かりそめ夢ガタリ

鳴烏

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10話

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 『風邪』を引いた太陽の日から数日後。…月も変わり、2月になって直ぐ。

「…脈、ありそうで…ちょっと頑張ってみようって、思うコトにした…」

 ビィズはとりあえず──いつものお茶会で──テナエに、そう報告した。
 俯き、口をパクパクさせるだけでなかなか声を出せなかったビィズに対し、テナエは心配と緊張の混じった視線を向けていたが。

「そ……っ! そうかっ!!」

 ビィズの報告を聞いた瞬間、頬を紅潮させ、目を輝かせ、大きく安堵の息を吐いた。
 そして直ぐ、満面の笑みを浮かべて見せて来る。

「ビィズさんが頑張るなら、きっと上手く行くな! 私も何だか嬉しいぞ!」
「う…うん。上手く行くように、ホント…ちょっと頑張るわ…」

 気恥ずかしさに耐えかねて、ビィズは更に俯きつつ、眼前にあったクッキーを口へ運んだ。
 笑顔のまま、テナエがコクコク何度も頷いている。

「……」

 ちらり、と。少しだけテナエの姿を確認して、ビィズは考える。
 …『頑張る』とは決めた。決めた通り、頑張るつもりだ。
 しかし数日の間、ちゃんと落ち着いた頭で考えた結果。頑張るのは今直ぐではなく、少し後からにしようとも決めた。

「タレント冒険者でいる間は、そっちに集中しようって思ってるけどね…。…アタシの恋愛云々は、多分、そんなに急がなくてもいい感じだし…」
「え、そうなのか?」
「うん。…何だかんだ、この国や神都にはお世話になって、思い入れもある状態になっちゃったから。タレント冒険者って仕事は、気を散らしてないでしっかりやりたいのよ」
「…ビィズさんは真面目なんだなぁ…!」

 そう。『ビィズ』としてはそういう理由で、頑張るのは少し後と決めた。
 『ジュイ』としては…頑張るのは、ビィズという逃げ道を無くした後からにしたいと思った。
 何かしら問題が発生した時、ビィズを使ってカノハの行動を──少し、であっても──操作するのは、フェアではない。『ジュイ』が頑張る事にはならない。…その手段を使うのは前回の1度だけにしたい。
 そんな風に考えたのだ。

「真面目って言うか…アタシにも、一応そういう…意地とかプライドみたいな物があるだけよ」
「ふふ、そうか。じゃあ、私も残り約2ヶ月…娯楽番組、楽しみにさせてもらうな!」
「うん」

 顔を上げる。テナエは変わらず、にこにこ笑っている。
 その顔を、彼女の姿を確認して。じっと見て。…ビィズは考える。

(ちゃんと集中して、きっちりタレント冒険者の仕事をやり切る…だけじゃなくて)

 …だけ、ではなくて。『ビィズ』として、やっておきたい事がまだある。心の中にも、頭の中にも、ソレがはっきり存在している。

(彼女、テナエには…アドバイスとか、勇気とか…何だかんだ沢山貰ったんだ。…少しは、お礼したいな)

 だが、どんなお礼をすれば良いのか。
 否。出来るのなら、こういうお礼をしたいと思っている事はある。…だが、どうすれば良いのか。
 嬉しそうに、にこにこし。美味しそうにクッキーを食べる、テナエを眺めながら。ビィズは1人、考え続ける。





 そうやって考え続けて、数日。

(…どうすれば? まず何をしたら? 俺…って言うかビィズに出来る事…?)

 ビィズ、否、ジュイは考え続けていた。
 仕事中も、自宅でダラダラしている間も、食事中も、短時間で済む風呂の最中も。正しく寝ても覚めても考えていた。…が、何も掴めない。

(俺なりビィズなりが、直接アイツらの背中を押す…とか、やってもな…)

 もう諦めてしまっている2人だ。…そのまま「もう諦めてるし、いいんだよ」という意味合いの返事をされて終わりだろう。
 下手をすると、身分差だの家の事情だのに詳しくない人間が他人事で軽く「頑張ってみろ」なんて言うな…と不快にさせてしまうかもしれない。
 そしてそうなると「男と女の恋愛でうだうだ言うな」「一般的で多数派で普通に恋愛出来る2人のくせに」などと逆ギレの八つ当たりをしてしまうかもしれない。

(…それは良くない。って言うか嫌だ…)

