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4話
①
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出鼻をくじかれた。
……先日の。カノハとの一件は、そうとしか表現出来ない物になってしまった。
そもそもは、ビィズの姿をしている事を忘れて『波間の月影』に行った自分が悪いのだが。更に自分の、話の運び方が悪かったのだろうが。
カノハがあんな風に怒るとは思っていなかった。あんな風に怒る意味も理由も見当たらなかった。
最終的にカノハが、ビィズを良く思わない人間・2人目──1人目はテナエ──になってしまうとは、予想外だった。
そして結果。ビィズの人生が続く事になり自動的にジュイが消滅する際、カノハをどう納得させるか…という。問題が爆誕してしまった。
頭が痛い。
『ビィズ・ピンクショコラをかりそめの姿で終わらせたくない』と。心を決める事が出来たのに。
まさに。まさしく。出鼻をくじかれたのだ。
────しかし。
(でも、だからって)
ジュイはそこで、落ち込み・悩み・沼にはまって「やっぱりやめよう」と思ったりは、しなかった。
むしろ、1日2日と過ぎる内、徐々に怒り──逆ギレ──のような感情が心を満たすようになっていった。
そして研究所で働きながら。自宅でゴロゴロしながら。撮影現場で笑顔を作りながら。ロウセンにベタベタしに行きながら。
ジュイで居る時も、ビィズで居る時も、頭を動かし考え、もう一度心を決めた。
(ビィズが残るんだからね…クソカノハ)
あの時、カノハが激怒した意味や理由。あの時、自分の胸中に在った戸惑いの形。
それらは結局、どれも答を見つけられていないが。
見つけた所で何がどうなるのか、と。ジュイは考えた末に、そんなゴールへ辿り着いたのだ。
(大体、『俺』が消えた所で。カノハは1つも損なんかしないじゃないか)
最初の内は、友人が遠くへ行った寂しさが生じるかもしれない。しかし、そんな物は直ぐに無くなるはずだ。
毎週末の、休日の無駄遣いもしなくて良くなる。深夜の電話や無茶な要求もされなくなる。肩の荷が1つ下りたような気持ちになれるだろう。
そして、「ジュイ? そんな友達も居たな、懐かしい」という感じで、思い出の中の存在にしてくれればいいのだ。
ジュイとしても、カノハが忘れないでいてくれれば、それだけでいい・それだけで嬉しいと──思えるようになれると、思っている。
(だから俺は、ビィズになって、ロウセンとイチャイチャしながら神都で暮らすんだ…!!)
これが──何故か逆ギレしながら出した──結論だ。
要するに、先日の『波間の月影』での事を。出鼻をくじかれた事を。…無かった事にし。ジュイは、意識的に気合いを入れた日々を送っていった。
研究所では、次の研究対象を探す作業に没頭し、資料・薬品・部品・色んな物と睨み合い、アオ所長のおふざけや世間話に付き合い。
撮影現場では、コクトに冷たい目を向けられ、レンゲルをからかって遊び、スタッフ達に笑顔と愛想を振りまき。
…そうして、また月の終わりと始まりが近付いて来た頃。
研究員とタレント冒険者の二重生活、そしてビィズを演じる事。これらによって抱えてしまう疲労の大きさも更に小さくなったと、ジュイの精神も身体も実感出来ていた。
◇
7月。本格的な夏の始まりを生き生きと迎えたのは、25年の人生で初めてだ。
と言っても身体的には例年通り、暑さに負けているのだが。気持ち的な意味では、ジュイは生き生きしていた。
…神国の気候は、割りとはっきり季節毎に変わる。夏には暑くなり、冬には寒くなる。
しかし、その暑さや寒さに文句を言う人間の数は、他国に比べれば圧倒的に少ない。
飛び抜けて発展している文明のお陰で──屋外はともかく──屋内は、本当にどの建物の中も、365日24時間ずっと適温が保たれているからだ。
「…はぁ、あっつ…。クソあっつ…。夏、ほんっとマジ鬱陶し…」
と、このように。屋外を行く間だけすら耐えられないジュイの同類は、少数派である。
横開きのドアをくぐり、冷やされた空気に安堵の息を吐く。右手で襟元を少し下へ引きながら、扇代わりの左手を顔の前で振った。
