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17.護衛騎士は見た
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騎士の誓いをしてからもう十余年。
今日も私はお城のお庭で、王太子殿下ならびに婚約者様の護衛役を務めているところです。
柔らかな風が吹いて、シンシア様の美しい御髪の先が流れました。
この女神の化身と称されるシンシア様が、私のお守りする王太子殿下の婚約者様なのです。
美男美女と称されて、まだご成婚前である今も、市井では寄り添うお二人を描いた絵姿が飛ぶように売れていると聞いています。
ご成婚の暁には、街中の店から絵姿が消えてしまうのでは?と危惧されて、絵師たちは嬉しい悲鳴を上げながらせっせとお二人の絵姿を量産しているのだと聞きました。
しかしながら、ご成婚時の美しいお二人のお姿がまた絵姿になるでしょうから、結局絵師は手を休める暇はないのだと思います。
お二人は晴れた日には決まってこのお庭でお茶を嗜んで来られましたが、私はいつもここで護衛役を務めていると、そのように今も忙しく過ごしているだろう絵師たちのことを考えてしまうのです。
彼らがここに足を運ぶことはありませんが、もしそうなれば、彼らはきっとしばらくこの場にいたいと望むことでしょう。
煌めく陽光に照らされて、美しき庭園に佇むお二人のお姿は、絵よりもずっと風雅で優美で、これをそのまま描けた絵師は、後世に名を遺す人間になるに違いありません。
「王太子妃教育は修了したんだってね。教師陣からは完璧な出来だと聞いているよ」
王太子殿下の声を攫うようにまたふわりと柔らかい風が舞って、紅茶の香りを邪魔しない程度に計算された花々の程よい香りが私の鼻腔にも届きました。
お二人のために、いいえ、シンシア様のために整えられたこのお庭は、お二人が結婚されたのちに過ごされるお部屋へと隣接しており、プライベートな空間となる場所としてご婚約時から用意されていました。
そのお庭を囲うように格子上の柵が立ち、誰の侵入も許さない作りに変わったのは、数年前のことです。
そのときばかりは、周囲は少々騒めいておりました。
かく言う私も、今朝まではこの柵の意味を勘違いしておりまして、不敬にもシンシア様の未来を案じていたものです。
ようやく私は、王太子殿下が柵を作るよう指示した意図を理解しまして、憂いなくシンシア様の護衛を務めることが出来ております。
本当にそのためだけだと捉えてよろしいのですよね、王太子殿下?
もちろん殿下は離れた場所に控える護衛の私などとは目を合わせることなく、シンシア様だけを温かい目で見詰めておりました。
シンシア様は恥じらうように俯かれ仰います。
「そんな、完璧だなんて……。まだまだ皆様から学ぶことばかりの未熟者です。先生たちがそう言ってくださったことには嬉しく思いますけれど。先生たちのお言葉が現実になるよう、もっと頑張らなければなりませんね。修了と言わず、これからも教えていただけると有難いのですが」
謙遜して恥ずかしそうに微笑んだシンシア様は、庭の花々によってより輝きを増しているように感じられました。
シンシア様を知り尽くした王太子殿下が、庭師たちに細やかな指示を出してきた成果を実感出来ます。
「私が見たところ、教師たちはお世辞ではなく、純粋な気持ちで心から君を褒めていたように感じられたよ。シアは素晴らしい王太子妃になるだろうとも言っていたね。もう十分に頑張ってきたのだから、しばらくはゆっくりしてはどうだろうか?」
「そのように言っていただけて光栄ですわ。けれどもやはりまだまだ精進しなければならないと思いますの。殿下はすでに素晴らしい王太子殿下でいらっしゃるでしょう?それに比べたら私などまだまだで。先生たちもいつも殿下の素晴らしさについて語っておられるのですよ」
「シアに褒められると嬉しいな、ありがとう」
王太子殿下はいつもこうでした。
シンシア様の口から出て来る誰のことも、さらりと会話から存在を抹消するのです。
「ところでね、実は今日は……その……」
とても珍しいことに、王太子殿下が言葉を詰まらせておりました。
