かりそめ夢ガタリ

鳴烏

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2話

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「……寝てただろ」

 自宅の扉を開け、顔を合わせて開口一番。カノハはそう言った。
 否定する理由も必要も特に無い。俯き、半分以上閉じている目を擦り、髪をガシガシと掻き乱す事で肯定を返しておく。

「っとに、休日の無駄遣いしてるな。いつも」

 言いながらカノハは家に上がって来た。後ろ手に扉を閉め、ジュイの横を通り過ぎて行く。
 ボーッと鍵をかけ、振り返ってボーッと彼の背中を眺める。その背筋は今日も真っ直ぐ伸びていた。

(……そっちこそ)

 未だ覚醒しきっていない故、声にはならなかったが。心の中で反撃した。
 いつも休日の無駄遣いをしているのは……本当にそっちこそ、なのだ。

「はあー……」

 意図的にそうしていると伝わる、深い深い溜め息が聞こえて来る。
 狭いリビング、こじんまりとしたダイニング、最低限のキッチン、洗面所に風呂トイレ、そして寝室。
 ジュイの自宅の全ての部屋を1つ1つ確認したカノハが、毎週吐き出す溜め息だ。

「どうして1週間でこうも見事に……元に戻るんだか」

 責める気持ちと呆れる気持ちが込められた、黄緑色の視線に突き刺され。
 欠伸をし、首を傾げて見せれば、今度は呆れの意味が10割を占める溜め息を寄越される。

「ほら」

 開け放たれたままのリビングの床から、カノハがひょいと何かを拾い上げた。
 手渡され確認する。いつの間にやら落としていたらしい、眼鏡だった。

「とりあえず、まず顔を洗って来い」

 洗面台の方向を指差すカノハに力なく頷けば、頷き返される。ジュイの足が、ふらりと歩を進め始める。
 それを確認した後で、カノハは手にしていた大きな買い物袋の中身を仕舞おうと冷蔵庫を開け──その中の有り様にまた、溜め息を吐いた。





 週末。大半の人間に『休日』と認識されている1日。太陽の日。
 …週に1度、毎週、必ず、1週間分の食料を片手にカノハが訪ねて来る日だ。

 奴はいつも正午を少し過ぎた頃にやって来て、いつも同じ作業をする。
 冷蔵庫の中身を入れ替え、7日の間に荒れた部屋を掃除し、キッチン等に放置されている汚れた食器を洗い、そこらに散乱している洗濯物を洗い、数日分の作り置きの夕飯と当日分の夕飯を作って、帰って行く。
 酷い時は夕飯の後も掃除が続いたり、風呂から出て髪を乾かすのを渋るジュイの代わりにソレをやったりもする。
 ジュイが知っている範囲では、カノハこそが最も休日の無駄遣いをしている男だ。

「少しは目、覚めたか?」

 洗面所から出ると、冷蔵庫の前に座り込んでいるカノハがそう声をかけて来た。
 駄目になっていると判断した物を取り出し、まだ大丈夫だと判断した物は隅に寄せ、空いたスペースに新しく増えた物を詰め込んでいる。

「……まぁ。少しはね」

 ぽつりと返事をすれば、カノハの顔がこちらを向いた。小さく、ニヤリと笑う。

「まだまだ、重そうなまぶたしてるけどな」
「ソレは常にそうって言うか、俺がそういう顔なんだよ…」

 八の字に顰めた眉の間。そこに居座っている皺が、僅かに深くなった。
 その、ちょっとした皮肉に何か言い返してやろうと思考を巡らせるも、未だ眠気が消え切っていない頭では何も思い浮かばない。
 仕方なくジュイは微かな悔しさを飲み込んだ。
 下唇の右端を噛みながら、狭いリビングに入る。付けっ放しになっていたテレビを消す。

「珍しいな、お前がテレビ見てたなんて」

 冷蔵庫の前から聞こえる声。
 寝室・リビング・ダイニング・キッチン・洗面所・風呂・トイレ…と並べれば広く思われがちではあるが。1つ1つの部屋は狭い。即ち、ジュイの自宅は広くはない。
 冷蔵庫の前からリビングまでの距離など無いような物だ。カノハの声は普通に、よく聞こえる。

「見てたって言う程、見てはなかったけど」

 対して──双方の間にある距離は当然同じだが──ジュイの声がカノハによく聞こえているかは不明だ。いや、おそらく『よく』は聞こえていない。
 何も意識せず普通に出したジュイの声は、非常に聞き取りにくい小声なのだ。意識的に大き目の声を出したつもりでも、「何て言った?」と聞き返される場合が多々ある。
 ──完全に己が悪いと分かっているが──ジュイはそれが嫌いだ。不快感と罪悪感が芽生え、ストレスが溜まる。気が付けば、喋る事自体に小さな躊躇いを覚えてしまっている自分がそこに居たのだ。
 …しかし。相手がカノハの時に限り、ジュイは何の躊躇も無く『普通に』喋る。

