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4話
②
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猫を被っている、のだろうか?
彼は一般市民に対しては猫を被る人間、なのだろうか?
ジュイはまず、そう予想してみた。
しかしこれは間違いなく間違っている予想だと、直ぐ気付く。
…そもそも。コクト・カプシカムは本当にいつも。撮影前も撮影中も撮影後も。要するにカメラが回っていようがいまいが。『いつも通り』な男なのだ。
いつでも「面倒臭い」と書かれた顔をして、微塵も隠そうとせず、堂々と欠伸をしまくり、誰が相手であっても笑顔を見せる時はもれなく皮肉か嫌味付き。…その『いつも通り』を常時維持している男なのだ。
要するに。その『いつも通り』は画面越しに、全神都民の頭と目に刻まれている。
今更彼が一般市民に対して猫を被る意味など無い。己の印象を良くしたいなら、まずカメラの前でこそ猫を被るべきだ。
(大体、確か…コイツ。年配からの支持は微妙だけど、若者の一部とか同じ冒険者からは「デカい国相手の仕事でも媚びない所がいい」って受けてる、らしいし…)
本当に、一体何故。ジュイ──コクトの主なファン層である、若者──に。いつも通りではない態度を取って見せるのか。
(それとも、もしかして…こっちが素…? 本当はこういう感じの奴…? って……いや。だとしても)
皆が知っているいつものコクト。今ジュイの眼前で、ただただ優しく微笑むコクト。どちらが『素』だとしても。
結局、自分だけがいつもと違う顔を見せられている事は変わらない。
「……あの」
一体、何故なのか。気にせず流す事がどうしても出来ず、ジュイは意を決して口を開いた。
ちゃんと聞き取ってもらえるよう意識して、ジュイにとっては大き目の声を出す。
「テレビで見るのと…感じ、違いますね…」
「え、あぁ」
コクトの細い目が1度瞬き、それ以外の何でもない苦笑が浮かべられる。
「今日は気分がいいんですよ、ボク」
そして返された答は完全に、適当な誤魔化しでしかない物だ。成る程と腑に落ちる事など1つもない。
しかしジュイに出来たのは「そうなんですか…」と納得して見せる事だけだった。これがビィズであれば「それだけのワケないじゃない!」と食い下がれたのだが。ジュイには無理だ。
「…………」
何となく気落ちし、何となく苛立ち、会話を続けられる話題などあるはずもなく。ジュイはただ、俯いた。
膝の上にある自分の手を見つめながら、コクトに対して「じゃあもう早くあっち行けよ」と──勿論、心の中で──悪態を吐く。
「そちらは……その。ボクと違って、気分が悪かったりしませんか?」
「…?」
…しばしの沈黙の後、少し言い辛そうな様子でコクトが尋ねて来た。
質問の意味が分からず首を傾げてしまう。するとコクトはこちらから視線を逸らし、虚空を見つめ。
「今も、ボクが声をかける前も、気分が悪そうな表情をしてたので…」
そこまで言って、こちらを見。
「…乗り物酔い、とかですか? 大丈夫ですか?」
そう続けて、こちらの言葉を待つ態勢になった。
先刻の楽しそうな笑顔や嬉しそうな笑顔と同様、今も。彼の顔は、余計な意味など何も含まれていないと感じさせる…ただただ心配だと語る顔だ。
(いや……だから何で?)
