かりそめ夢ガタリ

鳴烏

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6話

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 夏が終わった。
 いや。暑さはまだ少し残っている故、夏が終わったとは言えないかもしれないが──8月は終わった。

 ワクワクと、生き生きと。「毎日が楽しくて楽しみだ」という心境で始まった夏。
 そこからドン底まで沈み、沈んだまま終わりかけ、しかしコクトのお陰で僅かながらに浮上して……終わった夏。
 始めと終わりの落差を思うと改めて沈みそうになり──それはお断りなので──大きく息を吐いて考えないようにする。
 狭く静かな寝室内。その溜め息は、必要以上に空気を震わせた気がした。

「……」

 理由も無く視線を泳がせれば、少しだけ隙間が開いたカーテンから夜の空が見える。
 一応の、秋。9月になった…というだけで。そこで光っている星も、数日前までと多少違う物になっているのだろう。

「……!」

 ふ、と。目が『窓の向こう』ではなく『窓ガラス』に焦点を合わせてしまった。
 つまり、窓が大嫌いな自分の顔を映す鏡と化してしまった。
 …カーテンに近付き、少しの隙間も出来ないよう閉め切る。次いで流れるようにジュイは──生じた苛立ちを紛らわせようと──テレビのスイッチを入れた。

「この47区ってやっぱりデートスポットとしても人気だったりするのかしらぁー!」

 途端、聞き慣れた声が耳に飛び込んで来る。
 9月の初日にやっていた『毎月1日恒例! 先月の娯楽番組・総集編』──要するに受けが良かった回の受けが良かったシーンをマトメた物──の再放送だ。

「今回のメインはゴーストハウスだけど、他のアトラクションも楽しそうよね!」
「うむ。後日、改めて体験しに来てみたいものだな。適当に見渡してみただけでも興味深い物が沢山目に入る」

 遊園地の中、目的地であるゴーストハウスまでの道を行きながら、3人のタレント冒険者が会話をしている場面。
 否。会話をしているのは2人…胸中の苛立ちとモヤモヤを隠し、演技に集中している紅一点と。ゴーストハウスへの恐怖を隠し、必死で笑顔を維持している悪趣味貴族。…だけである。
 そして今ジュイの目は、一切会話に加わろうとしていない3人目だけを見ていた。

 ……コクト・カプシカム。

 ジュイとして初めて会った時から、巨大な疑問を抱かせて来る相手だった。
 先日、悩み事の聞かせ逃げをする相手として話をして、その疑問は更に巨大になった。
 それ以降…撮影の際にビィズとして数回顔を合わせたが。コクトはやはり、ビィズ──ジュイ以外──に対しては相変わらず、愛想もやる気も感じさせない態度だった。

『ただの印象で物を言って、悪いんですが…。キミは、人に本気で惚れる…という事をあまりしない人な気がして』

 ふと。悩み相談をしていた際、コクトに言われた言葉が蘇る。
 そして、ふと。不思議に思う。
 他人に『ただの印象で物を言われる事』はジュイにとって、不愉快でしかない事だ。その内容が当たっていようが外れていようが関係無い。
 「お前に俺の何が分かるんだ」と。そんな反論を浮かべる以外の反応は出来ないはずなのだ。

(…でも、そうならなかったんだよね…)

 本当に不思議だ。
 ただただ素直に頷き、肯定の意味を込めて「はい」と答えただけだった。…自分のその反応が、不思議で仕方が無い。

(なんなんだろ、あの人…)

 コクトが自分に対してだけ、やたらと優しい事も疑問だが。自分がコクトに対して感じている諸々も、疑問だ。
 優しくしてくれた、いい人だ──という理由で芽生えた信頼感、だけではない。
 「この人は本当に俺を分かってくれている」という絶対的な信用が在る。妙な懐かしさを感じる。そもそも──ビィズの姿で──初めて会った時から、何故か嫌いになれないと思ってしまっていた。

(…………なんなんだろ)

 テレビの画面の中。
 会話を続ける2人の後ろで、堂々と欠伸をしている彼を見つめる。
 面倒臭いと書かれた顔にすら……謎の安心感が生じ、流れるように心地良さが胸を満たし、夜更かしする気も失せ。ジュイは彼にうつされる形で欠伸をして、ベッドに転がり目を閉じたのだった。





 誰かに話を聞いてもらう、という行動をしたお陰で。…その相手がコクトだったお陰で。
 ジュイの気持ちは──完全に、では勿論ないが──実感出来る程度に軽くなっていた。
 『元気になった』とは言えずとも『元気が無い状態』からは1歩、抜け出せたような。8月が終わったから夏バテも治ったと言っても通用するような。そのくらいには、なれていた。
 故、コクトに提案され自分でも実行しようと決めた事……ロウセンに、好きな女性が居るか尋ねてみる事をやろうとしたのだが。
 先に1つ。僅かでも元気が出たのなら、今の内にやっておこうと思う事がジュイにはあった。