何の話を切り出そうとしているかを知っている私は、心中では殿下を応援しておりましたが、ここで口を挟むわけにはまいりません。
「君に相談したいことがあってね」
「ご相談ですか?」
シンシア様がこてんと首を傾げた瞬間、王太子殿下の瞳がぎらりと怪しく輝いておりましたが、シンシア様はその目を見逃してくださったようでした。
良かったですねぇ、王太子殿下。その目は知られない方がいいと思います。
私の憂いなどいつも完璧な殿下には必要ないのでしょう。
すでに殿下は普段通りの整った笑顔を見せられておりました。
「あぁ、相談しても構わないか?」
「もちろんです。お役に立てるか分かりませんが……いえ、お役に立てるように頑張ります。不肖ながら私にお聞かせいただけますか?」
殿下、その目は本当に一瞬にしておいた方がよろしいですよ。
しかしながら私もどんな目でシンシア様を見詰めているかの自信はありません。
時折殿下から睨まれておりますので、あまりいい目をしていないことは確かです。
私もまだまだ鍛錬が足りておらぬということ。精進せねば。
殿下はそれからじっとシンシア様を見詰め……てはいませんでした。
少し視線を落とすようにして、シンシア様とは目が合わないようにしています。
長く護衛役を務めて参りましたが、このような殿下は見たことがありません。
それはシンシア様も同じだったのでしょう。
「もしや……申し訳ありません。お話を聞く前に察することも出来ず、婚約者として不甲斐ない限りです」
「そんなことはないよ、シンシア。妙な間を空けてすまなかった。ただ少し考え事をしてしまってね」
悲しそうに呟かれ、慌てた王太子殿下は心を決められたようでした。
力を宿した瞳で、シンシア様を真直ぐに見詰められていたからです。
それなのに殿下のお口から出て来た言葉は──。
「ねこ」
ねこ……だけですか?
私はついがくっと身体を揺らしてしまったのでした。
今日も私はお城のお庭で、王太子殿下ならびに婚約者様の護衛役を務めているところです。
柔らかな風が吹いて、シンシア様の美しい御髪の先が流れました。
この女神の化身と称されるシンシア様が、私のお守りする王太子殿下の婚約者様なのです。
美男美女と称されて、まだご成婚前である今も、市井では寄り添うお二人を描いた絵姿が飛ぶように売れていると聞いています。
ご成婚の暁には、街中の店から絵姿が消えてしまうのでは?と危惧されて、絵師たちは嬉しい悲鳴を上げながらせっせとお二人の絵姿を量産しているのだと聞きました。
しかしながら、ご成婚時の美しいお二人のお姿がまた絵姿になるでしょうから、結局絵師は手を休める暇はないのだと思います。
お二人は晴れた日には決まってこのお庭でお茶を嗜んで来られましたが、私はいつもここで護衛役を務めていると、そのように今も忙しく過ごしているだろう絵師たちのことを考えてしまうのです。
彼らがここに足を運ぶことはありませんが、もしそうなれば、彼らはきっとしばらくこの場にいたいと望むことでしょう。
煌めく陽光に照らされて、美しき庭園に佇むお二人のお姿は、絵よりもずっと風雅で優美で、これをそのまま描けた絵師は、後世に名を遺す人間になるに違いありません。
「王太子妃教育は修了したんだってね。教師陣からは完璧な出来だと聞いているよ」
王太子殿下の声を攫うようにまたふわりと柔らかい風が舞って、紅茶の香りを邪魔しない程度に計算された花々の程よい香りが私の鼻腔にも届きました。
お二人のために、いいえ、シンシア様のために整えられたこのお庭は、お二人が結婚されたのちに過ごされるお部屋へと隣接しており、プライベートな空間となる場所としてご婚約時から用意されていました。
そのお庭を囲うように格子上の柵が立ち、誰の侵入も許さない作りに変わったのは、数年前のことです。
そのときばかりは、周囲は少々騒めいておりました。
かく言う私も、今朝まではこの柵の意味を勘違いしておりまして、不敬にもシンシア様の未来を案じていたものです。
ようやく私は、王太子殿下が柵を作るよう指示した意図を理解しまして、憂いなくシンシア様の護衛を務めることが出来ております。
本当にそのためだけだと捉えてよろしいのですよね、王太子殿下?
