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3話
③
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ジュイとビィズの人生を賭けた作戦が、大きな前進を成し遂げた日の…翌日。
ハヴィット研究所にロウセンが訪ねて来た。
昨日の、テナエとスタッフ達による小規模な会議。そこで出た議題の中に、アオ所長の協力が必要な物があったのだろう。
要するに。所長に用事がある…という、いつも通りの用件。
ロウセンがそれを終えた頃合いを見計らって、ジュイは彼に声をかけた。
そして少しの間、適当な雑談をした後。
「……そう言えば昨日さ。ロウセンが女の人と歩いてるの見かけたんだけど」
何気ない、中身のない、中身など求めていない、そんな世間話を振っていると思ってもらえるよう、平時の表情を保ちながら。ジュイは切り出した。
「あれって誰? もしかして、恋人とか?」
「────えっ!!? い、いや、違…っ!! 違うからっ!!」
割りと珍しく大きな声を出し、ロウセンが顔を赤くする。高速で首を横に振り、分かり易く慌てている。
「そうなんだ? …高等学校の頃から、好きな女性が居るのかなーって思う発言してたりしたし。彼女がそうなのかと……」
「ぼ、僕、そんな発言してた!? いや、ていうか違うから!! 彼女はお嬢様だから!! つまりお仕えしてる家の、ご主人様!! だから!!」
「あぁ、成る程。じゃあ昨日は仕事してたんだね」
「うん! そう! 護衛の仕事でお嬢様に同行しててさ…! それだけ…!!」
顔の赤さを維持したまま、今度は高速で縦に首を振る。
ロウセンのその様子に、ジュイは小さく吹き出した。
「そこまで焦らなくても良くない?」
「あ、焦るってば…。従者なのに、お嬢様の恋人とか勘違いされたら……お爺様にも、リュヌガーデン家にも、怒られ…! うぅ…」
段々と声量を下げて行くロウセンに、「ごめんって」と一言謝ってから。
…ジュイは引き続き、ただの世間話を振る調子で。
「お嬢様と、どんな仕事でドコに行ってたの……ってコレは聞かない方がいいのかな」
と、繋げた。
落ち着きを取り戻したロウセンが、白銀色の猫目を数回瞬かせる。直ぐ、へにゃりと笑って再び首を横に振る。
「えっと、第1区の役所。タレント冒険者さんに、挨拶しに行くっていう…毎年この時期恒例の。小さいけど大事な仕事なんだ」
「…へぇ。じゃあ、ロウセン…今年のタレント冒険者に会ったんだ?」
「うん。ビィズさんって、分かる? 彼女にだけ」
「…!」
ここだ。反射的にその3文字が浮かんだ。
──ジュイにとっては成功だった昨日の件で──『ロウセンはビィズをどう思ったのか』。
ジュイが1番したい質問はこれだ。この質問をするために、会話の流れを誘導した。そして今が、絶好のチャンスだ。
「どんな人だった?」「どう思った?」…そう問おうと口を開こうとしたジュイだったが、しかし。
その問いが声になるより先に、ロウセンの口が答を教えてくれた。
「テレビで見るより、近くで見た実物の方が何倍も美人さんだったな…」
見ている側も気が抜ける、本人もおそらく気を抜いている。そんな笑顔のまま、彼は話を続ける。
「何て言えばいーか…友達、ううん。冒険者さんだから、パーティの仲間…? そういう近い位置・近い関係になれたら楽しそうな人だなーって思う。
安心出来そーな、ホッと出来そーな…うーん…。不思議なんだけど、近くに寄るのに躊躇っちゃわない感じがある…みたいな…」
「へ、へぇ……」
心臓が徐々に動く速度を増して行った。
少し予想外だが、予想以上に。期待以上に。ビィズはロウセンに、好意的な印象を持ってもらえたらしい。
「…意外だな。俺はあのビィズって女、可愛い子ぶってて八方美人な、ただのバカだと思ってた」
「っはは。確かに、可愛らしさをアピールしてる所もありそーだけど…実際に美人なんだから、いーんじゃないかなぁ…」
「それに多分、一緒に居ると明るい気持ちになれる人だ」…と。そう付け加えて、ロウセンはまた微笑む。
彼のその笑顔を前に、ジュイは胸を高鳴らせ、溢れ出て来る嬉しさに溺れていた。
(…ロウセンが…現時点で、こんなにいい風に思ってくれてるなら…! 本当に、行けるんじゃ…?)