心中で疑問符を巨大化させながら。その疑問符を段々不審に変えながら。
だが一応の知人に余計な心配をさせるのも居心地が悪いと、ジュイはとりあえず質問に答えておいた。
「大丈夫です…。乗り物酔いはした事ないですし…ただちょっと、目的地が遠いのに小腹が空いて来てただけなんで…」
「そうなんですか?」
「…はい」
「…そうですか」
納得してくれたらしい返事の後、コクトが再びこちらから視線を逸らした。今度はやや下、自身の足元を見つめ──ふっと小さな空気の塊を吐き出す。
「そっか……」
敬語ではない短い一言と共に見せた、安堵の笑み。
直後、こちらへ向き直って見せた穏やかな笑み。
「良かったです」
これらも、また。嫌味でも皮肉でもない、純粋に心底ホッとしたと伝えて来る物だった。
(………………)
どう反応すれば良いのか全く分からず、ジュイはただ疑問と不審を抱えて石になる。
だがコクトにはやはり、その疑問に答えてくれる気など無いらしい。…ジュイの石化が解除されるより先に、
「じゃあ、ボクはそろそろ戻ります。邪魔しましたね」
奴は満足気な空気をまとってスッと立ち上がってしまった。
「あ…? ちょ……ちょっと待…っ」
慌て、ジュイはコクトに取ってもらった糸クズを奴の手から奪い取る。
…身内以外の相手に自分が出したゴミを──取ってもらったあげく──処理させるのは気が引ける、という。そういう気持ちが冷静に声を上げた結果だ。
大人しく糸クズを引き渡してくれたコクトは、小さく頭を下げ、微笑を保ったまま、こちらに背を向けた。
見えなくなった彼の顔が、『いつも通り』に戻ったのか否か。ジュイには当然、確かめる術など1つも無かった。
◇
それから列車が、どの程度の距離を進んだ頃か。
…おそらく、大して進んでいない頃。つまりコクトが車両の真ん中辺りへ戻って、数分程度が過ぎた頃。
バン──と勢い良くドアが開いた音が鳴り、前方の車両から冒険者が4人移動して来た。
見るからに機嫌が悪そうな彼らは、近くに座っている乗客を1人1人…いちいち睨み付けながら歩を進め、程なくして娯楽番組制作部の側まで辿り着く。
「っはぁ? 何だ、随分と景気の良さそうな連中が居やがるなぁ?」
4人の内1人が、完全に喧嘩を売るつもりな一言を投げた。
怒り任せに出たのであろうその声は結構な大声だったので、ジュイが居る最後方にまで届いたが。娯楽番組制作部のスタッフ達が話す声は聞こえない。
各々が苦笑しながら口を動かしている故…おそらく穏便に去ってもらえるよう、相手の怒りを静める努力をしているのだろう。
「黙れよ、オッサンがよぉ!」
が。スタッフ達の努力が実っている様子は無い。
むしろ逆効果だったようで、パーティのリーダー──のように見える1人──が最も近くに居たスタッフの胸倉を思い切り掴んだ。
「テメェら役人って事だなぁ!? もっとギルドに言っとけ、納品物の数が1コ合わねぇぐらい許可しろってな!!」
…無理だろう。そして、ソレが理由で仕事を失敗し苛立っているなら当然の結果…お前達が悪いだけだろう。離れた場所でジュイはそう思ったが。
胸倉を掴まれているスタッフは、見た目も弱そう──ハゲ気味で痩せ型の中年──で性格も気弱な男だ。ジュイと違って、今の彼には怯える以外の行動は出来そうもない。…正論での反撃など論外だ。
しかし、そこで。
「その手を離したまえよ」
悪趣味貴族・レンゲルが立ち上がった。
冒険者達の目、スタッフ達の目、乗客達の目。怒り、困惑、恐怖、それぞれが込められた全ての目が、彼の方へ向く。
「聞いている限り、貴殿ら以外に責任を押し付けられるべき者は居ない。すなわち、今の貴殿らの言動は八つ当たり以外の何でもない。…見苦しい」
「…………なんだと?」
「それ以上自らの品格を下げたくないのなら、直ぐその手を離し、この場に居る全員に謝罪したまえ。今ならまだ、それで間に合うであろう」
「テんメェ…」
ただ馬鹿にされたと受け取ったらしい。
スタッフを解放しレンゲルに向き直ったリーダー冒険者、周囲の他メンバー達。全員が顔中にシワを作り、体中から殺気を放つ。
(良くない空気だな…)
遠くからジュイが思った、次の瞬間。
リーダー冒険者ともう1人…計2人が剣を抜き、レンゲルに突撃した。
しかしレンゲルは2つの刃を両方共、ひらひらと軽く躱す。躱すと同時に、己の横を通り過ぎて行った2人分の背中へ向き直る。
ここまでジュイの視界には後ろ頭しか映っていなかった悪趣味貴族。ここで初めて見えた顔…今日は左半分に百合をモチーフにしたフェイスペイントがあった。
「…こんな所で剣を抜き、神都の秩序と平穏を乱そうと? 低俗、愚劣、不愉快極まりないな…!」
やや足をもつれさせながらも反転し、剣を握り直す2人。それぞれ得物を取り出す残りの2人。
4人の中央で、レンゲルは右手をかざす。眼前の2人を鋭い目で見据え、素早く何事か──おそらく魔術の呪文──を呟いた。
レンゲルの正面に魔法陣が現れ、青・緑・黄の3色が入り混じる光を放つ。
