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7話
②
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何ヶ月か前。ビィズの姿で『波間の月影』に行ってしまう、というミスをした時。
あの時も今と同じように、カノハから怒りをぶつけられ、何も言えずに逃走し、頭が真っ白になって、戸惑いだけが胸中に残ったが。
「なんなんだよ…!!」
…この台詞もあの時にも零した気がするが。
1つ違うのは、あの時には我慢し切れた涙を今は我慢出来ていない、という事だ。
「意味、分かんない…っ! ムカつく、何だよ…!!」
とは言え。あの時も今も、何故。泣きそうになったのか・泣きたくなったのか・泣いているのか…理由は分からない。
思考も感情もグチャグチャなのだ。
ビィズでいる時間も頑張ろうとせっかく思えたのに、そのビィズが怒鳴られて悲しい。故の涙…これもある。
カノハがジュイの事で怒ってくれた事が嬉しい。故の嬉し泣き…これもある、気がしている。
カノハに対して「話を聞け」の一言すら言えなかった己が情けない。故の悔し泣き…これも、あるかもしれない。
しかし。今、胸中に1番多く湧き出て来ている言葉は「ムカつく」なのだ。「腹立つ」なのだ。
つまり──絶対にこれだと明言は出来ないが──怒りを理由に、自分は泣いているのだ。
「…本当に…!! 腹立つ…っ!!」
駆け込んだ路地裏。人の気配も、明かりもない場所で。ジュイはひたすら怒りを吐露する。
「せっかく、忘れ切ったのに…! …迷惑に思われたくなくて、諦めたのに…!!」
長年引き摺った初恋によって、抱えていた色々な物・様々な物。全てを片付けて、仕舞って、思い切り封じておいた…箱か何かを、無理矢理こじ開けられたような。
そんな感覚が在る。否。そんな感覚しかない。踏み荒らされたくない場所を、土足で荒らされたような。本当に、怒りばかりが大きくなるような感覚。
「ムカつく…っっ!! 今更────」
今更、それも『ジュイ』の居ない場所で。1番、何よりも大事だ…などと。
どうして、そんな事を教えて来たのか。考えも何も無く、そうしてしまう程…ビィズによってジュイが追い出される事が嫌なのか。
「今更、こんなの知って……俺は、どうすればいいって言うんだよ…」
泣き声混じりの、深い溜め息が漏れる。漏らした分、夜の冷たい空気を吸い込む。
「…………」
声を出す事を止め、とにかく冷静になって気持ちの整理をしようと自分自身に提案したが。
…ジュイの頭の中は、今現在の状況から来る混乱と、こじ開けられた箱から飛び出た記憶とで、どうしようもなく散らかってしまっていた。
「……」
人の気配も明かりもない、路地裏で。膝を抱えて蹲る。
──今直ぐどうにかする事は出来ないと──投げ遣りになって諦めたジュイは、勝手に浮かび上がって来る思い出達を振り払いもせず、再び深く息を吐いた。
◇
ジュイの両親は冒険者だ。
剣が得意なタイプか、魔術が得意なタイプか、あるいは手先が器用なタイプか、そういった詳細は分からないが。父親も母親も、両方共が冒険者。
他にも何人かメンバーが居るらしい…同じパーティに所属しており。仲が悪くは決してない、むしろ良好な関係を築いていそうな2人。
しかし、2人の間には『恋愛感情』だの『好意』だの『愛』だのは無く。『仲間意識』だけが有るような、軽いノリでつるんでいられる友人のような、そんな風に思える2人。
…ジュイはそう聞いて、知っている。
そう。『聞いて』知っている話だ。ジュイと両親が直接話した事は無い。ジュイが両親の顔を見た事も無い。
4歳の頃。12月に入って直ぐ。当時、ハヴィット孤児院にお手伝いとして来ていた初老の女性2人が、ジュイについて話していたのを盗み聞きしたのだ。
「もう直ぐあの子の誕生日だけど…。…やっぱり何かしらお祝いしなくちゃ駄目かしら?」
「気が乗らないわぁ。笑わないし、暗いし。凄く綺麗なあの顔が逆に不気味にしか思えない子だもの」
「ねぇ、作り物みたい。同じ場所に居るのが不自然で、何だか怖く感じる顔してるのよねぇ…」
というように盛り上がっていた話が、少しだけ逸れて聞こえて来た情報だった。
「あの子の両親、どんな顔だったかしら。…あの子がもう直ぐ5歳って事は、約5年も前の話になるし…あまり覚えてないのよね」
「あぁ。貴方が渡されたんだっけ? あの子」
「そうそう。玄関前のねぇ、鉢の手入れしてたらね。ちょっとすいませぇーんって、ヘラヘラしながら声かけてきて」
仲間内で、本当にただの性欲処理として行為をしたら子供が出来てしまった。邪魔だから引き取ってくれ。
それだけ言って、誕生日──この日の、僅か1週間前だった──と適当に付けたらしい名前だけ教え、2人は去って行ったとの事だ。
