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7話
③
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自分と違って、皆に好かれている人気者。自分もああなりたかったな、と。羨ましく思ってしまう子。
それだけでも理不尽な嫉妬心から「嫌い!」と言ってしまいそうな相手だったカノハが、ぽつりと零した一言によって。無視や陰口や嫌がらせ等の…いわゆるイジメが悪化した。
孤児院でも小学校でも。ジュイが歩いていれば、子供達はこれ見よがしに脇によけ。少し離れた所でニヤニヤしながら陰口を言い。物を壊したり汚したりはしないが、隠したりゴミ箱に入れたりはして。
そうして生じるジュイの眉間の皺を見て、楽しんでいた。細められる目を見て笑っていた。「絵画がどのくらい歪むか」「彫刻の顔が変わるのか」と囁き合っていた。
しかし。
状況悪化の元凶であるカノハを、「大嫌いなクソ野郎」と認識していたジュイだが。しかし。
その認識は割りと直ぐ覆された。元凶である事は変わらないが、カノハへの「嫌い!」はあっさり消えてなくなった。
……というのも。
「ごめん…っ!!」
奴は──「絵画か彫刻みたい」という発言から大体1ヶ月くらい後──謝って来たのだ。
「オレが、あんな風に言ったせいで…アイツら、皆、が…色々…! ひどいコト、するようになるなんて…思ってなくて…!」
青い顔でそう語るカノハは、明らかにショックを受けていた。
──そうなりたかったわけではないが──好かれない事に慣れてしまっていた分、ジュイの心についた傷の方が大分マシな物だったのではないかと思える程。カノハは混乱し、困惑していた。
「ほ、本当にごめん…!! ごめんなさい…っ!!」
もしかしたら。カノハはこの時、初めて『皆の汚さ』を知ったのかもしれない。
仲良く楽しく一緒に笑い合うだけの、綺麗な子供達ではなかったと。…裏切られたのかもしれない。
「いいよ、別に…」
ともかく、ジュイはそう言った。
「…えっと。違う。『いいよ』って、皆を許したわけじゃ絶ッ対ないけど。…お前は、謝ってくれたし。悪いと思ってやったんじゃ、ないみたいだし。お前の事はいいよ、許す…」
そう言っておかなければ、カノハが今にも死んでしまいそうに見えて。…そう言った。
応え、カノハは黙った。青い顔色をほんの少しマシにして、ほんの少し安心したような細い溜め息を吐いて、薄っすらと浮かんでいた涙を拭い。
やがてポツポツと語り出す。
「学校も神都も…広いから。…ジュイ…くん、の事。あの日、ここで、初めて知ったんだ…。…同じ学校の、同じ年の子で、こんな子が居たんだなって」
「……」
「ビックリして。…すごくキレイだなって、思って」
顔を綺麗と判断される事は、ジュイにとっては『よくある事』だった。
『綺麗』は、ジュイにとって。1度の例外もなく、不愉快な続きがある言葉だった。
「でも、キレイって…そのまま言うのが恥ずかしくて…それで。どう言おうか、考えて……絵画か、彫刻みたい…って。…ごめん…そのまま『キレイ』だけ言えば良かった…」
だが、カノハからの『綺麗』には続きなど無かった。
絵画や彫刻のようだ、は…作り物のようだ、と同じ意味だろうが。「作り物のようで綺麗」で終わったのだ。「作り物のようで不気味・怖い」ではなかった。
(──褒められた)
そう。要するに褒められたのだ。生まれて初めて、ただ綺麗だと言われた。
この瞬間。ジュイの、カノハに対する「嫌い!」は全て蒸発し「いい奴」という言葉に変わった。
そして、本当に。本当に、ほんの少し。自分の顔に対する「嫌い!」も、本当に僅かに、減ったのだ。
◇
以降、カノハはジュイを構ってくれるようになった。
…否。まとわりついて来るようになった…の方が正しい。ジュイの方から構ってくれと頼んだ覚えはない。
当時のジュイは特に何を思うでもなく、不思議にも思わず、自分達の小さな輪にカノハが加わって来た事を黙認していたが。
成長してから、理解した。カノハはジュイを助けようと、少しでもジュイの環境をマシにしようと…していてくれたのだろう。
発言力があって人気者な自分が側に居て、仲良くしていれば。皆、ジュイへの嫌がらせや陰口をやめるかもしれない。と。
実際、その目論見は上手くいったらしく。気付けば──小学校を卒業する頃には──周囲からの諸々は『カノハに例の発言をされる前と同程度』にまで戻っていた。
ともかく。
以降ジュイは、ロウセンとカノハと、3人で一緒に居るのが『普通』になったのだ。
それから間もなく、前・院長が故郷の国へ帰り。代わりにその故郷から、孫であるアオ・ハヴィットがやって来て院長を継ぎ。
秋になって──ロウセンがルナクォーツ家の養子になる事が決まった。
…『3人』だった期間は約半年と、短い物だったが。楽しかった。
「神都から出て行くわけじゃないから…いつだって直ぐ、また会えるよね…」
そう言って、ロウセンが孤児院を去った日。
彼の笑顔に応えるため、ジュイも笑顔で「うん、またね」と返した。…返しはした。
しかし、ロウセンの姿が見えなくなった途端。ジュイはその場──孤児院の出入口前──から物凄い速さで走り去り、部屋へ行き、泣き崩れてしまったのだ。
