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5.今は近過ぎますけれど、遠いのですよ本当に
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真直ぐに近付いて来た侯爵様は、私の座っていたソファーへと腰かけられました。
それはいいのです。それはいいのですが……。
少々座る位置が近過ぎるのではないでしょうか?
何もお隣に腰掛けなくてもよいと思うのです。
個室には大き過ぎる、いえ、そもそもこの部屋が一人用としては広過ぎるわけですが、四人掛けのソファーなのですから、どうぞ、あちらの端に……。
目で訴えてみましたが、侯爵様には何ら伝わりませんでした。
それどころか何か勘違いをされたようで、一段と深くにっこりと微笑まれますと、侯爵様はさりげなく私の手を取ったのです。
何ですか、このお手は?
「まずは謝らせて貰いたいのだが。構わないか?」
「はぁ」
謝罪時に手を取ることは、もしかして今の貴族の習慣だったりします?
社交をせずに領地に引きこもっていた身としましては、最新のお作法には疎い自覚はありますけれど。
「婚約が決まってから一度も会いに行けず、本当に申し訳なかった。すぐにでも挨拶に伺いたいと思っていたのだが」
それは仕方のないことでしょう。
我が領地から、こちらの侯爵家の邸まで……えぇ三月を越える旅でしたわ。
それは途中休憩も多く挟みましたし、必要な物を買い込む時間などもありましたけれど。
さすがに旅の装備も三月分ともなれば、すべて領内から持ち込むというわけにはいきません。
それに人も馬も疲れてしまいますから、休憩は必須。
荷物の量を最小限に抑えて、途中の町で購入することを選びました。
と言いましたが、どんなに急いだって二月は越えるでしょうねぇ。
馬車を降りて単騎で駆けたところで、野営も含めて……一月半が限度でしょうか。
ですから王命の書状が届きお父さまからその内容を聞かされたときには、それは耳を疑ったものです。
本気ですか?と。
このような物理的な距離の事情がありましたから、輿入れの供も荷も最小限にしたというわけなのです。
近場であれば、嫁入り道具として家具一式持ち込む場合もありますが、三月も運ぶ気にはなれませんでした。
それに侯爵領でどれほど自由な振舞いが許されているかも分かりませんでしたので、そのような考えは早々に除外いたしまして。
お父さまはあまりいい顔をなされておりませんでしたが、なんとか言い聞かせて、何も持たずこちらに参った次第。
それでも父が最後まで気にしていたのは、やはり侍女のことでした。
せめて侍女を一人は付けろと、ほとんど癇癪のように半分泣いて訴えられましたけれど。
嫁ぎ先に知った者がないことよりも、旅の途中のことを深く心配されていたようですね。
それだって町々の宿にてそれなりに世話をしてくれる方は頼めますから問題はありません。
それに侯爵様にお会いするときには、旅の簡易な装いでごめんあそばせとお伝えすれば、それで済む話だと思っていたのです。
身綺麗でないことに怒る方なら、それまでのこと。
それ以前に想い人がいらっしゃる方のようですし、私が着飾っていようがいまいがどうでも良いのでは?と思っていましたからね。
その目論見通りだったのでしょう。
侯爵様は侯爵領に入る関門の前で止めた馬車の前までお迎えに来てくださいましたけれど、私の装いについては何一つ触れることはありませんでした。
くたびれているうえに、一人で着脱出来るとても気楽なドレスを身にまとっていたのですが、顔を顰めることさえなくて、私はとても安心したものです。
外でしたし、多くの人の目もありましたから、あえて表に出さないようにされていたのかもしれませんが。
たとえ本意が違っても、そのような公の場で堂々と非礼とも言えるそれを、それも初対面で口にするような方でしたら、ちょっとこの先、お飾りの妻としてもやっていく自信を喪失してしまいそうでしたからね。
ま、それ以前に。
迎えに来た侯爵様は一通りの挨拶を済ませたあとには、それっきり。
そこから邸まで別の馬車での移動となりましたので、やはり私には興味がなかったようです。
と、話が逸れてしまいました。
このように領地が離れているものですから。
結婚が決まったあとに侯爵様が我が領まで挨拶に来なかったとしても、当然のことなのです。
ですから従姉妹たちは何を言っているのかしら?と常々思っていました。
「言い訳にしかならないが、少々気掛かりなことがあって領地を離れるわけにはいかなくてな」
それは分かりますので、大丈夫です。
辺境の領地を持つ者の娘ですもの。
「問題ありません」
「しかし挨拶にも来ない男に嫁ぐことには、不安もあったのではないか?」
「いいえ。むしろ安心しました」
侯爵様の眉が僅かに上がりました。
不快になるような言葉を伝えたつもりはありませんが、早々に言葉選びを間違えてしまったのでしょうか?