「…外で昼、食べて来ます」

 言いながら立ち上がり、素早く扉へ向かう。
 途中、研究所の同僚達が何人か目に入り、もれなく全員が「珍しいな」と語る表情をしていたが。気にはしない。

「あれ、珍しいですねー。いってらっしゃいませー」

 そう言うだけ言って、直ぐ手元の資料に視線を戻した所長と同じく。
 この場に居る全員が「珍しいな」と思う以上の事はしないのだ。つまり、そう思っていると分かる表情をされても気にする必要は無い。
 部屋を出、扉を閉める直前に確認出来た範囲には、ジュイの方を向いている目は1つも無かった。…有り難い職場である。

 素早く足を動かして、研究所から外へ行く。いつも通る道を行き、最近は横切る気力も無かった中央通りを横切る。
 目的地は、お気に入りのバー…『波間の月影』だ。





「……昼間っから飲みに来たわけじゃないからね」

 いくらお気に入りとは言え、仕事帰り以外のタイミングでジュイが『波間の月影』を訪れる事は滅多に無い。
 いや、休日ならそれもあるのだが。今日は休日ではない。平日、仕事がある日の真昼間である。
 バーの中。いつものカウンターを挟んでこちらの顔を視認したカノハが、訝し気且つ呆れているような怒っているような…且つやや軽蔑しているような、そんな表情になったのも分からなくもない。
 が。そんな表情をされる謂れはない、と言うより誤解である。『昼間から飲みに来たのではない』…先の台詞の通りなのだから。

「本当か?」
「…本当だよ」

 一切変わらないカノハの表情に、ジュイは思わず唇を尖らせた。
 細めた目を奴から逸らし、眉間の皺の数を増やし。露骨に拗ねてみせてしまう。

「ちょっと思い出した事っていうか…思い当たる事っていうか。そういうのがあって、今この時間に暇も出来たから。…話? 報告? …を、しに来ただけ」

 暇は出来たのではなく──研究対象を探す期間なジュイには──いつでも有る物だが。あえて、そう言っておいた。

「今日は多分、いつもの時間に来れないしね」

 …こう繋げるためだ。
 今日、仕事が終わった後には、ビィズとしてロウセンを訪ねるつもりでいる。会えるか否かは分からないが、訪ねようと決意している。
 『今日』と決めたのなら、今日行きたい。明日にしてしまうと、決意が揺らぐかもしれない。ずるずると先延ばししてしまうかもしれない。それは望まない展開故、絶対に今日なのだ。
 だがその前に…先に。カノハへのちょっとした用件を済ませておきたかった。これが、わざわざ昼にこのバーへやって来た理由である。

「話が終わった後、せっかくだから1杯くれとか言うなよ」

 ──グラスを拭いていた途中で止まっていたらしい──手を動かしながら、カノハが言う。
 奴の顔は平時の物に戻っていたが、ジュイは拗ねた顔を維持したまま奴を睨んだ。

「言わないよ。俺の事、何だと思ってるわけ」
「酒好き、酒飲み、飲んだくれ、酒と肴だけで生きてる馬鹿」
「…間違ってないけど、流石にお酒の匂いさせながら職場に戻る程の馬鹿じゃないから」

 暗に不服だと伝えれば、カノハが小さく1度鼻を鳴らした。
 溜め息ではなく、鼻で笑ったのだ。嘲笑ではなく、イジりが成功して嬉しい…という意味合いで。

「……」
「で、報告だか話だか…何についてのだ?」

 やや機嫌を損ねるジュイに、カノハは悪びれる様子もなく本題に入れと言って来た。
 とりあえず、『昼間から酒を飲みに来た疑惑』は晴れたらしい。無音の溜め息を吐いてから、ジュイは口を開く。

「怪しい話とか、変な勧誘とか、オマエが気にしてたっぽい事。思い当たる出来事があったのを思い出したから」
「! ……て言うと?」

 一瞬でカノハの顔が強張ったが。…特に触れず。
 とにかく軽い話に聞こえるよう、それだけに気を遣いながらジュイは続けた。

「確か7月が終わる直前くらいだったかな。今年のタレント冒険者やってる、ビィズって女が居るでしょ。アイツが家に訪ねて来てね」
「…………」
「どうもあの女、俺の実の妹らしくて。…まぁ、そういう存在が居ても全く驚かないっていうか…むしろ、そりゃ居るだろうなって感じなんだけど」
「あぁ…。まあ…そうなのかもな」
「とにかく、いい仕事があるだの神都で運命の人に会っただの…わけ分かんない話をベラベラして最終的に家と仕事譲れって言われてさ」

 そこまで言って、口を閉じ。大きく息を吸って、大きく吐き。
 ただただ不愉快な出来事だったと思っている事が伝わるよう、思い切り眉を顰め。

「フツーに追い払った。丸ごと全部お断りして、もう俺の家には来るなって言ってやったよ」

 と、締め括った。

「……そっか」

 カノハの周囲に在った緊張感が分かり易く緩み、ことりと静かな音が鳴る。いつの間にか止まっていた奴の手が動き、カウンターの上に空のグラスを置いた音だ。

「気にしてた件、これで合ってる?」
「ああ。…お前より先にビィズさんに会って、色々聞かされてて…気にしてた」
「そ。多分、もう大丈夫だと思うよ。悔しそうにむくれてたから、しつこくされるかもって予想してたけど。2回目の訪問は今の所無いし、諦めたんじゃない」
「…ん…。なら、いい。…良かった」
「……」