「次から気を付けなくちゃね~だとか。早く行かなきゃアイツら待ってるわ~だとか。笑いながら、振り返りもしないで行っちゃったのよ」
「…まぁ、そんな親から産まれた子じゃあねぇ。可愛い子供になるなんて無理でしょうねぇ」
当時のジュイは、盗み聞いたこの話にショックを受けた。顔には出ていなかったかもしれないが、ちゃんと人並みに傷付いたのだ。
というのも……当時のジュイは信じていたからだ。
自分が育った場所は孤児院で、自分の周りには父親も母親も居ないが。1人で過ごす時間が多かったジュイは、色んな本を読んで『親』という物を知っていた。
そして、自分も親には愛されていたはずと信じていた。孤児院の、他の子供達同様。事故か何かの理由があって、自分と親は一緒に居られなくなったのだと信じていた。
お互いに愛し合っていた2人が自分を産んでくれて、自分の事も愛してくれていたと。…そう信じる事だけが、孤独に耐えるための手段だった。
しかし、それは裏切られ。
4歳のジュイは三日三晩1人で泣いて過ごし、前・院長──現在の院長であるアオ所長の祖父──に励まされるまで、沈みに沈んでいた。
…5歳になる日を迎えた時には、悲しみを怒りと恨みに変換する事で立ち直っていたのだが。
「こんな顔だけ残して去った、クソ」
以来、ジュイにとっての親はそういう物に成り下がってしまった。
そうして、ついでのように。自分の顔への嫌悪感が明確な物になってしまった。
孤児院に居る子供、全員に──勿論、ジュイにも──平等に優しくしてくれていた…前・院長が居なければ。自分はどうなっていただろうと、ジュイは今でも思う時がある。
◇
「こんな顔」「気に食わない顔」「嫌いな顔」
昔から、今も。ジュイが己の顔に対して抱いている気持ちだ。
クソでしかない両親が残した物。もしかしたら、クソのどちらかに似ているかもしれない顔。
嫌いな理由の1つ、そしてハッキリ嫌いになった切っ掛けはそれだが。
最も大きな理由・ハッキリ嫌いになるより前から嫌悪が蓄積していっていた理由は、それではない。
「笑わないし、暗いし。凄く綺麗なあの顔が逆に不気味にしか思えない子だもの」
「ねぇ、作り物みたい。同じ場所に居るのが不自然で、何だか怖く感じる顔してるのよねぇ…」
…と。お手伝いとして来ていた大人でさえ、陰で拒絶していた。
孤児院に居た子供達も皆、毎日ヒソヒソと悪口を言っていた。
「オバケの国から来たんじゃないの…?」
「…キレーだけど人間じゃないみたい。…怖い」
「アイツが近くに居るとゾゾッてする…。どうして僕らと一緒に居るんだろって気持ちになる…」
「側に寄ってほしくないよね…」
こういった類の囁き声を聞き続け。当然の事ながら、ジュイはいい気分になどならなかった。
この顔のせいで悪く言われる。ヒソヒソされる。不快感ばかり押し付けられる。鬱陶しいだけで、大嫌いな顔だ。…そうとしか思う事が出来ない子供になった。
更に。当然の事ながら。大人も子供も問わず、ヒソヒソと陰口を言って来る相手は全員嫌いになった。ますます孤独になり、笑わなくなり、より一層ヒソヒソと陰口を叩かれた。
どうしようもない悪循環。
…ジュイが子供でなければ──『今』のジュイであれば──無理にでも愛想を振りまいて周囲からの好感を得ようと思い付いたのかもしれない。
しかし、ジュイは子供だった。どうしようもなかった。1人でただ、唇を噛んでいるしかなかった。
前・院長はそれとなく、他の子供達に注意をしてくれていたように思う。
子供の陰口ばかりで盛り上がるお手伝い達も、いつの間にか来なくなっていた。これも前・院長の采配だろうと思う。
だが、彼はあくまでも『子供達には平等に接する』院長だった。ジュイだけを構い、優しくし、贔屓する事はしない院長だった。冷静に、平等な人だった。
とは言え。陰口を叩かれ、皆を嫌いになり、余計に陰口を叩かれる…ジュイが陥っていた悪循環については、心配してくれていると伝わっていた。
ロウセンがハヴィット孤児院にやって来てジュイと仲良くなった際。前・院長も嬉しそうにしてくれていたからだ。
だが。…とは言え。その日までのジュイは、本当に。自分自身も含めた世の中全てに牙を向け、空想の中でだけ楽しい思いをする…辛いばかりの日々を送っていたのだ。
◇
6歳で迎えた春、4月。…小学校に入学して、半月程過ぎた頃。
ハヴィット孤児院に、ロウセンが来た。
『小学校』という…孤児院の外でも、同年代の子供達に囲まれ。同じような反応と扱いしかされていなかったジュイは、ロウセンに対しても警戒心しか持っていなかった。
しかし、1週間程経って。ロウセンの方から──恐る恐るだが──声をかけて来て、直ぐ仲良くなったのだ。
他人に恐怖心だけを感じてしまう子供だったロウセンには、『大勢の人の輪に入る事』は難しかったのだろう。いきなりやるには、勇気が足りなかったのだろう。