危険を察したのか、剣を持った2人が走り出した。が…それより早く、陣から飛び出した風の鎖が彼らに絡みつき、それが直ぐに風で出来た球体の檻に変わり、2人は動きを封じられた。
「こっ! この野郎!!」
宙に浮かぶ牢の中で、無様にもがく仲間達を見。残った2人の内、片方がレンゲルの背に手を伸ばす。
しかし、これもやはりひらりと躱され。今度は紫・オレンジ・濃い茶の3色を帯びた魔法陣が現れ。…3人目の冒険者は、下から伸びて来た黒い蔦によって床に磔にされた。
(…予想してた以上に優秀な魔術師なんだな)
双方に圧倒的な差がある戦い──とすら呼べない物──を観戦しながら、ジュイは呑気にそんな事を考える。
おそらく、だが。レンゲルの回避能力も魔術による物だ。要するに彼自身の運動神経が良いのではなく、身軽に動けるようになる魔術を自分にかけている。
(風の魔術と、地の魔術が得意なんだろうね…)
確かロウセンも──他属性の魔術も一定以上のレベルで扱えるが──その2つが最も得意だったな…等と。
レンゲルの勝利、すなわち小さな事件の解決を確信したジュイは、既にそれへの興味を失って想い人の事を考え始めていた。
…そして、そんなジュイの意識の外。
「く……くっっそぉッ!!」
4人の冒険者、最後の1人が。杖を振り上げ、己のありったけの魔力をそこへ込め……小さな事件が起こっていた車両は、前方から後方まで全て。真っ白い閃光に包まれた。
◇
「────────……?」
音は無かった。衝撃も無かった。乗客やスタッフ達の悲鳴も、1つも無かった。
…ただ一瞬、物凄く眩しかっただけ。今起こった事の説明を求められると、そうとしか言えない。
「な、なにぃ…? どうして…!?」
魔術を放った冒険者が唇を震わせ、右へ左へ忙しなく視線を動かしている。
どうやら彼自身にも、この『結果』が理解出来ていないらしい。
「……」
彼の正面。…再びジュイの方からは後ろ頭しか見えなくなったレンゲルが、また魔法陣を出現させた。
ただただ狼狽えている間に、魔術師らしい4人目の冒険者も風の牢に捕えられる。
「…レンゲルさん、もしかして何かしてくれました…!?」
興奮気味なミーチェバロクの質問が、必要以上に静かになっていた車両の空気を振動させる。
「簡潔に言えば、魔力に魔力をぶつけ相殺させただけの事。それより、ミーチェバロク殿。しかるべき場所に連絡を。彼らを連れて行ってもらおうではないか」
「あ、あぁ、そうですね! どう考えても非常事態ですし、えぇっと…!」
非常時の携帯電話使用はここでお願いします、と書かれた一角にミーチェバロクが走り込む。
心底呆れた様子で溜め息を吐くレンゲルの横顔、彼を囲んで礼と称賛を浴びせるスタッフ達…そんな光景が視界の端に映る。
これでもう大丈夫だと、他の乗客達が小声で始めた会話が途切れ途切れに聞こえて来る。
「……?」
しかし、ジュイの頭に居座った巨大な疑問符は消えなかった。
『何が起こったのか』という疑問ではない。
──何故。…何故、彼は。
「大丈夫でしたか? …怪我とか、してませんか?」
彼は、コクト・カプシカムは。今。その背でジュイを庇うようにして、ジュイの目の前に立っているのか。
「……全然、全く、何もありません。…超大丈夫、です…」
疑問符で埋まった顔のまま、ぽつりと、ぼそりと、返事をする。
何なのだろう、この男は。どうして自分を守ろうとした──?──のか。全く分からない。意味不明だ。
少し周囲を見れば、他の乗客の中には老人も居る。子供を連れた女性も居る。力のある者が守るべき一般市民、の中で。自分──若者・男性──は大分、優先順位が低いはずだ。
何故。何故コクト・カプシカムは…レンゲルへの加勢はしようとせず、他の者は守ろうとせず、ジュイだけを守りに下がって来たのか。
全く。本当に全く、微塵も、理由が思い浮かばない。
「大丈夫なら、良かったです」
そして。また。先刻までと同じ笑顔だ。
「ご覧の通り、レンゲルさんが何とかしてくれましたんで…もう、そんな顔してなくても平気ですよ」
ジュイの表情を「まだ不安がっている」と受け取ったのか、そんな事を言い残し。
コクトは笑顔のまま小さく手を振って、再び車両中央へ戻って行った。
「…………」
ジュイは、ただ黙って見送る。
全く。本当に全く、何も分からない。今日見たコクトについて、分かる事が1つも無い。
しかし。…しかし。
ジュイは単純な人間だ。幼少期から、基本的に──ロウセンとカノハと孤児院の前院長とアオ所長以外に──優しくされた事が無い人間だ。故、他人の事はまず嫌う人間だ。
…故。本当に何も分からなくても。優しくしてくれたという、それだけで。
(──────いい人……!!)
コクトはジュイの中で、『腹立つけど何故か嫌いになれない相手』から『密かに応援しようと決めたタレント冒険者』に昇格したのだった。
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