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3話
④
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第11区の駅で列車を降りた後。
疲れた頭は考える事を放棄し、疲れた身体は癒しと安心感を求め。足は勝手に、普段通りの動き方をした。
太めの道を行き。細い小道を行き。いつも横切る中央通りに、いつもとは違うルート・違う場所から合流し。
そして、いつも通りに中央通りを横切って、いつも通りの脱出口へ転がり込む。そこから続く小道をこれもまた、いつも通りに進んで行き。
…いつも通り。手は『波間の月影』の扉を開いた。
「…………おや?」
店に入って直ぐ。レジの向こうで新聞を広げていたマスターが、顔を上げて小さく驚いたが。
「…どうも」
こちらがいつも通りにぼそりと挨拶すると、彼もいつも通りに「いらっしゃい」とだけ寄越して視線を下げた。
──店の奥へ進む。直ぐ、1番奥のカウンター席に辿り着く。
いつも通り。背もたれの無い丸椅子に腰かけ、俯いて。慣れた場所の慣れた空気、居心地の良さに安堵の息を吐く。
この時点でもう既に、疲労が1割から2割程消えて無くなった気がした。
程なく足音が耳に届き。
ただの白シャツ・ただの黒ズボン、そこにバーのエプロン…という。本当にシンプルな格好だが、しかし洗練されていると感じさせる男が眼前に立った。
「あの──申し訳ありませんが、その席は……」
「…?」
いつも通り、では無い初手の台詞に顔を上げる。すると、首を捻って何かしら悩んでいる様子のカノハが視界に入る。
「いや、まぁ…仕方ないか。えーっと、すみませんでした。ご注文はどうなさいますか?」
困り顔から数秒で爽やか笑顔になった幼馴染に。そして、その口から発せられた言葉に。脳内の疑問符がどんどん増殖していった。
何故急に他人行儀な接客をしてくるのか──疑問をそのまま声にしようとして、はっとする。…ようやく、気付く。思い出す。
(今の俺……『ジュイ』じゃなくて、『ビィズ』だった…!)
条件反射で顔面が強張ったと分かった。「しまった」と書いてある表情をしてしまったと分かった。
何故、今の今まで忘れていたのか。疲れて頭が働かなくなっていたとは言え間抜け過ぎる。そう己を罵倒するが、時既に遅し。「間違えた」などと言って店を出る方が怪しまれる。
「ぇえ、え、えーっとぉ…! そ、そうねぇ。よく分かんないから、オススメでー…とか…そういう注文の仕方は、ありかしら…?」
慌てて笑顔を作ったものの、カノハは明らかに不思議そうな…いや、不審そうな目になっていた。
しかし奴も仕事中だ。目と違って、口はちゃんと微笑んでいる。
「分かりました。では、お客さんに合いそうな物をこちらで用意しますね」
「は、はい…ええ。お願いします、するわ…」
視界の中央で、カノハが作業を始めた。
やってしまった、という焦りを抱えたまま。彼に与えてしまった『不審者』の印象を何とか覆せないかと、ビィズは頭を回転させる。
隙を窺うようにジロジロと、友人の手際が良いカクテル作成を見。顔面を見。首にある黒子を見。ビーズの腕輪を見。
「…? どうかしました?」
結果、更に怪しまれた。
「どっ! どうも、しないっ! 違うんだ、のよ! 大した事じゃないんだけど…!!」
そして結果、更に慌ててしまう。
視線を思い切り下げ、頭を抱え、小さな声で唸ってしまう。
目でカノハを確認出来なくなったが……ヤバい人間を見る顔でこちらを見ながら作業しているのではないだろうか。
「……どうぞ」
どの程度の時間が経過したのか──おそらく数分後──カノハの手でグラスが置かれた音がした。
そっと、僅かに目を上げる。直ぐ視界に飛び込んで来たのは、可愛らしいカクテルだ。
淡いピンクから赤茶色へグラデーションしていく液体に、小さな星型の粒──砂糖か塩か、または飴か──が沢山泳いでおり、おそらく食べられるのであろうピンクの花が浮かんでいる。
「…………へぇ……可愛い」
それだけの感想が、一瞬で頭の中を埋め尽くし。お陰で、今まで脳内と胸中に居座っていた焦りが消し飛んだ。
要するに、ビィズは少し落ち着く事が出来た。
「いただくわね…」
言って、一口。
優秀な舌を持っているわけではない故、細かく何の味かは分かれないが。ベリー系の果物と、ほんのりチョコレートの味がする気がした。
『ピンクショコラ』の名に合わせてくれたのだろうか、と。カノハの粋な計らいに少し嬉しくなる。
「美味しいわ! アナタ、いいセンスと腕してるのね」
「有り難うございます」
笑顔と笑顔で、短い会話が交わされた。
…ビィズの方は必死で作ったわけでもない、落ち着きを取り戻した自然な笑顔だ。