そのまま分厚い眼鏡の下で、視線を左右へ動かす。…平日、昼食時を過ぎた午後…と、曜日も時間も選んで来た。計算通り、目に映る人間の数は多くない。
もう一度安堵の息を吐きながら、ジュイは横長の柔らかい座席に腰を下ろした。
(あーー……クソあっつかった…)
ここは列車の中だ。
研究員の仕事は今──これまでの研究が完成し、次の研究対象を探している期間──暇と言っても良い期間だ。
つまり、休みを取りやすい期間なのだ。…つまり。ジュイは先日同様、今日も休みを取っている。休みを取って、遊びに行こうとしている最中なのである。
ただ前回と違い今回は、ビィズとしてでなくジュイとして出掛けているのだが。
(…本当はまた、ビィズの姿で外をぶらつくって『仕事』をしたかったんだけど)
そこまで重要な仕事でもない。「まぁ、いいか」と思っておく。
…何故ジュイとして出掛けたのか。難しい話ではない。目的の場所が、つい最近の娯楽番組で『ビィズが紹介した飲食店だから』だ。
ソコの店長も店員も、やたらとビィズに絡んで来て、30代独身らしい店長の息子──微塵もジュイのタイプではない──にいたっては本気で口説きにかかって来たのである。
要するに、ビィズの姿では二度と行きたくないのだ。しかし、出て来た料理は非常に美味しく、気になるメニューもいくつかあったため…ジュイが行く事にした。
(何食べようかな…。1番気になるのは、レモン風味のバジルパスタか…柚子塩ブタ焼き…。…食べなかった方は今度、カノハに作ってもらお…)
床を見つめて考えている間に、列車は発車していた。
車輪と線路が鳴らす規則的な音。同じく規則的に揺れる車体。窓の外を流れて行く神都の景色。どれもジュイの気には留まらない。
思考はずっと遅めの昼食に集中し、視線はずっと俯いたままだ。
…ジュイは、これでいい。いや、これがいいのだ。ビィズとは違う。
そう。ビィズは、神都の景色も楽しみたい・ジュイが抱えて来た色んな物への嫌悪感を忘れる・顔を上げる・上と前を見ると決めたが。
ジュイは違う。変わる理由も必要もない。自然とそちらへ行くのなら、下と後ろを見ていればいいのだ。
◇
列車に揺られ、駅を2つ過ぎ、3つ目の駅に着いた時。
「目的の駅は後6つも先か」「しかもココから次の駅までは遠いんだよね」などと、ジュイが心の中で1人溜め息を吐いた時。
沢山の会話が交わされる気配と共に、大勢が──ジュイの居る車両に──乗り込んで来た。
「!」
条件反射でそちらを見、ジュイはぎょっとしてしまう。
…ソレが、見知った集団だったのだ。
「急げばソコの売店で弁当買えますよ、ミーチェバロクさん! ほら、急いで急いで!」
「いやぁ…絶対ギリギリになってしまって迷惑だろうって。着くまで諦めるよ…ははは…」
娯楽番組制作部のスタッフ達。そして。
「次は森林公園で宝探し勝負だったな? ふふ…全身全霊で挑んでやる故、そちらにも本気を出す権利をくれてやるぞ! コクト君!」
「そうですか。賞金が結構イイ額なんで、その権利有り難くもらっときますね」
同業者の2人である。
(そう言えば今日…俺だけ休みの撮影だったっけ…)
つい最近の、30代独身・店長の息子に絡まれまくった撮影がビィズの単独出演回だった。
今日はその逆。ビィズだけが出演しない回の撮影だ。
「…………」
ジュイから見れば知り合いでも何でもない、完全な他人の集団なのだが。…つまり気にする必要は無いのだが。
ビィズの正体はジュイである、という事実がある以上。彼らは完全な他人の集団ではなく、知り合いの集団になってしまう。
故。何となく気まずくなって、ジュイはこっそり──元々ほぼ端の席に居たが──1番端の席、車両の最後方へ移動し、彼らとの距離を僅かに広げた。
(早く降りろ…。森林公園…だったら、そんな長くは乗ってないはず…早く降りろ…)
ジュイがそう念じ始めると同時に列車が発車する。
知り合いの集団は車両の真ん中辺りに陣取っている。他にもチラホラ居る他の乗客は皆、堂々とそちらを見ている様子だが。
ジュイだけは真逆の方向へ頭を向け、分厚い眼鏡の下にある淡い橙色の両目でひたすらドア──後ろの車両に繋がっている物──を睨み続けた。
そうしている大きな理由は『気まずい』という、単純な物だが。
小さな理由として、ジュイは他人をジロジロ見る人間が嫌いだから…という物がある。
