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7話
①
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ファッションの話、着る物の選び方の話、冒険者として見て来た世界の話──作り話──、撮影中の裏話…などなど。
『適当な世間話』としか言えない会話をしながらのティータイムが終わり、テナエを駅まで送り届けた後。
「…………」
ビィズはトボトボと自宅までの道を歩いていた。
18時。時刻はまだ夕方と言える範囲かもしれないが、空の色は既に赤ではない。夜の空だ。
「あれ、テレビに出てる人じゃない?」という声が聞こえたり、「ビィズちゃんだー!」と言う声に振り返り小さく手を振ったり、「こんばんはー」と挨拶してきた人に頭を下げたり。
…道中色々ありはしたが、何1つ頭にも気にも留まらなかった。
(本気で、本当に。…目ツキと同じくらい性格も悪いクソ女…じゃ、全然なかった……)
服の話も、即興で作った冒険譚も、テナエはワクワクを隠そうともせず常に目を輝かせながら聞いていた。
時が経つにつれ、彼女が善人である事を思い知り。「ロウセンは何でこんな女を」という気持ちは消え去り。むしろ、ぼんやりと納得までしてしまっていた。
(目ツキが悪いとか、服装が地味とか。一瞬見ただけで分かる外見…。大人しそうで愛想も無さそうっていう、何となくの印象…)
そういう物だけでテナエの行動を『睨んで来ている』としか思わず、性格が悪いと決め付けた。
たった数秒で得た、外側についての情報だけで。嫌いになった。
(…ソレは。俺が散々やられて来て、散々ムカついて来た…1番やられたくない事だったのに)
自分がやられたくない事を、自分は他人にやっていたのだ。
…テナエの件で気付いただけで、もしかしたらテナエ以外の人間にもやっていたのかもしれない。
(それに比べて、あの女のビィズに対する印象は…)
見た目が好みでビィズに憧れていた、生で会って一旦満足した、しかし偶然──ではないが──1回話をする機会があり優しい人だと判断した故もっと話したくなった。そういう流れだと思える。
つまり、『見た目がいいから性格もいい』とは判断していなかった。己自身が実際に、それなりの言葉を交わしてみるまで。こう、とは決め付けていなかったのだろう。
(…1つも勝ててない)
そもそも、性別の問題がある。ジュイの2度目の恋はテナエが居ようと居まいと叶わなかった物だ。
しかし、その大前提を無い物としても。そして、仮にビィズが本当に正真正銘の女性だったとしても。…テナエには勝てなかったと分かる。
ロウセンに限らず、老若男女問わず、全ての人が「テナエの方が好きだ」「仲良くするならテナエの方だ」と言うだろう。
…『性格の悪いクソ女』は──実際は男だが──ビィズの方なのだから。
(地味とか、目ツキ悪いとか…そういう、見た目だけの問題じゃないんだ。他人に好かれるかどうか、なんて)
愛想が良いか悪いか、愛嬌があるか、優しいか、いつもどんな表情をしているか。…そういう所なのだ、おそらく。
(本当は分かってたんだ…。…大分、はじめっから)
子供の頃から恐れられてばかりだった、ジュイの美貌。それを少しいじっただけの、ビィズの顔。
あまり変わらない物のはずなのに、どうしてジュイは恐れられるだけで好かれなかったのか。どうしてビィズは、受け入れられて好かれていたのか。
その理由もつまり──そういう事だ。大分はじめから、分かっていた。
…ただ、愛想の振りまき方すら分かれなかった幼少時の自分が惨めになりそうで──今更、万人に好かれたいと思えないのもあって。分からないフリをしていた。
(最近の。態度クソ悪くて面倒臭いビィズに、声かけてくれるスタッフが減ってるの見ても。…中身と態度なんだって、よく分かる)
自嘲の笑みが口元を歪める。
テナエに対する、清々しいまでの敗北感が胸中を満たしている。
気付けば自宅に到着していたビィズは、意識せずとも出来る慣れ切った動作で玄関の鍵を開け、中へ入った。
もやもやと。ぼんやりと。しっ放しの頭は、手に対して開けた扉を閉めろという指示を飛ばさない。
ただ、ふらふらと。足が勝手に進むまま寝室へ行き。へなへなと、床に座り込む。
「……」
明かりも点けられていない部屋の中、暗闇にぼうっと浮かぶ時計は18時半を少し過ぎたと示している。
そちらへ目を向ける事はせず、ただ黒い虚空を見つめるビィズの脳内に…テナエの言葉が響いた。