 ロウセンにもテナエにも嫌われたいわけではない。

「はぁー…あー…」

 溜め息が出た。
 一拍遅れて、溶けた氷がグラスの中でバランスを崩した音が鳴る。

「どうした、そんな溜め息吐いて頭抱えて。また仕事で何かあったのか?」
「……」

 …ちなみに現在時刻と現在地は、仕事が終わった後の『波間の月影』だ。
 1人で呻いていたジュイを──空のグラスを拭く作業をしつつ──ずっと眺めていたカノハが声を掛けて来た。
 おそらく、悩みでも愚痴でも吐き出したいなら早く吐き出せ…などと思いつつ黙って待っていたのだろう。しかしジュイが呻く以外の事をしないので、痺れを切らしたのだと思われる。

「仕事で何かあった、わけじゃあないけど…」

 そして、ちなみに。これはジュイの作戦であり、今の所は作戦通りである。
 演技で頭を抱えていたわけではないが、『頭を抱えています』とカノハに知らせたかったのだ。

「…でも…まー…。…いいよ、何でもない。って言うか大した事じゃない」

 …知らせた上で、相談はしないでおく。
 いや。本当はカノハに相談したかったのだが。…奴の意見や助言が欲しかったのだが。
 ロウセンとテナエの事でカノハに相談するには、先にしておかなければならない話が沢山ある。
 中でも『2度目の恋が終わっている』件は、その後に続く話がカノハと関係の無い話なのであれば……今はまだしたくない、と感じたのだ。

「とりあえず、もう1杯ちょうだい。…それ飲んだら、今日は帰るよ」
「……」

 故。カノハではないが、カノハと同じくらい信頼出来るアドバイザーに会うため。
 そして…ついでに。己の仮説が間違っていないという確信、最後のダメ押しを手に入れるため。頭を抱えているとアピールだけして見せる作戦を実行しているのである。

「大した事ないなら、いいけど。あんまり悩み過ぎるなよ。…悩み過ぎるとバカやりそうなバカなんだからな、お前」
「クソ失礼。子供の頃から、俺がカノハより頭悪かった瞬間なんか無いよね」
「勉強的な意味ではな。そうじゃない意味でなら、お前がオレより頭良かった瞬間なんか無いだろ」
「…ホント失礼。ムカつく。アホ。ハゲ。エロ黒子。腹痛起こしてフラフラになって街灯にぶつかってドブに落ちればいいのに」
「ほら見ろ、頭良くない発言してやがる」

 中身など全く無い、雑談。互いに本気では全くない、罵り合い。いつも通りの日常、いつも通りの心地良い時間だ。
 だが、その中で……カノハの気持ちを知っている故だろう。頑張ってもいいと分かっている故だろう。僅かな緊張感と、足が地についていないような感覚が、ジュイにはあった。
 とは言え、それも不快な物ではない。むしろ居心地の良さを倍増させている。

(…もう1杯、じゃなくて。もう2・3杯飲み終わるまで居ても別にいいんじゃ…?)

 故。気を抜くと、そんな誘惑が芽生えて来て。
 ジュイは何度か首を振り、手元のグラスに残っていた氷を口へ放り込んで、頭を冷やしたのだった。





 いつもは行かない、人通りの少ない道…ではなく。人の量は多くも少なくもない、いつもの道。
 その道を、自宅目指してゆっくり歩く。

「…………」

 ゆっくり。本当に、ゆっくり。少し進む度に足を止めたりもしながら、ゆっくり……歩く。
 背後から近付いて来る人の気配が、1つ、また1つ、自分を追い抜いて行く。気にはしない。ジュイの足はそれでも、とても遅い速度を保っている。
 …来る、はずなのだ。
 こうして、ゆっくり進んでいれば。きっと直ぐ、急いで、追い付いて来るはずなのだ。

(今月いっぱいくらいは、まだ寒いの続くかな…)

 何度目かの停止をして息を吐けば、その息は当然のように白くなる。
 ゆっくり、じわじわ消えて行く白を見送って。ほとんど進まない前進を再開する。
 そしてまた、誰かに追い抜かれる。早足な1人に追い抜かれる。ケラケラと笑い合う2人組に追い抜かれる。寒そうに肩を抱く中年女性に追い抜かれる。寒空の下でも上裸なマッチョの戦士に追い抜かれる。
 そして。

「────あ、ジュイさん!」

 …名を呼ばれた。

(来た…)

 驚きは一切無い。
 少し前、彼を待ち伏せていた時とは違う。…あの時は『来る気がするけど、絶対ではない』と思っていた。今は、『絶対来る』と確信していた。…驚くはずがない。