それとは別に疑問はあとひとつ。
ねぇ、侯爵様?
いつまで手を握っているおつもりですの?
それはいいのです。それはいいのですが……。
少々座る位置が近過ぎるのではないでしょうか?
何もお隣に腰掛けなくてもよいと思うのです。
個室には大き過ぎる、いえ、そもそもこの部屋が一人用としては広過ぎるわけですが、四人掛けのソファーなのですから、どうぞ、あちらの端に……。
目で訴えてみましたが、侯爵様には何ら伝わりませんでした。
それどころか何か勘違いをされたようで、一段と深くにっこりと微笑まれますと、侯爵様はさりげなく私の手を取ったのです。
何ですか、このお手は?
「まずは謝らせて貰いたいのだが。構わないか?」
「はぁ」
謝罪時に手を取ることは、もしかして今の貴族の習慣だったりします?
社交をせずに領地に引きこもっていた身としましては、最新のお作法には疎い自覚はありますけれど。
「婚約が決まってから一度も会いに行けず、本当に申し訳なかった。すぐにでも挨拶に伺いたいと思っていたのだが」
それは仕方のないことでしょう。
我が領地から、こちらの侯爵家の邸まで……えぇ三月を越える旅でしたわ。
それは途中休憩も多く挟みましたし、必要な物を買い込む時間などもありましたけれど。
さすがに旅の装備も三月分ともなれば、すべて領内から持ち込むというわけにはいきません。
それに人も馬も疲れてしまいますから、休憩は必須。
荷物の量を最小限に抑えて、途中の町で購入することを選びました。
と言いましたが、どんなに急いだって二月は越えるでしょうねぇ。
馬車を降りて単騎で駆けたところで、野営も含めて……一月半が限度でしょうか。
ですから王命の書状が届きお父さまからその内容を聞かされたときには、それは耳を疑ったものです。
本気ですか?と。
このような物理的な距離の事情がありましたから、輿入れの供も荷も最小限にしたというわけなのです。
近場であれば、嫁入り道具として家具一式持ち込む場合もありますが、三月も運ぶ気にはなれませんでした。
それに侯爵領でどれほど自由な振舞いが許されているかも分かりませんでしたので、そのような考えは早々に除外いたしまして。
お父さまはあまりいい顔をなされておりませんでしたが、なんとか言い聞かせて、何も持たずこちらに参った次第。
それでも父が最後まで気にしていたのは、やはり侍女のことでした。
せめて侍女を一人は付けろと、ほとんど癇癪のように半分泣いて訴えられましたけれど。
嫁ぎ先に知った者がないことよりも、旅の途中のことを深く心配されていたようですね。
それだって町々の宿にてそれなりに世話をしてくれる方は頼めますから問題はありません。
それに侯爵様にお会いするときには、旅の簡易な装いでごめんあそばせとお伝えすれば、それで済む話だと思っていたのです。
身綺麗でないことに怒る方なら、それまでのこと。
それ以前に想い人がいらっしゃる方のようですし、私が着飾っていようがいまいがどうでも良いのでは?と思っていましたからね。
その目論見通りだったのでしょう。
侯爵様は侯爵領に入る関門の前で止めた馬車の前までお迎えに来てくださいましたけれど、私の装いについては何一つ触れることはありませんでした。
くたびれているうえに、一人で着脱出来るとても気楽なドレスを身にまとっていたのですが、顔を顰めることさえなくて、私はとても安心したものです。
外でしたし、多くの人の目もありましたから、あえて表に出さないようにされていたのかもしれませんが。
たとえ本意が違っても、そのような公の場で堂々と非礼とも言えるそれを、それも初対面で口にするような方でしたら、ちょっとこの先、お飾りの妻としてもやっていく自信を喪失してしまいそうでしたからね。
ま、それ以前に。
迎えに来た侯爵様は一通りの挨拶を済ませたあとには、それっきり。
そこから邸まで別の馬車での移動となりましたので、やはり私には興味がなかったようです。
と、話が逸れてしまいました。
このように領地が離れているものですから。
結婚が決まったあとに侯爵様が我が領まで挨拶に来なかったとしても、当然のことなのです。
ですから従姉妹たちは何を言っているのかしら?と常々思っていました。
「言い訳にしかならないが、少々気掛かりなことがあって領地を離れるわけにはいかなくてな」
それは分かりますので、大丈夫です。
辺境の領地を持つ者の娘ですもの。
「問題ありません」
「しかし挨拶にも来ない男に嫁ぐことには、不安もあったのではないか?」
「いいえ。むしろ安心しました」
侯爵様の眉が僅かに上がりました。
不快になるような言葉を伝えたつもりはありませんが、早々に言葉選びを間違えてしまったのでしょうか?
それとは別に疑問はあとひとつ。
ねぇ、侯爵様?
いつまで手を握っているおつもりですの?
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