かりそめ夢ガタリ

鳴烏

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1話

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 3月は、ジュイの1番嫌いな月である。
 小・中・高、各学校の卒業式。それらと──特に中等学校の卒業式と──ほぼ同じ日にある、春の祭り。
 …ジュイの1番嫌いなイベントがある月だからだ。

 しかし今年のそれらはもう終わった。3月の3分の2以上が過ぎ去った。
 神都中、神国中が、来たる4月に向けて様々な準備をしている時期だ。
 ジュイの心中にも既に、3月への苛立ちなど微塵も無い。有るのは、昨日ロウセンに会えた事に対する喜びだけだった。

 この、良い気分を維持したまま。今日も『波間の月影』で飲んで帰ろう。
 そう思っていると。

「あ。ジュイ君、ちょっといいですか~?」

 机上に白衣を放り投げた瞬間、所長が「お疲れ様」ではない言葉を寄越して来た。

「……何だよ。…じゃない、何ですか…」

 訝しげに、ついでに不満気に。顔をしかめるジュイだったが。
 所長ことアオ・ハヴィットは、そんな事など気にも留めず、軽快な足取りでドアへ向かう。

「お話と、頼み。という2つの意味で聞いて欲しい事があるんですよ~」

 言って。こちらが返事をする前に、廊下へ出て行った。
 つまり「場所を移すから付いて来い」という事だ。

「……」

 多少不機嫌になったジュイだが、相手が相手。
 アオ・ハヴィットは、ジュイが──ジュイ・『ハヴィット』が育ったハヴィット孤児院の、前院長の孫。そして現院長でもある。
 要するに、職場の上司且つ親のような物。…今、ジュイの胸中を占める感情のほとんどは『諦め』だ。

 仕方なく──ガシガシと髪を掻き乱してから──ジュイは上司を追うべく、足を動かすのだった。





 この世界は、1人の最高神が創った8人の神によって創られた。…という、創世についての言い伝えがある。
 創世を終えた後、8人の神はそれぞれ好きなように世界と関わっている。…という、言い伝えもある。

 内1人が、人間の友人達と協力して作った国が──ここ。『アズヴェルデ神国』。

 世界には王国や、帝国や、皇国…他、いくつもの国があるが。『神国』は、この1つだけ。
 王国の王・帝国の帝王…等と同じ位置、つまり国のトップには、今も建国に関わった神そのものが居る……らしいが。事実は不明だ。
 一般の国民は当然、都の中心にある城には入れない。『神』が国民達の前に姿を現す事も無い。
 神国の玉座には本物の神が座っているという話も、ただの言い伝えと判断する者が大半である。

 ともかく。今も居るか否かは不明だが。
 神国、そしてその首都・神都ブルグリューネの歴史を始めさせた神は、『学』の神だったらしい。
 様々な既存の魔術を発展させ、新しい魔術を作り上げ、便利な物から下らない物まで数多くの魔法薬を作成し、まさに神業としか言えない腕と知を駆使し山ほどの魔法装置を完成させた。
 …そういう神だったらしい。

 要するに。神国、そして神都は広い世界の中で、『飛び抜けて文明が発展している国』なのだ。
 研究員という職が今も昔も国内で重要視されており。彼らの手が現在進行形で文明を発展させている。そういう国だ。

 例えば、かなりの昔から都中を列車が走っている。
 個人住宅、集合住宅、店や施設、全ての建物に国が──強制的に──自動で室温を最適化する機械を取り付けてくれる。
 風呂場も台所も、快適に使える。
 10年前には、現在の国1番の研究者であるアオ・ハヴィットが携帯電話という物を発明した。
 まだ神都内でしか使えない代物だが、遠くない未来に神国内、いずれは世界中で……と皆が確信している。
 とにかく便利な国なのだ。

