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5話
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雲1つ無い晴天、派手な柄と色をしたパラソルの下。
口に咥えたストローを吸い上げれば、レモンジュースのほのかな甘味と爽やかな酸味が舌を楽しませてくれる。
遠くから聞こえてくるのは楽しげな音楽、楽しげな人々の歓声や笑い声、沢山の魔法装置が豪快に動く音。
そして近く──本当に近くからは。
「なぁー…んか、もう。…ホント。なぁ~~…んか、だわー……」
ストローを離した自分の口から漏れる、やる気皆無な声。
「…………」
同じパラソルの下に居るレンゲルと、隣のパラソルの下に居るコクトが、2人揃ってこちらへ視線を寄越した。
…今日は撮影の日だ。
スタッフ達が撮影前の打ち合わせをしている最中なので、ソレが終わるのを待っている……ほぼ毎回恒例の時間である。
「何やら…ご機嫌斜めか? ビィズ嬢」
裏表の無い、ただただ心配そうな声でレンゲルが尋ねて来た。
ご明察の通りご機嫌斜め──どころではない状態──なビィズは、視線を返す事すら出来ない。
左腕で頬杖をつき、右手にあるレモンジュースを1口飲んで、短く勢いの良い「フン!」という溜め息を吐く。
「なぁ~んでもないわよ。機嫌だって悪くないし、撮影が始まったらちゃんとやるし。構わないでもらえるー?」
言い捨て、上品とは言えない音をたてながらレモンジュースを飲み干せば。
レンゲルが小声で──妙にションボリと──「そうか」と零し、次いでコクトが鼻を鳴らした。
「被ってた猫に逃げられたんですか? あぁ、いや。化けの皮が剥がれて来たって言った方が相応しいですかね」
可愛らしさだけは意図的に保つ……事も出来ず。
「うっさい、バァーカ!」
9割以上、素のまま。要するに『ジュイ』のまま、不機嫌全開の返事をしてしまう。
2人がストレートに驚いた気配が漂って来たが。取り繕う気力以前に、取り繕おうという考えすら、今のビィズの胸中には浮かんで来なかった。
◇
アズヴェルデ神国の首都・神都ブルグリューネ。
まだまだ発展して行く魔術や魔法装置の力によって新しい区の開発も進んでいるが、今ある区の数は47だ。
そして現在最も大きい数字を持つ、つまり最も新しい区。第47区。
ここは区全体がいわゆる『遊園地』『テーマパーク』…そういう物になっている、観光用かつ遊ぶ用の区だ。
「夏も折り返し地点を過ぎた8月、という事でですね! 来週から2週間、ゴーストハウスが期間限定のスペシャル仕様になるんですよ!」
顔面に滲み出る汗を柔らかそうなタオルで拭きながら、娯楽番組制作部・最高責任者であるミーチェバロクが説明してくれる。
共に仕事をし始めて4ヶ月も経っているのだ。タレント冒険者3人に向ける彼の笑顔は、安心と信頼に彩られていた。
「まぁ、アレですね! 今日の撮影は、そのスペシャル仕様・ゴーストハウスの先行体験! こんな感じですよーという宣伝です!」
「…………」
しかし、安心と信頼を送られた3人は全員もれなく沈黙した。
笑顔のまま疑問符を飛ばすミーチェバロクに、まず問いかけたのはコクトだ。
「すみません。ボク、ホラーって物を微塵も楽しめないというか、怖いと思えない人種なんですけど。そういう人間が入るゴーストハウスって面白味に欠けません?」
「えっ」
笑顔のまま、ミーチェバロクが目を瞬かせる。
「…アタシもホラー強い人間なんだけど。急にドーンって驚かせてくるような演出に少しだけビックリしちゃうくらいよ」
「え…」
ビィズの追撃に、ミーチェバロクの笑顔がやや引きつった。
「い……いや、待ってもらいたいのだが」
その中で、レンゲルが恐る恐る手を挙げる。
ミーチェバロクが「もしかして」と書かれた顔で彼に向き直った。その顔は心なしか、青ざめて見える。
「我は、オバケだのホラーだの…は。…本当に、苦手…で。この上ない醜態を晒す事必至…故…。ゴーストハウスは、い、嫌なのだが…?」
「……」
数秒の、間。
「大っ丈夫ですよぉっ!! レンゲルさんっ!!」
目をキラキラと輝かせ、ミーチェバロクが叫んだ。
その顔には「そういう人を待っていた」と大きく書かれている。いや。書かれているのは、1人だけでも『そちら側』が居た事への安堵かもしれない。
「コクトさんとビィズさんは怖くないとの事なので、レンゲルさんはお2人を頼りながら是非! 是非是非、楽しんで下さい!!」
