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♦海にあるもの

38.懐かしい人

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 キリムはぐいぐいと遠慮なくシーラの生い立ちへと迫るが、シーラは懐かしそうに目を細めて答えるくらいにここでは過去を隠そうとはしなかった。

 イルハは一人、ほんの少し……いや、結構むっとしている。
 自分の前では嫌そうにしていたから、まだ早いかとなるべく聞かないようにしてきたのに。

 だが今はシーラにその気持ちがないとも言い切れない。
 食事のために手を繋いでいないから読めないのだ。

「食べ方を教えてくれた人はいたよ。私が綺麗に食べると今も褒められていると知ったら、きっと喜ぶと思うなぁ」

「どんな方でしたの?」

 元々キリムは初対面で不躾に相手の情報を聞き出すタイプの女性ではない。
 かねてより王子から話を聞いていて、今日は自分が嫌な役回りを務めることを決めてきたのだろう。

 イルハはとりあえず、貴婦人を睨み続ける気持ちにはならなかったので、主君に白い目を向けるのだった。
 一度その主君とは目が合うも、そーっと逸らされ、お代わりまでした紅茶をがぶがぶと勢いよく飲む王子の横顔をイルハは冷ややかに見詰めている。

 それでも二人とも、耳を澄ませてよくシーラの話を聞いていた。

「うーん、人となりを語れるほどには知らないかな。色々教えて貰ったけれど、叱られてばかりだったから」

 まさか幼少時に虐待でも受けていたのではないか。
 一同は心配になってしまった。

 それで一人、海に逃げ出したのでは?と短絡的に考える者はこの場にはなかったが、それがあの国の終焉に繋がっている可能性は排除出来ない。

 自己保身に走り、その他大勢を見捨てられるような娘ではないことだけは、誰もが分かっている。
 ならばこぞ、そこには世に出ることのなかった深い事情があると読むものだ。

「その方から酷いことをされるようなことはなかったかしら?」

「それはないよ。私の覚えが悪くて、沢山叱ってくれていただけだからね」

 ぶんぶんと首を振っているうち何か思いだしたのか、シーラは突然笑い出した。
 その笑顔に一抹の寂しさが含まれていることに、三人は気付いてしまう。

 それでもキリムは聞いた。

「どうしたかしら?」

「うん。そういえば昔、井戸に落ちたことがあったなぁって思い出して」

 普段のシーラは、あるところまでの過去なら語る。
 海で過ごし、国を巡ってきた日々ならば、イルハもよく聞いてきた。

 だがその過去はあるところで途絶えている。
 シーラがあまり聞かれたくなさそうにしているから。
 そして率先して話すこともしないから。
 イルハは機を窺ってきたわけだ。

 だから今、どうしてこのようなことを語り始めたのか。
 イルハはもっとよく考える必要があったのだが。

 それがすぐに出来ないイルハなのであった。
 安直に幼いシーラが井戸に落ちる想像をしてしまったことが良くなかった。

 青ざめるイルハの代わりに、王子が問い掛ける。

「どうしたら井戸に落ちるんだよ。お前は何をした?」


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