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♥選ぶもの
110.お姫さまがこれからを決めた日
しおりを挟む「今日はね、イルハのお父さんとお母さんにお礼をしたかったんだ」
イルハが肩を抱いた状態でしばらく二人は海を眺めて沈黙した。
流れる雲に、海を行き交う船、そしてお互いの交じり合う心地好い魔力は、二人をいつまでも退屈させなかったのだ。
だからシーラのその言葉は唐突だった。
「お礼ですか?」
「うん。お礼。二人がいたからイルハはこの世にいるのでしょう?だからお礼!」
父親はさておき、シーラの母親にも感謝したくなったイルハである。
しかし墓はきっと残されていないだろう。
その身はないが、ここに改めて墓を作ってもいいかもしれないとイルハは考え始めた。
母親だけではなく、シーラの側にいた者たちを、遠い西の地で弔ってはどうだろうか。
「それから約束をしたかったの」
イルハは驚きシーラの横顔を見詰めたが、シーラは海に視線を投げたまま。
「約束ですか?」
かつてシーラは約束を避けていた。
海にあると、絶対ということがないからだ。
最初にシーラがタークォンに来たとき、イルハは口に出来なくも次に会う約束を欲っしていたし、それはリタたちの助けで叶えられる。
そして二度目は、自分で約束を乞い願い、シーラがこれを受け入れた。
されどそれから長く約束は達成されず、時間が空いて、今がある。
海にあれば何が起きるか分からないということ、海に一人で送り出す意味を、嫌というほど学んだ二年半もの時間を越えて、イルハはもう手放さないことを一方的に決めてしまった。
約束なんて自分が決めたら出来なくてもいいのだと、今ではそう考えるようになっていたのに。
シーラが自分から約束を交わそうとするとは。
いくら故人相手だとして、むしろ故人相手だからこそ、凄い変化だ。
「ごめんね、イルハ。ずっとここにいるとはまだ言えなかったよ」
正直なシーラは出来ない約束を交わせないし、優しいからこそイルハに確実でない期待も与えない。
そんなシーラに、イルハは愛おしさを募らせる。
「謝ることはありません。何を約束したか、聞かせていただけますか?」
「うん。ずっとイルハといますっていう約束」
たまらず横からぎゅーっと抱き締めるイルハ。
ついさっきも伝えたし、シーラにしつこく海に出るときには一緒に行くと伝え続けてきたイルハだったけれど。
シーラももう決めていたのだ。
「海に出るときは、一緒に来てね、イルハ!約束だよ!」
「えぇ、約束します。あなたがもしも一人で海に出ようとしたら、船に先に乗り込んでおきますからね」
シーラは笑った。
それはどこにも湿り気を感じない、よく通る明るい声だった。
遠くで楽器を練習する音がする。
祭りのときに披露するつもりで特訓しているのだろうか。
「ねぇ、イルハ。私たちも練習する?」
「いいですね。今年は私も演奏し歌いましょう」
海のおひめさまがタークォンから逃げられなくなる冬が刻々と近付いている。
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