タオルを握り締めて言う中年に、レンゲルはやや引いている。たじろいでいる。
その様子を見、コクトがすかさず中年に加勢した。
「その方が面白そうですし、先頭を任せますよ。ボクは後ろに居ますね」
「な、なに…!?」
「…じゃあ、アタシはあえてわざとらしく怖がってるフリしながら真ん中歩くわね」
「ビィズ嬢まで!? そんな…!!」
多対1に持ち込まれ、周りの全員から期待の眼差しを向けられ、レンゲルはプルプルと震え出したが。
最終的にはヤケクソ気味に、
「──良いだろう!! それで神都の民が楽しめるのなら、我はゴーストハウスにも!! 全身全霊で挑んでやるぞっっ!!」
と叫んだのだった。
◇
ギィ、と異様に響く音をさせ。重い扉を開けてゴーストハウスに突入する。
館の中はとにかく暗い。冷たい霧が隙間無く漂い、肌を撫でる。床には真っ黒な蜘蛛が行き交い、窓の外では蝙蝠が目を光らせている。
…勿論、全て偽物。魔法装置で発生させている霧と、それそのものが魔法装置な蜘蛛や蝙蝠だ。
「ふ、ふふふ…! 怯える事は何も無い…! この館内には今、真実など1つも存在していないのだ…! 全て嘘、嘘なのだからな…!」
一方的に進んだ話し合いの通り、先頭を行きながら。レンゲルは必死で不敵な笑みを作っていた。
しかし、足は震えている。そのせいか、前進する速度は非常に遅い。
「やだ、超怖ぁい~! レンゲル様、コクトくん! ちゃんとアタシの事、守ってよ~!?」
そしてビィズは宣言通り、わざとらしく怖がっているフリをする。
カメラや自分以外の2人の耳がどう捉えたか。…分からないが。少なくともビィズ自身には、先の己の台詞は『物凄く棒読み』に聞こえた。
仕方がない。正直な所、今のビィズに演技をする精神的余裕など無いのだ。仕方がない。そう自分で自分を許しておく。
(て言うか、撮影中は今まで通りのビィズで居るってだけで偉いよね。俺は)
などと、ついでのように自分で自分を褒めてもおくが。…これは違う、と勿論分かっている。
精神状態の不調に引っ張られるまま可愛い子ぶる演技を辞め、良いとは言えない本来の性格を曝け出せば、全神都民から悪く思われる。不評ばかりが集まり、嫌われ、蔑まれる。
…確実に訪れるであろう、その未来を受け入れる度胸がビィズ──ジュイ──には無い。
つまり『可愛いビィズ』で居続けている理由は、それだけだ。人のためでなく、自分のためだ。自分の心を──今より最悪な状態にならないよう──守るためだ。
(本当に、感謝して欲しいよ。紅一点のビィズが急に性格ブスになったら、それだけで今年の娯楽番組はやってけなくなるに決まってるんだから)
だが、ビィズは心中で自分を褒め続ける。違うと分かっていて、褒め続ける。
こうやって『今・目の前』に集中していなければ、それこそ棒読みでの演技すら出来なくなってしまう。見えてしまった2度目の恋の結末に、思考も行動も表情も、全て持って行かれてしまう。
(だから、とにかく今は怖がるフリをしてやる偉い俺で居てやって──)
意図的に考える事を制限しながら、意地だけで前を見。視界の端に映った窓の外で飛び立つ蝙蝠を見。
「きゃ…………」
ビィズは悲鳴を上げようとした。が。
「ひぃぎゃぁッッ!!?」
「……」
レンゲルに先を越されてしまった。
思わず完全な無表情になって彼を凝視してしまったビィズの後ろで、コクトが「っふ」と鼻で笑う。面白かったのか、ただの嘲笑か、判別出来ない笑いだ。
そんな2人の様子を確認する動きは欠片も見せず。レンゲルは件の窓に向かって仰け反ったまま、固まっている。
「レンゲル様ぁ~…?」
見せ場を横取りされて不満だ、という意味でビィズが唇を尖らせると。レンゲルの青い顔が極めてゆっくりこちらを向いた。
今日、その顔の左半分には何の偶然か…蝙蝠のフェイスペイントが居座っている。
「まだ入ったばっかりよ! 雰囲気とか空気とか以外に怖いモノ出て来てないってば!」
ビィズが頬を膨らませ、
「カメラ、大丈夫ですか? 今驚いた勢いで飛んで行ってません?」
コクトが皮肉を言う。
双方に対し「申し訳ない…」と謝りつつ、レンゲルは自身の額の辺りを確認する。当然、飛んで行ってなどないカメラがそこにあった。
…そう。ゴーストハウスに直接入っているのはタレント冒険者の3人だけだ。
遠隔操作が可能且つ空中を飛ぶ超小型カメラを3機。スタッフ達が外で操作しており。
それに加えタレント冒険者の3人がそれぞれ、超小型カメラ付きのヘアピンを前髪──なるべく額の真ん中に近い位置──に装備している。