 純粋な安堵のみが滲む声と微笑。…本当に安心したらしいカノハを見、ジュイの胸中で何かが騒ぎ始めた。
 嬉しいような、気恥ずかしいような、苛々するような、モヤモヤするような、それら全ても含めた様々な物が混ざって渦を巻くような。
 そんな感覚が自分の内側から身体を刺し、小さな痛みを与えて来る──心地良いとは言えない状態に陥ってしまう。

「とりあえず、一応しとこうと思ってた話はそれだけ。お昼も済ませたいし、もう行くね」

 渦に呑まれる前に。嫌な状態が悪化する前に。この場から離れようと、ジュイは話を切り上げる。
 素早く出口の方へ向き直るジュイに対し、カノハが頷きカウンターから出て来て言った。

「分かった。…ちゃんとした飯らしい飯を食えよ」
「はいはい、分かってまーす」
「あぁ、そうだ。夏バテに効く物の1つは野菜ジュースらしいぞ。野菜ジュース出してくれるトコに行ったらどうだ?」
「絶っっ対に嫌だ。夏バテも治って来てるし、要らない」
「夏バテに良くない物の1つはアルコールなんだとよ、飲んだくれ」
「うるっさい、バーカ! そんなコト言うなら野菜ジュース使った美味しいカクテルでも作って用意しててくれる!」
「…それって効くのか駄目なのか、どっちなんだ」

 適当で浅い世間話をしつつ、店の外まで見送ってもらい。互いにヒラヒラと手を振って「またな」「またね」と言い合って。
 店の中へ戻るカノハを確認した後、ジュイもゆっくりと歩き出した。
 聞こえて来る様々な騒音を意図的にしっかり認識し、意図的に煩わしさを芽生えさせる事で…先刻生じた嫌な感覚を忘れ去る。上書きする。
 そして、いつも通り俯きながら進んでいる内に。

(…コクトさんが教えてくれたコーヒー屋で、サンドイッチ以外の物も食べてみようかな)

 ジュイの頭は『昼食をどうするか』という議題についてのみ考えており。胸の中は、カノハにしておきたかった話が済んだ…小さな達成感のみで満たされている。
 …そういう状態になれていた。





 夕刻。進捗はほぼ無かった仕事の時間が終わり、同僚数人に「お疲れ様」と挨拶をされた後。
 ジュイは予定通り、人の気配など全く無い路地裏へ駆け込んで変身の魔術を使った。
 ビィズの姿で真っ直ぐ駅に向かい、列車に乗り、第2区の駅で降り。余計な戸惑いや躊躇が湧き出て来る前にやってやると…とにかく早足で──ほぼ小走りで──進みまくった。

(──……居た…!)

 そうして辿り着いた、ルナクォーツ家の門が見える曲がり角。
 間違えようも無く、はっきりと。ロウセンの姿を捉える事が出来た。
 彼も、今日の仕事は終わったのだろう。気の抜けた顔でのんびりと、門前の掃除──おそらく中途半端に空いた時間の暇潰し──をしている所だ。

(落ち着け…大丈夫…)

 思わず呼吸を止め、唾を飲み込む。…ゆっくり、呼吸を再開する。両目を閉じる。
 ジュイが酒の勢いで抱き着いた時の、とにかく嬉しそうな笑顔。グイグイ押してベタベタしまくるビィズへの、焦りと困惑の笑顔。テナエに向けられていた温かい笑顔。
 それぞれが脳裏に浮かび、手足が小さく震えたが。

(…今日はベタベタしに来たわけじゃない)

 つまり。直視出来る気がしない、それらの笑顔はどれも。今日、ロウセンの顔に形作られる事は無い。

(今日は、答が分かってる質問をしに来ただけなんだ…!)

 ロウセンには好いている女性が居る、という予想を。『予想』から『事実』に変えてもらうために。
 そうする事で、しっかりと2度目の恋を終わらせて、諦めて──胸中に在る辛さを別の物に変えるために。

(…よし!!)

 閉じていた両目を、カッと開き。両の手で思い切り握り拳を作る。意を決して、曲がり角から飛び出す。
 途中で不要な思考や迷いが生じないよう…大股で、弓から放たれた矢のような速度で、ビィズはルナクォーツ家の門前まで前進した。
 直ぐ白銀色の猫目がこちらに気付き、やや戸惑ったように揺れ。
 その猫目の下にある鼻…の下にある口が、「こんばんは」の『こ』の字を作ろうとしたと分かる動きを見せたが。

「────ロウセンくんっっ!!!!」

 先にビィズが全力の大絶叫を以って、尋問の開始を宣言した。


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