もちろん殿下は離れた場所に控える護衛の私などとは目を合わせることなく、シンシア様だけを温かい目で見詰めておりました。
シンシア様は恥じらうように俯かれ仰います。
「そんな、完璧だなんて……。まだまだ皆様から学ぶことばかりの未熟者です。先生たちがそう言ってくださったことには嬉しく思いますけれど。先生たちのお言葉が現実になるよう、もっと頑張らなければなりませんね。修了と言わず、これからも教えていただけると有難いのですが」
謙遜して恥ずかしそうに微笑んだシンシア様は、庭の花々によってより輝きを増しているように感じられました。
シンシア様を知り尽くした王太子殿下が、庭師たちに細やかな指示を出してきた成果を実感出来ます。
「私が見たところ、教師たちはお世辞ではなく、純粋な気持ちで心から君を褒めていたように感じられたよ。シアは素晴らしい王太子妃になるだろうとも言っていたね。もう十分に頑張ってきたのだから、しばらくはゆっくりしてはどうだろうか?」
「そのように言っていただけて光栄ですわ。けれどもやはりまだまだ精進しなければならないと思いますの。殿下はすでに素晴らしい王太子殿下でいらっしゃるでしょう?それに比べたら私などまだまだで。先生たちもいつも殿下の素晴らしさについて語っておられるのですよ」
「シアに褒められると嬉しいな、ありがとう」
王太子殿下はいつもこうでした。
シンシア様の口から出て来る誰のことも、さらりと会話から存在を抹消するのです。
「ところでね、実は今日は……その……」
とても珍しいことに、王太子殿下が言葉を詰まらせておりました。
何の話を切り出そうとしているかを知っている私は、心中では殿下を応援しておりましたが、ここで口を挟むわけにはまいりません。
「君に相談したいことがあってね」
「ご相談ですか?」
シンシア様がこてんと首を傾げた瞬間、王太子殿下の瞳がぎらりと怪しく輝いておりましたが、シンシア様はその目を見逃してくださったようでした。
良かったですねぇ、王太子殿下。その目は知られない方がいいと思います。
私の憂いなどいつも完璧な殿下には必要ないのでしょう。
すでに殿下は普段通りの整った笑顔を見せられておりました。
「あぁ、相談しても構わないか?」
「もちろんです。お役に立てるか分かりませんが……いえ、お役に立てるように頑張ります。不肖ながら私にお聞かせいただけますか?」
殿下、その目は本当に一瞬にしておいた方がよろしいですよ。
しかしながら私もどんな目でシンシア様を見詰めているかの自信はありません。
時折殿下から睨まれておりますので、あまりいい目をしていないことは確かです。
私もまだまだ鍛錬が足りておらぬということ。精進せねば。
殿下はそれからじっとシンシア様を見詰め……てはいませんでした。
少し視線を落とすようにして、シンシア様とは目が合わないようにしています。
長く護衛役を務めて参りましたが、このような殿下は見たことがありません。
それはシンシア様も同じだったのでしょう。
「もしや……申し訳ありません。お話を聞く前に察することも出来ず、婚約者として不甲斐ない限りです」
「そんなことはないよ、シンシア。妙な間を空けてすまなかった。ただ少し考え事をしてしまってね」
悲しそうに呟かれ、慌てた王太子殿下は心を決められたようでした。
力を宿した瞳で、シンシア様を真直ぐに見詰められていたからです。
それなのに殿下のお口から出て来た言葉は──。
「ねこ」
ねこ……だけですか?
私はついがくっと身体を揺らしてしまったのでした。
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