「今年のタレント冒険者、背も高くてカッコイイとか。そんな話、ちらっと聞いて少し見てみたくなったんだよ」
「何だ、そんな理由か。もっとこう…神都の今に興味が湧いただとか、そういう健全な理由じゃない辺り流石だな」
「好みな見た目かどうか確認してみたかった、の方が健全だし一般的でしょ」
「……一般を何だと思ってるんだ、その捻くれ頭は」

 この通り。呆れるカノハは『普通に』会話してくれている。
 耳が良いのか、意図的に聞き逃さないよう注意しているのか、その辺りは定かではないが。昔から1度も、カノハがジュイの言葉に対して「何て言った?」と聞き返して来た事は無い。
 故に、甘えて──ジュイは一切気を遣わず、聞き取りにくい小声で話す。

「で、実際どうだったんだ? 好みの見た目してたのか?」
「そうだね。両方共、まぁ。まあまあ」
「…まあまあ、な」

 正直な感想だ。中身について、とは別。レンゲルとコクトの外見については、嫌いではない。双方とも良い男だと思うし、まあまあ『好み』の方に入る。

「けど……オレの耳に入って来る世間話の印象だと」

 パタン、と冷蔵庫が閉められた音がした。中身の入れ替え作業が終わったようだ。
 買って来た食材が入っていた買い物袋──今は、無駄になってしまった物が詰められた袋を持って。カノハが玄関までの僅かな距離を行きながら言う。

「見た目がイイって内容で1番話題になってるのは、1人だけ女性の……ビィズだっけ、彼女だけどな」
「…………」

 思わず黙り、

「へー……」

 とだけ返した。
 ゴミ袋を一旦、玄関に置き。戻って来たカノハは、ジュイの反応に対して特に何も言わない。勿論、不審に思っている風でも無い。
 「女性の見た目がどうだのこうだの、なんて興味無い話だろうな」と。ジュイにとっては「へぇ」以外に言う事の無い話題だと、理解してくれているのだ。

 実際の所は、ジュイはその話に対して無関心ではない。
 …まぶたの重さや、常時八の字になっている眉、目の下の隈、他にも細かく色々。ばれない程度にいじったとは言え。
 『元』は己の顔であるはずなのだ。
 何故、ビィズの顔は世間にただただ受け入れられて、ジュイの顔はそうではなかったのだろう。解せない、という気持ちが多少ある。
 『元』からいじった上にメイクをしているという事もあって、恐れられる程の美貌ではなくなったのかもしれない──…一応そう判断してはいるが。やや不愉快だ。

「さて、と…」

 ジュイが1人、密かに不貞腐れていると。カノハの気配は寝室の方へ向かって行った。
 今から『7日の間に荒れた部屋の掃除』が始まるのだ。

「……」

 ジュイはただ黙って、リビングのソファに座っている。
 動く気は無い。要するに、手伝う気は無い。そんな事は当然カノハも分かっていると、分かっている。…毎週の、毎度の事なのだ。

「おい。既に先週より酒瓶の数が多いぞ、どういう事だ? 少しでも量、減らせって言ったはずだよな? 忘れたのか? バカなのか?」

 遠くない──むしろ近い──隣の部屋から、小言が飛んで来た。
 応えず、ジュイは小声で「バカでーす」と笑う。動く気も手伝う気も無いまま、そこに放り投げてあった読みかけの小説をパラパラと捲る。

 ──自分はカノハに甘えている、と。はっきりとした自覚がジュイにはあった。

 こうして毎週、休日の無駄遣いをしに来てくれる事も。『当たり前』として受け入れさせてもらっている。
 毎週毎週、家中を散らかしても、使った食器や洗濯物を放置しても、買って来てくれた食材を駄目にしても。カノハは無駄な事をしにやって来るのだ。
 …無駄だと気付いていないわけがない。気付いていて、分かっていて、それでもジュイの生活環境を整えにやって来る。
 ジュイはただ、有り難く甘えさせてもらっている。見返りも特に何も返さない。…そんな最低な事をしても許される相手だと、甘えている。