しかしカノハの方は、ビィズに対する『不審者』という評価が消えたわけではない。自然成分など皆無な、10割人工的に作られた笑顔だろう。
「その。……アナタって」
冷静になれた頭を、冷静に回転させ。ビィズは考える。
自分は怪しい者ではないと分かってもらう話。間違いで、とは言え…今ここでビィズとしてカノハに会ってしまったなら、しておいてもいいであろう話。
そう。約1年後。タレント冒険者の仕事が終わった後。ジュイの作戦が成功していて、ビィズの人生が始まった場合の──準備、とも言える話。
「カノハ・オリアさん……カノハくん、よね?」
「え?」
カノハが一瞬で笑顔を消し、眉を顰めた。
まず僅かに見開いた目が、数秒後には細められる。笑顔の作り直しは行われない。「不審に思っている」と表情や態度で伝えるべき…そう判断されたようだ。
「あ、違うのよ!? アタシ別に、怪しい人間とかアナタのストーカーとか、そういうのじゃなくて…! 名前を知ってるのは、ちょっとした事情で…!」
「……はぁ」
「テ…テレビ、は見てる…? アタシの事、知ってるかしら…?」
「えぇ…まぁ」
適当な釈明、適当な質問、と続ける。どう話を持って行き、どこに着地させるかを、脳内でまとめる時間稼ぎだ。
しかしカノハがマトモな返事をしてくれない──会話が直ぐ途切れる──せいで、なかなか上手く行かない。
「…………」
仕方なく、ビィズは沈黙した。真剣に考え事をしている表情を作る。…いや、実際に真剣に考え事をしているのだが。顔もそうだと分かるようにしておいた。
「…………」
カノハも黙っている。こちらが何か話そうとしていると察したのだろう。怪しい女と訝しみながらも、待ってくれている。
「実は────アタシね」
やがて。ビィズは頭の中で台本を書き上げ、口を開いた。
「アナタの友達、ジュイ・ハヴィットの妹なの」
「──は?」
…ビィズの切り出しに対し、カノハが寄越した1文字は完全に『素』の1文字だった。
先刻の「え?」にはまだ残っていた『店員の部分』が全く無い、完全に『素』の声。
それはすなわち、僅かな隙だ。話のペースや場の支配権を、こちらが握るチャンスだ。そう判断し、ビィズはにっこりと笑って畳みかける。
「知ってるだろうけど、アタシの両親…つまりジュイ兄さんの両親はね。軽い気持ちで軽ーく子供作って軽ぅ~くテキトーに捨ててく、頭ユルユル冒険者なのよ」
「……」
「初回の放送見てくれたかしら? アタシがお菓子屋のお婆ちゃんに育てられる事になった経緯、ジュイ兄さんと同じだって思わなかった?」
「まぁ、本当によくある話なんだけど」とビィズは笑う。カノハは黙ったまま、苦虫を噛み潰したような顔をしていたが。
「……それで」
ビィズが一旦口を閉じたのを見計らって、尋ねて来た。
「アイツ…ジュイの妹さんが、オレに何の用だ……じゃない、何の用ですか」
努めて平静を装っている声。スッと冷静な表情に戻り、直ぐに微笑みすら浮かべた表情。カノハの外面は一瞬で『少し困っている店員さん』の形になった。
しかし奴の内心は穏やかではないと──長い付き合いの友人故──ビィズには、手に取るように分かる。声にも表情にも、微かな乱れが見られたのだ。
それが、不信感なのか。敵意なのか。不安なのか。面倒臭く思う気持ちなのか。
…詳細は分からないが。会話の主導権は未だ己の手にある、と。ビィズは勢いを増しながら話し続ける。
「あのね、どうしても知れなかったからアナタに教えて欲しいのよ!」
「何をですか?」
「ジュイ兄さんの現住所! この第11区なの? 違う区なの? 細かい住所、教えてちょうだい!」
「……何故、ですか?」
カノハの声と表情に見え隠れする乱れが、大きくなった。
だがビィズは構わず続ける。
脳内に用意した台本通りに話が終われば、カノハもただ納得してくれるだろうと踏んでいる。正直、奴にとっては大した事ではない話だ。…そのはずだ。
「まー、1つはアレね! 数年後に誕生してた妹でーすって挨拶して! 親の愚痴とか、色々…やっぱりちょっと話をしてみたいなーっていうのもあってー」
「…兄妹だから会ってみたい、って事ですか」
「そうそう、1つはソレ! で、もう1つ…って言うか、メインの理由はー……」
ここまで言って、ビィズはピンクショコラのカクテルを数口飲む。
甘さと甘酸っぱさが口の中で絶妙に混ざり合う。…レモン等のスッキリ系な味を好むジュイ──ビィズ──だが、これは美味しいと改めて思った。
「メインの理由は、最近出来ちゃったんだけどね」
もう一口飲んで、グラスを持っていない左手を頬に当て。にこりと、否、ニヤリと笑う。
「アタシ、この神都で本気になっちゃった相手がいるの…! そう! ちょっと前に運命の人に出会ったの…!」
「へぇ…? …ソレが、ジュイに会う理由とどう関係するんです?」
「だからつまりぃー! 神都に永住したいから、家と仕事が欲しいのよ! でも、どっちも探すの大変だし面倒だし」