「やはり……映り込むから、等と言わず…スタッフの者達にも付いて来て欲しかったな……」
悪役貴族が弱音を吐いた。
応え、コクトが再度「っふ」と鼻で笑った。今回はただの嘲笑だろう。
「全身全霊で頑張ってくれるんでしょ、レンゲル様ぁー。ほら、早く仕切り直し! 先頭行って、先頭!」
「き、鬼畜だな、ビィズ嬢…。いや、しかし、確かに我は全身全霊で挑むと言った…。言ったからには、必ずやり遂げねば…!!」
気合いを入れ直すように深呼吸した後、レンゲルは進行方向に向き直る。
廊下の先、何も見えない暗闇を見据え。顔の青さも足の震えも解消させられていないが、それでも1歩ずつ進んで行く。
その後ろを──わざとらしくチラチラと視線を左右へやりながら──ビィズは、狭めた歩幅で付いて行く。
更に後ろで、1人だけ何もかも平常運転なコクトが肩を竦めた。…奴の口元には未だ嘲笑が残っている。
「存外、苦労性ですよね。レンゲル君」
「ソレはちょっと可哀想と言うか他人事な言い方じゃない? 苦労性なんじゃなくて、真面目なのよ。レンゲル様は」
「あぁ…確かに。偉そうな物言いと変な服の趣味の割りに、真面目ですね。クソ真面目」
視覚も聴覚も全て、眼前の暗闇にのみ向けているのか。レンゲルには不真面目2人の会話は聞こえていないようだった。
そんな彼をばっちり映しているカメラがあると確認してから。…つまり、自分達2人が使えない映像しか提供していなくても問題無いと確認してから。
今度はビィズが鼻で笑った。
「確かにクソが付く真面目レベルかもだけど。それでも真面目なのはイイ事よ。アタシやアナタと違って、没になる画を作る確率超低いんだし」
「はい、イイ事以外の何でもないですね。レンゲル君が1番、神都に貢献してますよ」
自分よりもコクトよりも、レンゲルはあらゆる意味で・あらゆる面で、タレント冒険者に向いている。間違いなく、意味のある…必要な存在。
渇いた笑みを浮かべ、渇いた溜め息を吐き、ビィズは思わず声量を上げて言う。
「アタシは逆に、何のために居るのか分かんない役立たずよ。…色々、ぜぇーんぶ。失敗してる感すごいしー」
タレント冒険者として、ではなく。ジュイから見て、の話だ。
笑みを消し、もう1度渇いた溜め息を吐く。
「…悩みでもあるのか、ビィズ嬢? 我で良ければ、あ、後で聞くぞ…。後で、後でな…!」
流石に聞こえたらしいレンゲルが青い顔で振り返り、必死で作ったであろう引きつった笑みを見せて来た。
同時に背後では、コクトが小さく吹き出し……とても良い笑顔でビィズを追い抜いて来る。
「悩みか事件か何があったか知りませんけど、ま、ご苦労様です」
「……」
双方共、相変わらず。…そう思うしかない同業者達に、ビィズは眉を寄せて口を一の字にしたが。
『タレント冒険者』という仕事の面では、ビィズの現状は何も変わっていないのだと。相変わらずなのだと。思う事は出来た。
心の傷が癒えるわけでは全くないが、とりあえず今はこの『相変わらずな今』に集中していよう。そうすればその間だけでも、心の傷について忘れていられるはずなのだ。
(全部失敗した役立たず、には…なっちゃったけど)
ビィズで居られる時間には、ビィズでなければ得られない目隠しがある。
ジュイで居る時間にはそれが無い。どうしても、考えたくない事を考えてしまう。沈んでしまう。
(有り難い存在ではあるのかもね…。ビィズも、コイツら2人も)
そもそも、ビィズを誕生させなければジュイが諸々の事実に気付く事も無かったのだが。…今もまだ、かりそめの夢を見ていられたのかもしれないが。
ソレはソレと割り切っておく。割り切っておかなければ、どこまでも沈んでしまうだけだ。
「大丈夫よ、レンゲル様~。ほんの少ぉし、ブルーな気持ちなだけだから~」
とりあえず、心配そうな悪趣味貴族にだけ返事をし。ビィズは「早く進みましょ」と撮影の進行を促した。
頷き進行方向へ向き直ったレンゲルと、先刻前へ進んで行ってしまったコクト、2人の背を見つめ。撮影前でも撮影後でもない、『撮影中』の3文字を頭の中に叩き込み、他の全てを頭の中から追い出す。
そこからゴーストハウスの外へ出て、カメラが止まるまでの間。
──飛び出す首吊り人形や追って来るゾンビ等にいちいち大絶叫し驚いて──隙もボロも見せまくっていたレンゲルと違い、ビィズは完璧なビィズを演じ切って見せたのだ。
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