「ずっと2人一緒だったんだもんな」
「寂しいよな」
「ロウセンの前では泣かなかったんだから、ジュイは偉いよ。頑張った」
「行っちゃ嫌だって1回も言わなかったのも。行く方がロウセンのためだって思ったんだろ。ジュイ、優しいよ」
「ジュイもロウセンも、言ってたろ。また会える」
等。沢山の言葉をかけながら。
その日、カノハはずっと、ジュイの頭を撫でてくれていた。オヤツのレモンパイ──自分の分──もジュイにくれた。夜、眠る時も、手を繋いで一緒に寝てくれた。
奴が隣に居る事は、心強く心地良いのだと。ジュイはこの時、初めてしっかりと実感した。
…カノハに対する甘え癖は、その実感が原因で芽を出したのだろう。おそらく。
◇
4年生になっても、5年生になっても、学校でも孤児院でも。カノハはジュイに構い続けてくれた。
学校では──祖父と同じようにアオ院長が学校に頼んでくれていたのか──クラスも同じになれ、ジュイは孤独や寂しさとは無縁な日々を送る事が出来ていた。
カノハが『皆の人気者・皆のカノハ君』であるのは変わっていなかったが。しかし、カノハ自身は明らかに、ジュイだけを特別扱いしてくれていた。
例の発言と、それによってジュイが受けた被害が、カノハの胸中に大きな罪悪感と責任感を生まれさせたのだろう。
(苦労性だな…)
と、ジュイは思っていた。
自分は「許す」と言ったのだし、例の発言から数年経った今では本当に…そんな事件は忘れ去っているとさえ言ってもいいくらいなのに。
カノハはいつまで自分の近くに居て、助けようとしてくれるんだろうか。と、思っていた。
(もしかして、俺が周りの誰にもヒソヒソされなくなる日まで…居てくれるのかな?)
そんな日は来ない、と。子供のジュイは分かっていた。
いや。ジュイ自身が周りの皆に好かれる努力をすれば、いつかは来るのだろう。…が。
(…カノハが居てくれなくなるなら、そんな日、来なくていいな)
ジュイが出した答は、こうだった。
(嫌いな奴らになんか、好かれなくていい。…カノハが居てくれる方がいいし、カノハに嫌われてなければいい…)
いつから在ったのかは、ジュイにももう分からない…カノハへの特別な気持ちが。
じわじわと形を成し、その存在に気付いてしまえるようになり始めたのは、この頃だった。
…周囲の男の子達が女の子の話で盛り上がっている時。耳に入って来る会話の内容が、一切理解出来ず。同調も出来ず。
街中で見かける女性にも全く興味が湧かず、むしろ男性に目を向けてしまう事が多々あったジュイが。自分は『一般的』ではないのだろうかと悩み始めたのもこの頃だった。
(……。こんな風に思ってるの、変なのかな。駄目なのかな…。…誰か、院長とかカノハに相談した方がいい…?)
そう考えはしても結局誰にも相談せず、ジュイは現状維持を選んでいた。
当然、ジュイの心境など知りもせず。構いもせず。カノハはジュイの隣に居た。遊んでくれて、面倒を見てくれて、助けてくれて、下らない喧嘩もしてくれて、心の真ん中に居座ってくれた。
5年生から6年生に進級する頃には、ジュイの視界にはカノハしか映らなくなっていたし。
『カノハが褒めてくれた事があるから』という理由だけでジュイは毎朝毎晩、己の顔面を丁寧に洗い…身だしなみも整えていたのだ。
◇
6年生の夏。カノハが、孤児院の裏に捨てられていた仔犬を拾って来た。
成長しても身体が大きくはならないであろう犬種だったのもあり、ちゃんと面倒を見る・躾もちゃんとする、という条件付きでアオ院長は飼う事を許してくれた。
自分達の2人部屋に小さな犬が加わって、ジュイの毎日はますます穏やかで楽しい物になった。
…人間の友達は──ロウセンとカノハ以外──1人も増えていなかったが。ジュイの心中には既に『皆に好かれたい』という思いなど、在った痕跡すら残っていなかった。
カノハが側に居て、2人で仔犬を可愛がって、ロウセンは元気だろうかと考えて。それ以外は要らない、満足だ、と。その頃のジュイは満たされていた。
その満足感に極めて小さな影が生じたのは、小学校を卒業する少し前だった。
学校で卒業文集という物を作る事になり、6年生は全員『両親への感謝を書いた文』を提出しましょうと教師に言われたのである。
結論から言えば、ジュイは両親ではなく孤児院の院長──前・院長もアオ院長も両方──や友達への感謝を書いた文を提出し、それを認めてもらえたが。
そうする・そうさせてもらう、と決めるまで。1人で黒い気持ちを抱えてモヤモヤする羽目になっていた。
「両親に感謝なんかしてないから、書けません」
まず直球でそう教師に伝えてしまったジュイは、叱られ、説教されたのだ。
「親に感謝するのは常識だ」「親を悪く言うなんて駄目だ、良くない事だ」「貴方が産まれて生きているのは親のお陰なのだから」「いつだって有り難く思っていなければならない」「大事にしなければならない」…。
心の底からの曇り無い善意で、良い事を教えてやっているという気持ちだけで、その教師は切々と説いてくれた。
そして。小さな影が、ジュイの心を埋め尽くしていた満足感に混じって来たのだ。
産んでくれた人達に感謝出来ない自分が、楽しく生きていられるのはおかしい事なのか? 要求された通りの文を提出出来ない自分は駄目な子なのか? 嘘でもありがとうと書いた方が良いのか?