 そして。携帯電話と同じく10年前、アオ・ハヴィットの手で作り出された物が『テレビ』である。


「…………」

 自宅。3階建ての、小規模な集合住宅の一室。
 荒れ放題・散らかり放題な部屋の中、ジュイはベッドに座って己の右手…中指の爪を見つめていた。

 ──来年度から、つまり今度の4月から1年。『タレント冒険者』をやって欲しい。
 それがアオ所長の言っていた、2つの意味で聞いて欲しい事だった。


 …完成してから最初の5年間、テレビで放送されていたのは神国内のニュースだけだったのだが。
 「もっと違う系統の番組も放送してくれ」という国民の声に応え、5年前から週に何度か娯楽番組も流すようになった。
 とは言え。その娯楽番組への出演だけを仕事とする人間はまだ居ない。それはまだ…『職業』として、成立も認知もされていないのだ。

 では、娯楽番組への出演、アイドルの役目は誰が担っているか。答は冒険者だ。
 神都に長期滞在する予定があり、容姿なり持っている技なりに華がある。
 そんな冒険者が毎年3・4人。国と──簡単且つゆるい──契約をし、1年間タレントとして働いてくれている。

「4月からタレント冒険者をやってくれる予定だった冒険者の方々…3人兄弟の方々なんですが。彼らが急遽、故郷に帰らなくちゃダメになったそうで」

 彼ら一族の大黒柱であるお婆さんが生死の境を彷徨っているとか何とか、とアオ所長は語った。

「新しく3人確保しないと、って私の所に相談が来ましてね? 2人は確保したんだけど、後1人が……と」

 嫌な予感で胸が埋まって行くジュイの、細められた目の先。ジュイの眼鏡とは違う、オシャレな眼鏡の下。
 所長は年齢に相応しくない、悪戯っ子のような顔で笑い。

「最近面白い魔術を完成させたんですが。ソレの試験運用としてジュイ君、タレント冒険者やって下さい」

 …そう言って来たのだ。

 そして今、ジュイはベッドに座って右手の中指を見つめている。
 所長から授けられた『変身の魔術』を扱えるという証、その紋章が爪の中央で淡く光っていた。

 何にでも好きに変身出来る術ではなく、最初にこれと決めた姿1つにだけ変身出来る術。
 悪用しようと思えばいくらでも悪用可能なので、世に広めるかどうかも悩んでいる……故。
 この術を用いて変身している事がばれないような姿を作って、1年間。励んでくれ。

 …と。一方的に告げられた『ばれるな』という所長の言葉を、まず思い出し。
 次にジュイの頭は、かりそめの姿を決める際の詳細を反芻した。

・人間以外の生き物にはなれない。
・性別は変えられない。
・年齢は±10の範囲で変えられる。ただ、年相応の外見になるかは術者の元々の外見による。
・身長は±15の範囲で伸び縮みさせられる。
・元の姿とあまりに違い過ぎる体格変化は出来ない。例えば、痩せぎすな人間が超マッチョになる等は不可能。…多少の筋肉を付ける程度なら可能。
・体形もある程度しか変えられない。例えば、寸胴な人間が強弱のあるボディになる等は不可能。貧乳な女性が巨乳になる等も不可能。…ある程度、の範囲内なら変えられる。
・髪色や髪の長さ、目の色は自由に変化可能。
・顔付きも体形と同様、ある程度なら変えられる。ある程度、まで。元々ツリ目な人間がタレ目になる等は不可能。
・頭脳や運動神経等の能力的な物は一切変えられない。変わるのはあくまで『姿』のみ。
・服装は世界中にある全ての服の中から選ぶ事が出来る。
 ただ、選んだ服がオーダーメイドの一点物等だった場合は万一に備えて色や形を変えた物が生成され──…… 

「……」

 再び、否。更に、じっと。右手中指の爪を睨んだ。
 …この紋章も『ばれる』事を避けるため、術を使用する前後以外は消えて見えなくなるようになっている。抜かりない。

(馬鹿馬鹿しい)

 ついでに面倒臭い。
 取り組んでいた研究に区切りが付き、新しい研究の対象を見つける期間──要するに暇な期間として。今年度のジュイの1年は消費される予定だ。
 それもあってアオ所長は自分を選んだのだろう……が。
 馬鹿馬鹿しい。ついでに面倒臭い。どうして自分なんだ。他の奴に頼め。ジュイの頭が真っ先に思い浮かべたのは、そんな、拒否の言葉の数々だった。