このまま、昨日のビィズの調子を維持し。押して押して、押しまくっていれば。
『今後ずっと、ビィズとして生きる道』を選ぶ事も、アリなのではないか。アリに出来るのではないか。ロウセンとの明日は、未来は、明るいのではないか。
「…………っふ…」
…見えて来た作戦の成功に、つい。気持ち悪く歪みそうになった口元を。ジュイは咄嗟に手で覆い隠し、ロウセンからの小さな疑問符を受け取ったのだった。
◇
ジュイとして。
研究所で働き、『波間の月影』で飲み、カノハと軽口を叩き合い、奴に週1で片付けに来てもらい、何度かロウセンと会えて世間話をし。
ビィズとして。
撮影の仕事をこなし、コクトに腹を立て、レンゲルをからかい、頻繁にロウセンを訪ねて数回だけ時間を割いてもらえベタベタ攻撃をし。
そんな日々を送っている内、5月が終わり6月が始まり、それも半分程が過ぎ去った。
「ふっふ、ふんふふ~ん…」
鼻歌混じりに歩を進める。コツコツと石畳を叩く靴の音が耳に届く。
…この日。ジュイは1日仕事を休み、ビィズとして神都を適当に散策していた。
神友族の大きな屋敷や、忠臣家の控えめな屋敷。それらが立ち並ぶ、神都で最も美しい住宅街・第2区には頻繁に行っている。
ロウセンと話す時間を得られた数回は、もれなくスキンシップをしまくり、もれなく赤い顔で困惑され、心の中で「可愛らしい」とニヤニヤした。
……内1回の、帰り道。ジュイはふと思ったのだ。
画面の中や第2区以外の場所で。撮影の時間以外の時に。スタッフ達やロウセン以外の神都民に。『ビィズ』が目撃されていた方が良いのではないか。
要するに、オフのビィズという物も演じておいた方が良いのではないか。
でないと「あの人、本当に実在してるの?」などと…怪しい存在だと思われるのではないか。
ビィズ・ピンクショコラの誕生から2ヶ月経って、ようやく気付いた事だった。
「…ふふふん、ふ~ん…ふっふふ~」
という理由で、この日。ジュイは1日仕事を休み、ビィズとして神都を適当に散策していた。
本当に適当に。目的も無く、ぶらぶらと。そして体力が無い故、何度も休憩を繰り返しながら。歩き、休み、列車に乗り、気が向いた駅で降り、また歩いて休み。
大きな疲労感と、一応の仕事をやった達成感を抱えて、気付けば太陽が沈んで行く時間になっていた。
「はぁー…」
息を吐いて、足を止める。
気分任せに歩いて来たせいで、自分の現在地が第何区なのかも分からないが。…駅の場所は把握しているので問題無い。
(…やれやれ、だね…)
ともかく──何区かは分からないが──現在地は、神都の一部を見下ろせる高台だ。
ここで景色を楽しめと言わんばかりに噴水とベンチが設置されているので、ビィズは有り難く利用させてもらう事にした。
「…………」
まだ空は暗くないが既に点いている街灯の下。ぼんやりと、今日1日の散歩を思い出す。
…とにかく疲れた。それを超える感想は無いのだが。細々と思う事は色々あった。
──カノハから──聞いていた通り。ジュイの顔面と違ってビィズの顔面は、特に恐れられる事も無く神都民達に受け入れられていた。
やはりやや不愉快ではあるが。ジュイの人生を辞めて、ビィズとして生きる道を選ぶ可能性が高くなっている今。これに関しては喜んでおくべきだと判断している。
(あっちこっちで色んな奴に声かけられて、ちょっと…大分、鬱陶しかったけど…)
文字通り、老若男女問わず。「ビィズさんだ」「ビィズちゃんだ」「テレビ見てるよー」と、気楽に声をかけられたのだ。
昼食のために入った店や、休憩のために入った店…何件かで値引きしてもらえたのは嬉しかったが、しかし。それ以上に疲れた。
そもそもジュイは、他人とのコミュニケーションが大の苦手且つ大嫌いなのだ。身内以外の人間は基本的に敵認定する人間なのだ。…行く先々で知らない相手から挨拶されるなど、苦行でしかない。
だが。だが、だ。この先をビィズとして生きるなら、慣れなければならない。ビィズは、ジュイとは違うのだから。
(慣れる…か)
難しい、とは思っている。だが挑戦しようとも思えている。
タレント冒険者の仕事…撮影は、2ヶ月で少しだけ慣れたと実感していた。撮影後に感じる疲労は、少しだけ小さくなった。
つまり。撮影時以外の他人とのコミュニケーションも、同じように慣れられるはずだ。