『…つ、つまり私は……ビィズさんの、大ファンなんだ…!』
──この言葉のせいで。今、ビィズの…ジュイの胸中には、完璧な敗北感以外の物が1つ在る。
(ビィズ・ピンクショコラ…)
新しい人生が始まるかもしれないと、夢と希望を抱いて作った2人目の自分。
夢を夢でなくすため、嫌われないよう演技をし、好かれるよう演技をし、奮闘していた2人目の自分。
好きな相手にスキンシップをしまくるという、自分では出来なかった事をやれた2人目の自分。
終始己の野望の事しか考えていなかった2人目の自分。
叶えたかった恋が最初から叶わない物だったと気付き、これまでの努力も行動も全てが無意味になった2人目の自分。
自分が好きになれる自分でありたい、と。そんな些細な願望も無理になった2人目の自分。
存在意義の無い奴だと、本当にどうなろうとどうでもいいと──自分自身にすら見捨てられていた、2人目の自分。
(…そんな、ビィズの……ファン)
楽しみと勇気と希望を貰えている。彼女はそう言っていた。
おそらく、彼女以外にも。そんな風に思っている『ビィズのファン』が、神都の中に居るのだろう。
(ビィズの存在を…『要らない』って思ってない、人達が…居るんだ…)
ジュイにとって、ビィズは要らなくなった物だ。…夢破れて、失敗作として終わった物だ。
組み立てている途中で重要なパーツが無いと気付き、泣く泣く完成を諦めたパズルのような…そういう物だ。
(ソレを。…好きだって、応援してるって、娯楽番組…楽しみにしてるって、思ってる人達…。…ビィズのファンが…)
居る。彼女自身も『そう』な、テナエ・リュヌガーデンが教えてくれた。
ジュイにとって要らなくなった物である、ビィズを────必要としてくれている、誰かが居るのだ。
「…………」
じんわりと胸が熱くなる。
今、ビィズの。ジュイの胸中には…完璧な敗北感と、誤魔化しようのない『嬉しさ』が在った。
(駄目だ。…もう)
この2つが在ると、理解してしまった以上。自分はもう、テナエ・リュヌガーデンの事を嫌いにはなれそうにない。
嫌がらせも八つ当たりも、やろうという気は2度と芽生えてくれないだろう。
──だが。
(もう、いいや……)
敗北感や嬉しさの存在が在ると、理解すると同時に。
ジュイは今──テナエに八つ当たりをしてやろうと思った原因である──怒りや嫉妬心が消え失せているとも理解していた。
何もかもが無くなって、空っぽになって、呆けてしまいそうな。しかし、不思議とスッキリしているような。晴れ晴れとしているような。何もかも馬鹿馬鹿しくなったような。
…まさしく「もういい」としか思えない。そんな心境だった。
(最初の野望は全部、駄目になったけど。…ビィズが誕生した事は今更、無かった事に出来ないし…せっかくだから、もう1回ちゃんと愛想のいいビィズに戻ろうかな)
無理をしているレベルで可愛い子ぶる必要は無いが。ソレを100とし、今を0とするなら、50ぐらいには戻してもいいと思える。…戻してみようかと思える。
(ただただ皆に嫌われる、なんて事にならない。…大勢に好かれる、人気者の俺)
25歳のジュイは、もう抱く事すらない…「特に欲しくはない」と思っている夢。子供の頃のジュイが、悔し泣きをしながら妄想した事もある夢。
その夢を、ほんの少し叶えるだけなら。ビィズには出来るかもしれない。
(……ガキの頃の俺を、ちょっと救ってやって。そのついでに、ビィズのファンって人達を満足させてやれれば。…それでいいよね、ビィズ・ピンクショコラは)
タレント冒険者の契約期間、残り約半年。
ビィズとしての仕事を続けるための元気が、僅かに、だが確実に。ジュイの全身から溢れ出て来ていた。
「よし…」
小さく零して、立ち上がる。
半年が過ぎた後の事──おそらく、ロウセンに惚れるより前の日常が帰って来るであろう事──は、今は考えなくていい。
今はとりあえず、ビィズとして再び一時。些細な夢を叶えるためにやるべき事だけ、考えていればいい。
(とにかく、えーっと…。風呂…か、飯…)
そう思って寝室の扉を振り返った時。──こちらへ近付いて来る靴音が聞こえた。
「…?」
ジュイが疑問符を浮かべると同時に、靴音は直ぐ側まで来て…止まる。
数秒、静寂が続いた後に聞こえて来たのは、靴音ではなく。他の何よりも聞き慣れている声だった。
「…ジュイ? もう帰ってるんだよな? 玄関のドア、開いてるぞ。戸締りぐらい本気でちゃんとしろ、馬鹿」