 そもそも。この、毎週無駄な行動をさせている件以外にも。
 例えばドが付くような深夜。2時や3時に突然電話をかけて愚痴ばかり聞かせても、カノハは──文句は山ほど言うが──付き合ってくれる。あちらからは電話を切らない。
 同じく、ドが付くような深夜。2時や3時に突然電話をかけて「今から酒の肴を作りに来てくれ」などと言っても──翌日が当然のように平日でも──来てくれる。山ほどの文句を付けて料理を出してくれる。
 ……とにかく甘えさせてくれるのだ。ジュイは悪びれもせず。本当にただ有り難く。甘えさせてもらっている。

「菓子の袋も多いし、油っぽい物が増えてるし…将来、太るぞ。お前の性格の悪さで肥満体形とか、いくら元の顔が良くても相手してくれる男居なくなるからな」

 故に。こういう刺々しい小言や、皮肉や、嫌味を言われても。ジュイの心は本当に全くダメージを受けない。
 刺す気の無いトゲ。刺さっても痛くないであろうトゲ。そんな風にしか感じないのだ。

「っとに……何かしらの都合でオレが来れなくなったら、ここにゴミ屋敷というかゴミ部屋が誕生するな……それとも誕生させようとしてるのか、お前は」

 ずっと無言のジュイに向け、カノハはブツブツと口撃を繰り返す。
 しかしダメージは無い……所か。ジュイの耳にはそれが段々と、穏やかな子守唄のように聞こえて来た。睡魔の再来。…大きな欠伸が零れる。

「こんな部屋、ロウセンが見たら驚くぞ。見せられるのか? ここにロウセン呼べるのか? オレが掃除してるってバラしてやろうか」
「…呼ぶ予定も来てくれる予定も無いよ…うるさいな…」

 既に寝惚けながらも、聞き捨てならない部分にだけ反論すると。「そこにだけ返事をするな」と言わんばかりに、カノハが溜め息を吐いた。

「と言うか、何を眠そうにしてやがるんだ。寝るな。将来の健康のためにも規則正しく、平日にもっとちゃんと良く寝て休日の無駄遣いしなくていいようにしろよ」
「……だから、それは……」

 そっちこそ。という続きは声にならなかった。
 結局、まぶたはあっさり閉じ切ってしまい。カノハが唄う子守唄も「寝るなバカ、夜に眠れなくなるぞ」以降は聞こえなかった。





 薄っすら、目が開いた。否、開いてはいなかった。
 目は閉じられたまま、意識だけが僅かに覚醒した……起きているような、眠っているような、半々の状態だ。半々、と言いつつ半分以上は眠っていると感じる状態。

(……?)

 包丁が野菜を切る音、鍋が何かを煮込んでいる音、カチャカチャと皿同士がぶつかる音。近いのに遠い音がする。
 カノハの仕事はもう『夕食作り』になっているらしい。つまり、結構な時間が経っているようだ。

 もぞりとソファの上で寝返りを打てば、ほぼ眠っている頭が違和感を伝えて来た。
 1つ、眼鏡が無い。2つ、何かが乗っている感覚がある。

「……」

 今度は本当に、薄っすら目が開いた。ぼやけた視界にテーブルの上の眼鏡が映る。身体にかけられた薄い毛布が映る。
 どちらもカノハの仕業だろう。カノハがジュイの顔から眼鏡を取り上げ、代わりに毛布を寄越したのだ。

「…………」

 眠る頭は何の感想も述べない。
 ソレとは全く関係の無い、耳に入る音への感想が浮かんでは消えて行く。

(何を煮込んでるんだろ…。シチューかな…スープかな……楽しみ)

 『波間の月影』に流れるジャズと同じ。
 独り立ちして以降、あまりにもよく食べているせいで。ジュイの舌は完全にカノハの作る料理──カノハの味付け──を最も美味いと思うようになっていた。

(お酒、買って来てくれたかな……一緒に飲んでってくれる時間あるかな…)

 また違う思考が浮かび、消える。

(夕飯の後も、色々小言聞かされるんだろうな…)

 先刻開いた目が、また、完全に閉じる。
 ふと。作業が「後は煮込むだけ」にでもなったのか。カノハが近付いて来た気配がした。
 気配は迷わず、ジュイが眠るソファ──ジュイの隣に腰を下ろす。そこに放置されている小説を拾い上げ、ページを捲っている。

(夕飯がもう直ぐ出来るって事は……もう直ぐ起こされるって事だな…)

 ならば最後にもう1度、しっかり寝てやろう。そう判断した頭が、思考を放棄し始めた。
 浮かんでは消えてを繰り返していたどうでもいい言葉が、段々と浮かばなくなってくる。

(……俺の作戦が上手く行って)

 浮かんで。

(ジュイとしての人生、辞めたら……毎週…)

 眠ろうとする意思に飲まれ。

(週末の、この時間も……無くなるんだな……)

 ただ微睡みの中へ消えて行く。


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