好きな相手──ロウセン──と、愛し愛されながらの満たされた日々を送る。そのためにビィズになる。そのビィズに、必要ならば。自分は意地だけで、どんな事にでも慣れる事が出来る。
ジュイは己について、そんな確信と信頼を持っていた。
(というか、もう…。『ジュイ』の過去とか価値観とか。そういうの、忘れるように努めた方がいいんだろうな…)
ビィズの人生には必要の無い物だ。更に、忘れられれば未来がより明るくなる。
うんうん、と1人頷いて。ビィズは再び今日1日の散歩を思い出した。
「放送、毎回見てるよ」と言って来た、陽気な中年女性。今日は笑顔を作って無言の会釈をしただけだが。
こういう相手には今後、ありがとうとお礼も付ける方が良いかもしれない。
「ビィズちゃん可愛い」と褒めて来た少女、「コクトくんのが強そう!」と少女に反論した少年。今日は「急いでるからゴメンね」と直ぐ立ち去ったが。
今後はこういう子供達にも「アタシは可愛くて強いのよ!」などと返答し、もう少し構った方が良いかもしれない。
「タレント冒険者の契約が終わったらパーティに入らない?」と勧誘して来た冒険者。今日は「1年後の事はまだ考えてないの」とやや冷たく躱したが。
今後はもう少し、自分を下げて相手に恥をかかせない断り方を考えるべきかもしれない。
…そういった細かい事をコツコツとやっていれば。ビィズとして他人に接するのに慣れ、ジュイとしての日々を忘れ、楽しい明日しか来なくなる…はず。
(…………)
と。これからについて考え、予定を立てていると。やや体温が上がり、少しだけ呼吸が浅くなり、口元が緩んだ。
要するに……わくわくして来た。
何気なく、眼下──高台の下──に広がる神都の景色を見る。
視界の端には神都内にいくつかある巨大な街頭テレビ。逆側の端には線路と、走る列車。
きっちりと敷き詰められた石畳の上に立ち並ぶ、様々な店。住宅。駅。時間を知らせる時計台。全て、茶色い煉瓦・オレンジ色の煉瓦・白い石…いずれかの色をしている。
今は植物も目を覚ましている時期。見栄えが最も良くなる位置に植えられているのであろう木々の青い葉や、色とりどりの花も見えた。
そして街灯の明かり。その下を歩く、沢山の人々。それぞれがそれぞれの目的地へ向かいながら、何事か話しているのだろうが。流石に声は聞こえて来ない。
…これら全てが、沈んで行く太陽に照らされて夕暮れ色に染まっている。
(きれい……だな)
素直にそう思った。
25年の人生をずっと神都で生きて来たが。こうして、神都の景色をちゃんと見たのは初めてかもしれない。
いや。覚えていないだけで、ちゃんと見た事はあったのかもしれないが……『綺麗だ』と感じたのは間違いなく初めてだ。
外を出歩く時、ジュイは基本的に俯いていた。景色も人の顔も見たくなかった。美しさになど、気付くはずもない。
(でも)
変わると決めた。身だけでなく心も、完全にビィズになろうと決めた。ならなければ、理想の未来、憧れの未来、望む未来は得られない。
かりそめの姿で見た、一時の夢。これを、本当の姿で歩む現実に────したいのだ。
…夕暮れ色の空を見上げ。ゆっくり、大きく、息を吸う。細く、長く、息を吐く。
数秒、そのまま空を眺め。ビィズは1つ頷いた。明日からも頑張ろうと気合いを入れた。
次いで勢い良くベンチから立ち上がる。
歩き回るから、と。いつもより楽な格好…シンプルなコーディネートをして来たが。それでもしっかりフリルは付いている白いスカートが揺れる。簡単にまとめたポニーテールが揺れる。
(今日の所は…そろそろ、帰ろうかな…?)
現在地が第何区かは分からない。しかし、駅の場所は分かる。
ジュイの自宅、ジュイの職場、両方がある第11区までは列車が運んでくれるのだ。駅が分かれば問題無い。
(真っ直ぐ帰るか…。それとも適当にドコか1件、寄って帰ろうか…)
今日1日で溜まった疲労を抱えている故か、頭は働く事を放棄していた。
だが顔は地面ではなく、正面を見る。足は無意識でも、ふらふらと動く。前へ進む。
そう、これからは。下ではなく上を見て。後ろではなく前を見るのだ。
いよいよ本気で『かりそめではない存在』にしたくなった、ビィズとして。
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