1人、テンションを上げて行くビィズの正面で。カノハはずっと「話が見えて来ない」と空気で語っていた。
…声と表情の、ジュイには分かる乱れは未だ変わらずだ。
「しかもアタシ──詳しいコトはあちらの都合もあって話せないんだけどー。神国からはかなり遠い、とある国にね……」
神国からはかなり遠い、とある国に。ジュイこそが活躍出来る・ジュイの頭脳や能力こそを求めている働き口を知っている。
そこに勤めていて、かなり困っている友人から「誰かイイ人材は居ないか、居たらウチの話をしてみてくれ」と相談・依頼されている。
…と。そんな──勿論、この場で作った嘘の──話をビィズは並べ立てた。
会話の主導権が自分にある故か、カクテルの美味しさで気分が良くなっているのか。詰まる事も無く、スラスラ言葉が出て行ってくれた。
ビィズとして人と接する事にも大分慣れて来たのかも、と。呑気にそんな事すら考えてしまう余裕がある。
「…………」
そしてビィズは、目の前のカノハが笑顔を保てなくなっていると気付きもせず。
「ま、要するにアレよね。兄さんの住所を教えてもらって、会いに行きたい1番の理由は~」
本題……1番、言っておきたい事を声にした。
「兄さんの家と仕事を譲ってもらいたいの! で、兄さんにはその遠くの国に行ってもらうっていう……つまり穏便に追い出したいなぁ~って希望!」
一気に言い切り、残っていたカクテルを飲み干し、グラスを置き。しばらくぶりにカノハの方をしっかり見る。…と。
奴は首をほぼ90度に曲げて、己の足元を見ていた。
その顔を下から見上げられる位置に居るとは言え、ビィズにも奴の表情の全ては見えない。
ただ、口が絶対に笑っていない事と。カウンターの上にある、ビーズの腕輪をした手が握られ震えている事。…その2つだけは分かった。
そして、もう1つ。
(……あれ? …もしかして、怒ってる…?)
この3つ目を悟った瞬間、ビィズの顔からも笑顔が消える。
しかし、何故怒っているのかが分からず、頭がその理由を探そうと動き始めた時。
「…………出てけ」
聞いた事の無い低い声で、カノハがそう言った。
「え…。え? ちょっと…」
「今直ぐ出て行け…。あの家も、あの職場も、その席も……全部アイツの場所だ…! お前が座るな…!! 出て行け、どけよ…早く!!」
僅かに視線が上げられ、見えるようになった黄緑色の目が、疑いようも無い敵意を突き刺して来る。
戸惑うビィズが諸々を理解する時間すら、与えてくれそうにない。
「あぁ、確かにお前の顔は何となくアイツに似てる…実の妹だってのは、本当なんだろうな…。…でもだから何だ、アイツを追い出す権利があるワケ無いだろ…!!」
「な、何よ? アタシこう見えて研究者としてやってけるくらいの知識と技術はあるのよ、兄さんの仕事も絶対代われる──」
「うるさい、さっさと出て行けっっ!!」
叫ばれ、驚いた全身が小さく跳ねた。
ビィズは──ジュイがそうなので当然──突然の大声や大きな音が苦手だ。腹が立つという意味で嫌いな物は多々あるが、怖いという意味で苦手な物はコレくらいかもしれない。
「……な、なに…よ…!」
それでも何とか動じていないフリをしながら、ゆっくり席を立つ。
直ぐ近くと言える距離に他の客は居なかったが…それでも先の叫び声が耳に届いた客は何人か居たようで、いくつかの目がこちらを見ていた。
しかし、そんな事は些細な事だ。
約17年の付き合いがある幼馴染の、初めて見る表情と初めて聞く声。17年間、本当に1度も向けられた事の無い怒りと敵意が、本当に怖くて。
ビィズは逃げるように、素早く『波間の月影』から立ち去った。
否。『ように』ではなく、それは間違いなく逃走だった。
◇
人の居ない、路地裏。建物と建物の隙間で変身を解き、自宅へ帰り着いて直ぐ。
ジュイの足は無意識でベッドへ向かい、全身は無意識でそこに倒れ込んだ。
「……」
カノハが激怒した理由や意味が分からない。
今、己の胸中に『戸惑い』が在る事は分かるが。その戸惑いがどういう形をしているのか掴めない。
お気に入りのバーへ行ってしまうまでは、ビィズとしての充実感に溢れていたはずなのに。今、ソレは全て霧散しどこにもない。
「…………」
頭が真っ白になっている、としか表現出来ない状態で布団に顔を埋めていると。異様に大きく聞こえる電子音が狭い部屋に鳴り響いた。
…驚き顔を上げれば、携帯電話が自己主張している。
ゆっくり手に取り確認すると、示されていたのはカノハからの着信だった。
「……なん、なんだよ…ホント…」
ほぼ消えている小声で思わずそう零す。
理由も意味も形も何も、分からない。しかし何故か、ジュイはどうしようもなく泣きたくなった。
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