「────」
しまった、と。その一言で頭が埋め尽くされる。
焦り、下へ横へと視線を動かし確認するが。目に映ったのは、フリフリなスカート。ピンク色の長い髪。…今の自分はビィズの姿をしているという事実だ。
混乱する全身が何処かに隠れようとする。変身の魔術を解こうとする。…しかし、そのいずれもが成されるより先に。
「電話したのに、出もしないで何やって…………」
カノハが寝室を覗き、無情にも明かりを点けたのだった。
「……」
「…………」
そして双方共、声も出せず、動く事も出来ないまま。10秒程の時が過ぎ。
「…何やってるんだ、お前」
以前、『波間の月影』で1度だけ聞いた…低い声が。カノハの口から零れた。
「何をやっているのか」。この問いに答える事など、ビィズには当然出来ない。この状況において、どういう言動が最適解なのか。急いで思考を巡らせたいが、混乱状態の解除すらまだ出来ていない。
今のビィズに出来ているのは、ただ慌てる事だけだ。
「ここで……──何やってる!!」
勿論。カノハはビィズが落ち着くまで待ってくれはしない。
欠片も隠されていない怒りをこちらへ向け、同じ問いを繰り返して来る。
「…っ! ……」
『波間の月影』で──ビィズとして──カノハと対峙した時と同様。
ジュイで居る時には、本当に1度も向けられた事の無い…カノハからの敵意に。ビィズは即、怯んでしまった。
足が震え、喉に何かが詰まったような感覚が生じる。…声はもう、マトモに出せそうにない。
「他に人の気配は無いし、ジュイはまだ帰ってないんだろうな。じゃあ、お前はどうやって入った? 勝手に鍵作ったのか、盗んだのか!?」
「そ……それ、は…」
「何しに入った! 何やってやがった! 全部断られた腹いせに、金とか盗みに来たのか!? 荒らしに来たのか!!」
「…違…っ」
出ない声で必死に答えようとするものの、自分自身にすらほぼ聞こえていないビィズの声は、カノハには全く届いていない。
…否。そもそも、カノハの方に『聞く気』が一切無いようだ。奴は敵と認識した相手に、ひたすら怒りと憎悪をぶつけているだけだ。会話をしようとはしていない。
「ふざけるなよ…! …冒険者…っ!!」
一際低く、重い声。
眩しい黄緑色の目に、容赦無く睨み付けられ。…ジュイは、はっとした。
「また、オレの知らない間に好き勝手しやがるつもりか…! オレの…!!」
──ほんの少し、かもしれないが。今、自分はカノハのトラウマを刺激してしまっている。
「ごめ…っ」
気付いた瞬間。ジュイは──今現在の己が『ビィズ』である事も、胸中に在った恐怖も──全て忘れて謝ろうとしてしまったが。
その謝罪の言葉が形になるより早く、カノハが叫んだ。
「出て行けッッ!! 今直ぐ出てって、二度とここに来るなッッ!!」
腕を掴まれる。
一応女性である──という事になっている──ビィズに対し、カノハは全く加減などしてくれない。
寝室から引っ張り出され、玄関までの短い距離を引き摺られ。加減が無いどころか、おそらく意図的に思い切り……押し飛ばされ。
自宅の外──集合住宅の廊下──に追放されたビィズは、倒れ込みそうになって反射的にバランスをとろうとした結果。側の壁にぶつかった。
「ちょ…っと! …話…っ」
復活した恐怖と焦りだけを抱え、ビィズはカノハに向き直る。
だが返されるのは、一切変わらない…むしろどんどん大きくなっている気すらする、敵意だけだ。
「早く帰れ!! ここはお前が来ていい場所じゃない…! お前の家じゃない、ジュイの家だっっ!!」
「…カノ……」
「お前ら、冒険者に…!! お前みたいな冒険者に…!!」
敵意────しかし、刹那。
「オレの大事な奴を、奪われてたまるかっっ!! オレの、1番…っ! 何より大事な、アイツに近付くなッッ!!」
滲み出た『ジュイへの』気持ちに。
ビィズは──ジュイは──再度、頭の中も胸の中も空っぽにされてしまった。
「な…なに、言って……」
唇が震える。
カノハが突き刺して来る物は既に、『ビィズへの』敵意だけに戻っている。
「…早く…っ! ────失せろっっ!!」
最後にそう叫ばれて。
ビィズは途中で振り返る事もなく、全力で集合住宅の出入口まで駆け抜けた。
そのまま外へ飛び出すと、風が頬を撫でて来たが。おそらく冷たいのであろうソレが、いつの間にか熱くなっていた顔を冷ます事は無かった。
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