相手によってはジュイもやってしまう行動だが──特にロウセン相手にはジュイもやってしまうが──何の関係も無い他人にソレをする奴は大嫌いなのだ。
「…到着したら……おやつにでも…………クレープとか…」
「いいですね……ミーチェ……それまで我慢…」
途切れ途切れではあるが、どうしても聞こえて来る会話。ジュイは、これも出来る限り聞こえないよう聞かないよう、列車が揺れる音にだけ集中する。
…他人をジロジロ見る人間が嫌いなのと同じくらい。ジュイは、ひそひそ・こそこそ陰口を言う人間も嫌いだ。
嫌いで──もし今、彼らがビィズに対してソレをしていたら立ち直れない。ビィズが二度と彼らの前に現れられなくなる。
(早く降りろ…。早くあの集団が降りる駅に着け…)
念じる。ドアを睨む。規則的に響く音で頭の中を満たす。
…そうやって、完璧に己の殻に引きこもり切っていたせいで。
「あの、すみません。…ちょっといいですか」
近付いて来ていた人間の気配に、ジュイは微塵も気付けなかった。
「!!!?」
全身が大きく跳ね、頭は条件反射で約180度振り返る。
一瞬遅れて、隣のシートが沈んだ感覚…要するに、隣に人が座った感覚が尻を伝って来た。
「え…!?」
混乱したままその人物を見る。
…黒い髪。錆びた金色の細い目。神国では見かけない、異国のファッション。──コクトだ。
(な、なに…? 何で? 何の用…!? 何で声かけて来た…!?)
明らかな動揺を顔全体で表現しながら、コクトを凝視してしまっていると。
彼は「ふっ」と小さく苦笑した。
「驚かせてますね。ごめんなさい、突然。…でも、どうしても気になって」
言って。彼の右手、細い指が自身の黒髪を指した。
未だ何も理解出来ず、疑問符を飛ばしまくるジュイに対し。コクトは苦笑ではなく、にこりと微笑を見せる。
「頭。…糸クズみたいな物、て言うか糸クズですね。糸クズが付いてます」
「は!? え、マジ……ですか」
大前提、として。ジュイは自分の外見に一切手をかけない。小汚い方が良い、落ち着く、と思っている。
故、今日も水で適当に顔を洗い、髪など見もせず何もせず…それだけで家を出て来ていた。
だが流石に、頭に糸クズが付いているのは──いや、それ自体はいっそ構わないが。他人のようで実は知り合い、という相手に指摘されるのは恥ずかしい。
「どこ…ど、どこだ…!」
焦って髪をかき混ぜる。しかし、見えない頭上の糸クズを捕獲する事はなかなか出来ない。
「…っくく」
コクトが笑った。
思わず動きを止め、彼の顔を見てしまう。…付き合いは決して長くない、故。彼がどういう人間なのか全て理解してなど勿論ないが。
(コイツ、こんな笑い方する奴なんだ…?)
そう。今のコクトは、初めて見る…本当に楽しそうな、皮肉や嫌味などの余計な意味は何も含まれていなさそうな、そういう笑顔をしていたのだ。
「じっとしてて下さい。…失礼しますね?」
「……」
コクトの意外な表情に停止させられていたジュイが、動かないままでいる隙に。
先刻、彼自身の黒髪を指していた手。指が、ジュイの白金色の髪に絡む。
やや複雑な居座り方をしていたらしい糸クズが取り除かれる際、その指と手が軽く、ゆっくり、優しく頭を撫で、滑って行った。
(────?)
その瞬間。ジュイは言いようのない懐かしさに襲われた。
デジャブ、既視感、いつかどこかで同じような事があったような、妙な確信を持って「あった」と言えるのに…どこで「あった」のか思い出せない、そんな懐かしさ。
「はい、取れましたよ」
「…………ありがとう、ございます」
消え入るような、否、ほぼ消えている声が。反射的に出ただけの、気持ちの入っていない礼を言う。
聞こえてすらいないかもしれない。失礼な態度を取ってしまったと…ほとんど動いていないジュイの頭は、そう思った。
しかしコクトはまた、余計な意味など一切無さそうな。僅かに頬を染めた、嬉しそうな笑顔を見せ。
「どういたしまして」
と返して来たのだ。
「…」
ほんの少し口を開けた間抜けな顔で。ジュイは、何故かご機嫌なコクトの、何故かご満悦な表情を眺める。
眺めて、思う。
(……誰だ、コイツ)
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