「こんばんは…」

 足を止め、声がした方向──後ろ──を振り返れば、彼は小走りでこちらへ向かっていた。ジュイが頭を下げて挨拶をしている間に、目の前にまでやって来る。

「こんばんは。…すみません、用も無いのに思わず呼び止めてしまって…」
「…いえ…」

 相変わらずの──テレビ画面の中では見られない──優しい微笑みを浮かべつつ。
 用は無いと言いながら、何か話したい事があるかのように…切り出したい事があるかのように、彼の口は少しだけ開いて、閉じる。
 しかしジュイは、それを待たず。先に切り出した。

「あの、突然で申し訳ないですし…丁度良かったなんて言ったらアレなんですけど。…少しだけ、聞いてもらいたい事があるんです」

 時間ありますか。と問えば。
 彼…コクトは、細めの目を少しだけ見開いた後、嬉しそうに笑って頷いてくれた。





「要するに、その2人…。俺の友達な、忠臣家の人間と。ソイツが好いてる、神友族のお嬢様。…の、恋路をですね。何とか少しでも良い方向に持って行ってやりたいんです」

 相手がコクトであるならば、先にしておかなければならない話もほとんど無い。
 2度目の恋の相手だった友人には、直感通りやはり想い人が居た。吹っ切れてから少し経った今、素直に応援したいと思った。でも本人が既に諦めモードなんだ。
 …このくらいの簡単な経緯の説明だけをして、

「まず、どうしたら…って言うか。俺に出来る事って何があると思います…?」

 ジュイは相談に入った。

「そうですね…」

 コクトがコーヒーの入ったカップを口へ運ぶ。
 …ちなみにここはいつぞやの、コクトが教えてくれたコーヒー屋だ。
 話を聞いてもらう礼に、と。今日はジュイが、己の分もコクトの分も代金を払う事にした。

「要は身分の差ってモノがあって難しい…という事ですよね」
「…はい。でも異性同士の恋愛なんだし。余所の国の貴族と、神国の神友族は同じ物じゃない…つまり、そこまで『血』に重要性は無い。…はず、だし…」
「うーん…」

 ジュイはコーヒーに口を付けない。
 冷たくなっていた両手で熱いカップを包むように持ち、体温を上昇させようと試みている。

「けどやっぱり、血や、家の名前や歴史…みたいな物は、軽い物でもないでしょうからね…」
「…………」

 …そうなのだ。ジュイも勿論、分かってはいる。
 身分差くらいなんだ、どうとでもなる、むしろどうでも良いじゃないか。…とも思ってしまうが。そんなに簡単な話であるわけがないのだ。

(簡単な、どうでも良い話なんだったら、ロウセンもテナエも諦めてなんかないだろうし…)

 溜め息が出た。
 要するに、身分差をどうにかしなければ駄目なのだろうか。そんな事は不可能だ。ロウセンかテナエのどちらかに、生まれ直してもらうしかない。無理だ。

「…俺に出来る事」

 もう1度、溜め息が出た。
 …案外大きな溜め息だったらしく、手元のコーヒーに小さな波が生じる。

「何も無い、ですかね…。やっぱり…」

 悲しい、ではない。とにかくもどかしい。やや苛々もする。困ってしまっている。
 そんな心境が表情にも出ていると、はっきり分かる。眉は八の字に下がってなどいない、むしろ釣りあがって眉間の皺を増やしている。
 コクトが苦笑した。友達──ロウセン──の力になりたいんだなー、などと微笑ましく思われているのかもしれない。

「身分の差があると、当人2人の気持ちだけじゃ駄目でしょうから。…特に、前例の無い事をしようとすると」
「…?」
「ですから、その。周りの人の意見を聞いてみるとか。…周りの人を、説得してみるとか?」

 解決策と言うよりも、僅かでもやってみれそうな事として、コクトが首を捻りながら出してくれた提案を聞き。

「成る、程…?」

 ジュイは頷いた。
 確かに、周りの人間の意見・どう思っているのかは知っておきたい。
 身分差のある恋愛など、絶対に認めないと考えているのか。それとも、そのくらい許してもいいと考えているのか。
 …後者なら、とても頼れる味方になってもらえる。

「いいかもしれない、ですね。…まず、えっと。神友族の結婚や恋愛ってどういう感じなのか、歴史を少し調べて…それから、ロウセン──友達のお爺さんと会わせてもらえないか、何とか…」

 解決策では、確かにない。だが解決の糸口には出来るかもしれない、と思えた。
 1人、頭の中でこれからの計画を練り始めるジュイを見て。
 コクトが「力になれないまま終わらなくて良かった」とでも言いたそうに、安心したような息を吐いて微笑んでいた。


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