの辺境伯夫人は弱かった。
夫には家族に甘過ぎると散々言ってきた彼女だが、夫人だって娘に甘い。
そうでなければ、こんな辺境伯令嬢が育つわけはなかった。
「そうね。それは反省次第として。たった今、この侯爵家にてナイフを使った件は、また別途裁──」
「ごめんなさい、お母さま。これは私が落としました護身用のナイフですの」
夫人の言葉に被せて、ミシェルは堂々と宣言する。
そのランランと輝く目には、あなたたちは何も見ていなかったでしょう?という威圧が隠さず含まれていた。
どちらかというと、何も見えていなかった、という方が正しいが。
それくらいこの娘の動きは早かったのだ。
上級の騎士だって、つい先ほどのミシェルの動きを褒めたであろう。
しかしミシェルはそれから目線を落とすと。
「失敗してしまった」
小さくはあったが、皆に聞こえる声でそう言ったのだ。
本当は短刀を回収するつもりだったのだろう。その顔の陰りには、反省中だと書いてある。
呟きはなお続き。
「馬車移動が長く鈍ってしまったようだな。途中で鍛錬は重ねてきたが、やはり足りていなかった。それにここに来てからは動いていなかったからな」
それは見事に皆の耳に届くぎりぎりの音量で吐き出された。
彼女は思考を隠せない。
というより、これらが自分の口から出ている理解がないらしい。
「あー、騎士になっちゃったね」
これを呟いたのは壁際に立つハルだった。
彼女の独り言が騎士様口調になれば、一部の者たちはミシェルの状態を察してしまう。
本来であれば、侯爵家当主がお客様を優雅に迎えるその部屋で、そんな声が聞こえてくることはないのだが。
「痛い痛い痛い」
泣きながら叫ぶ女は、ソファーの前の床に膝から崩れ落ちていて、後ろ手に両手を掴まれ、腕を捻り上げられていた。
少し前にコロンと落ちた短刀は、重厚な絨毯の上に虚しく転がっている。
それは音もなく。羽が空を舞うように。
お腹に回されていたジンの手をそっと掴んだミシェルは、その後ジンの膝上から飛び出した。
その勢いに乗って、軽いドレスの裾を本当に羽のように翻しながらテーブルを軽々と飛び越えると、ミシェルはミーネの後ろに回っていたのだ。
まさに瞬きをする間の出来事。
目に映る光を遮った靡く髪やドレスを追ううち、気が付けばミーネとミシェルがこの体勢に落ち着いていた。
「あなたも反省するでしょう、ミーネ?」
威圧感たっぷりに言ったのもミシェルだ。
その堂々たる振舞いに見合う声の響きは、今までのミシェルからは想像出来ないものである。
「痛いわよ、ミシェルお姉さま!痛い痛い!手が痛いの!」
「反省するわね?」
語尾を強めて言えば、夫人にも匹敵、いやそれを凌駕する威圧感でミシェルはこの場を制した。
涙目になったミーネは、「痛い痛い痛い分かったわ痛い痛い痛いするするわよ反省するわ」と叫んでいた。
するとミシェルが纏う雰囲気は一変し、女神の如き微笑みで母親に向けて語りかける。
「だそうですわ、お母さま。ミーネも助けてくださいますね?」
違う。そうではない。
母は心から反省しろと言ったのだ。
痛みを与えて口先だけで反省させてどうする。
誰もがそう思っていたが、この場で口にする者はいなかった。
誰しもが言っても無意味だと分かっていたから。
いや、それも全員ではなかった。
ミシェルの従姉妹である二人はミシェルの本質を知らず、その脳内は混乱しきりだ。
レーネは信じられないと目を見開いて、従姉妹のミシェルを見詰めている。
「お待ちなさい、ミシェル」
冷静に声を掛けた辺境伯夫人であったが、実は開いた扇で隠している口元は引き攣っていた。
「どうしたの、お母さま?反省すれば、二人とも助けられるのでしょう?ミーネも反省するそうだわ!」
「それは心から反省してからの話です」
「ご安心くださいませ。私がしっかり心から反省させます!」
娘にきらきらとした瞳で言われると、意外にもこの辺境伯夫人は弱かった。
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そうでなければ、こんな辺境伯令嬢が育つわけはなかった。
「そうね。それは反省次第として。たった今、この侯爵家にてナイフを使った件は、また別途裁──」
「ごめんなさい、お母さま。これは私が落としました護身用のナイフですの」
夫人の言葉に被せて、ミシェルは堂々と宣言する。
そのランランと輝く目には、あなたたちは何も見ていなかったでしょう?という威圧が隠さず含まれていた。
どちらかというと、何も見えていなかった、という方が正しいが。
それくらいこの娘の動きは早かったのだ。
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しかしミシェルはそれから目線を落とすと。
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本当は短刀を回収するつもりだったのだろう。その顔の陰りには、反省中だと書いてある。
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それは見事に皆の耳に届くぎりぎりの音量で吐き出された。
彼女は思考を隠せない。
というより、これらが自分の口から出ている理解がないらしい。
「あー、騎士になっちゃったね」
これを呟いたのは壁際に立つハルだった。
彼女の独り言が騎士様口調になれば、一部の者たちはミシェルの状態を察してしまう。
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