故。まずは1人で居る子。それも、己と同じで他人という物を好ましく思ってなさそうな子に声をかけたのだ。おそらく。
そして、子供の頃のロウセンは自ら話題を提供するのが苦手な子だった。聞く側に回る方が好きな子だった。
対するジュイは、自身の胸中や、嫌いな物や、読んだ本の事や、将来の展望についてや…とにかく──今まで誰にも聞いてもらえなかった分──自分語りをしたがる子だった。
ぴったりと、望む物と望まない物が合い。加えてロウセンが、人の外見を一切気にしない──むしろ気に留まらない──性分だった事も手伝って。2人は本当に仲の良い友達同士になれた。
広い神都にはいくつか小学校があり、その全てがとても大きな学校だ。
生徒の数も勿論とても多く、クラスが同じになりでもしない限り、同じ年齢の子達ですら名前や顔を把握出来ない。
逆に言えば、クラスが同じなら名前や顔を覚えられるので。子供達はほぼ全員、同じクラスの子と仲良くなっていた。
だがジュイは──校舎が違う程、遠くのクラスでもなかったので──授業が終わる度、ロウセンの所へ行き。ロウセンもまた、毎日ジュイのクラスまで来てくれていた。
小学校でも、孤児院でも。2人は仲良く楽しく過ごしていた。
そして、小学校でも孤児院でも。ロウセンが『ジュイと仲良くしている変わった子』という目を向けられていたのを、ジュイは知っていたが。
子供のジュイは。そして、これまで1人ぼっちだったジュイは。ソレを理由にロウセンから離れようなどと、思いもしなかった。
「早く『学校』って場所に行かなくていいようになりたい。大人になりたい」
ジュイはよく、そう言っていた。
「どうして?」とロウセンに問われた際は、「学校が嫌いだから」としか答えなかった。
それも間違いではなかったが、もう少し深く言えば「自分とロウセンが喋っているのを、いちいち気にされるから」…嫌いだった。
大人の友達同士なら。どこで会話していようと仲良くしていようと、誰にも気にされない。ロウセンも変わった人間扱いなどされない。早くそうなりたい。
…と。小さな後ろめたさや、ロウセンへの申し訳なさも、当時のジュイは感じていたのだ。
こんな風に。誰かに謝りたい気持ちを抱いたのは、ロウセンが初めてだった。
──初めての、友達。ジュイにとってのロウセンは…余計な物など何も混じっていない、ただただ感謝しかない大切な友達なのだ。
◇
時が経ち。
小学校2年生の時は──おそらく前・院長が学校に掛け合ってくれたのだろう──ロウセンと同じクラスだった。
2人だけで過ごしていたのは相変わらずだったが。そして、周囲からの扱いも変化無しだったが。…ジュイは大分、穏やかな心を保っていた。
3年生になっても、ジュイとロウセンは同じクラスだった。ジュイの状況も心境も、変わらないまま。2人は進級した。
だが、その春。3年生になって、ほんの数日が過ぎただけの頃。──ハヴィット孤児院に、カノハがやって来た。
通っていた学校は同じだったが、何せ広い学校だ。ジュイもロウセンも、カノハの事を全く知らなかった。
…故。後から人伝に──小学校の子供達の噂等で──聞いた話だが。
当時のカノハはいわゆる『人気者』だった。
勉強が出来るわけではないが、運動神経は平均よりも良く。何より、いつでも誰にでも笑顔で明るく、人当りも愛想も良く、友達が多く。発言力があって、輪の中心に居て、彼のイエスマンが大勢存在しているような。
そういう子供だった。
その彼が孤児院に連れて来られた日。
おそらく…孤児院に入る事が決まってしまった事件からは、何日か過ぎていたのであろう日。
まだ立ち直り切っていないような顔で、無理に作ったような笑顔で、孤児院の子供達に紹介された日。
「皆、仲良くしてあげて下さいね」と微笑む前・院長。「カノハくんだー!」と不謹慎に無慈悲に喜ぶ子供達。
自分を取り囲んだ彼らの合間を縫って、カノハの目は隅で座っていたジュイを見つけたのだ。
暗い陰のあった笑顔が、きょとんとした無表情へ変わって行く様子を…ジュイは妙に鮮明に覚えている。
「……?」
ロウセンと並んで座っていたジュイが、疑問符を飛ばした時。カノハはそろそろと、慎重にこちらへ近付いて来ていた。
そして、じっとジュイを見て。…しばし黙った後。そっと、ゆっくり、言ったのだ。
「…美術室の…絵画か、彫刻みたい」
小学校に沢山、孤児院にも何人か居た…カノハの友達・取り巻き・イエスマン達が、この発言をストレートに『悪口』と受け取り。「カノハ君もああ言ってたから!」と勢いを得。
ジュイの周囲の環境──避けられたり、ヒソヒソ陰口を言われたり──は、この後しばらく悪化する事になった。
…ジュイにとってのカノハは最初、本当に・物凄く・滅茶苦茶・大っ嫌いな奴、だったのだ。
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