…何1つ納得が出来ず。小さな影はじりじりと大きく……なりかけていた。
「別にいいだろ。書けるわけがない物、書かなくても」
しかし、この時もカノハが助けてくれたのだ。
「…でも。カノハは自分のお父さんとお母さんに感謝してるよね?」
「してるけど」
ジュイの問いにまず頷いて、カノハは直ぐ首を振った。
珍しく眉間に皺を作って。ジュイに説教をした教師に対してか、自分の言わんとする事を察しないジュイに対してか…不機嫌そうに不満そうに、息を吐いた。
「『両親だから』じゃない。ちゃんと、好いてくれて。あったかい物も沢山くれて。色々、教えてくれて。感謝しようって思える父さんと母さんだったから感謝してるんだ」
…ジュイは黙る。
「でも、ジュイの親は違うだろ。ロウセンの親もだよ。…あったかい物1つもくれずに、邪魔だからって捨ててってさ。そんなの、どう感謝するんだよ」
黙ったまま、何度も頷いてみせる。
「オレは捨てられたんじゃなくて…最悪な冒険者のせいなだけだから。父さんと母さんに感謝もし続けられてるんだ」
「……うん」
深く俯けば、カノハがそっとジュイの頭に触れた。
奴の指と手が軽く、ゆっくり、優しく頭を撫で、髪の間を滑って行く。大きくなりかけていた心中の影が、その手に持って行かれたような感覚がした。
「ジュイがどう思うかは分からないけど。ごめん。…オレは、ジュイの親はどっちも嫌いだ。ロウセンの親も」
「うん…」
「…ジュイやロウセンをこの世界に生まれされる事が、ソイツらの唯一の仕事だったんだろ。ぐらいに思ってるし…」
「うん」
「それが済んだんなら、もう存在してる意味も理由も無い。死んじまってもいいじゃん。…ぐらいにも思ってる。そのくらい、嫌いだ」
「…………うん」
「感謝なんか、絶対しなくていい。育ててくれた院長達になら、感謝した方がいいだろうけど」
「うん。…そうだよね」
カノハは決して、ジュイに寄り添おうとしていたのではない。理解を示そうとしたのではない。
ただ、自分の思っている事を思っているまま喋っただけなのだ。自分の価値観や考えを、プラスもマイナスも無く語っただけ。
…それがそのまま。ジュイが『誰かに言ってほしい事』だった。『言ってもらえると1番嬉しい事』だった。
この時に限らず、カノハと居るとそういう事がよくあった。ジュイの胸の内にある物を、カノハはよく言葉にしてくれた。
考え方が似ている所があるんだろうか、気が合うんだろうか、と。…ジュイはその度、嬉しくなっていた。
ともかく、こうして。ジュイが抱えていた満足感は、影に浸食されず…ただ元に戻れたのだ。
ジュイは教師にもう1度「書けない」と言おうと決めた。連絡帳にアオ院長からの説明をもらって、自分の事情も少しだけ話して、その上で「書けない」と言おう。と。
結果。渋々、ではあったが…教師は折れてくれた。
「良かった!」
言って、カノハは笑っていた。
ジュイが卒業文集に参加出来なくなるか、嘘の感謝文を載せるか…どちらにもならず済んだ件を。「良かったな」ではなく「良かった」と己の事のように喜んでいた。
…数年間の、こういった小さな温かさの積み重ねで。
カノハへの初恋は、はっきりと自覚出来るようになり。同時に自分が生来の同性愛者である事も理解し、自覚し。
初恋について──頑張って良いのか良くないのか、分からない。でも頑張りたい。頑張ってみたい。…そんな気持ちを抱いて、ジュイは小学校の卒業式を迎えたのである。
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