(馬鹿馬鹿しい…けど)

 しかし、所長の説明を聞いていて、ジュイの頭は次第に。1つ。
 策を。企みを。期待を、願望を。少なくとも、この1年の間だけは確実に浸っていられる…かりそめの夢を。思い浮かべてしまっていた。

「タレント冒険者に払う給料は当然として。お望みなら、この仕事が終わった後も変身魔術を使えるままにしておいてあげますよ~」

 と、所長が提示して来た『報酬』も含め。悪くない話だ、使える話だ、と感じてしまった。

 1年…望むならそれ以上の期間。ジュイ・ハヴィットではない人間になれる。それは即ち、ジュイ・ハヴィットでは出来ない事が出来るという事だ。
 上手く、賢く、やれば。人生で2度目の恋を実らせる事が可能なのではないか。ロウセンを落とせるのではないか。
 そのために、派手に積極的に動く事が──ジュイ・ハヴィットではない人間になら、出来るのではないか。
 何せ、その別の人間に対するロウセンからの好感度は──上がろうが下がろうが──ジュイ・ハヴィットには影響しないのだから。

(…失敗が、怖くない)

 成功すれば1年後、変身魔術を手にしたまま別の人間として生きる道を選び。失敗すれば何事も無かったかのようにジュイとして生きればいい。
 そんな思考から、ジュイはアオ所長の依頼を引き受けた。

 右手中指の紋章に、左手で触れる。
 直ぐ、目の前に細長い長方形が現れ……「初・起動」「変身後の姿を設定します」という文字が流れて行った。
 次いで直ぐ、長方形は上下左右に伸び、広がり、全身を映す姿見に変わる。姿見の左右にいくつもの小さな長方形が現れ、そこには1つずつ何かしらの項目が書かれている。

(年齢変更値、身長変更値、声色変更値、筋肉量増減値、脂肪量増減値…。これは、胸囲をイジるメーター…? こっちは腰周りで、こっちは脚で…コレは髪色、目の色…)

 細かい。
 だが所長からの『ばれるな』という命令を守るため、なるべく多くの項目をいじるべきなのだろう。

(……さて、どうしようかな……)

 音の無い息を吐き、そんな風に思ってはみたが。
 『どうするか』、大まかな方針は既にジュイの中で決まっていた。

「……」

 魔力で作られた姿見、その中央を見る。
 服も髪もぞんざいに扱っているのだろうと分かる、言ってしまえば小汚い男が。憎々し気にこちらを睨んでいる。

 今は仕方が無いが、やはり。鏡を見るのは大嫌いだ。
 身内以外の人間やら、世の中やら、嫌いな物事は多々あるが。やはり。自分のこの顔が1番嫌いだ。

「──チッ」

 舌打ちが出る。
 ジュイの顔は──世間一般の美的感覚を物差しとすると──とてつもなく美しい。人間の枠を大きく外れた、人外レベルの美貌だ。
 しかし、それでジュイがいい思いをした事は1度も無かった。
 何事も『行き過ぎれば不足しているのと同じ』なのだ。
 幼少期、ジュイの美貌に対して周囲の子供が抱いた感覚は、「身近に居る事が不自然でしかない」「世界が違う恐いもの」……それだけだった。
 皆に避けられ、陰でヒソヒソと悪口を言われ、その横で人間のレベルに収まっている美少年がカッコイイとチヤホヤされていた。
 …いい思いなど、1度もさせてくれなかった顔だ。むしろ嫌な思いばかりさせて来た、不愉快極まりない顔面だ。

(ああ、でも。この魔術があれば。……1年後に、俺の作戦が成功してれば)

 ジュイ・ハヴィットの人生を途中で辞められる。即ち、この顔ともお別れ出来る。
 思わず零れかけた笑いを飲み込んで、ジュイは眼前の自分との睨み合いを切り上げた。

 自分ではない別の誰か。しかし、間違いなく自分。新しく始まる人生を歩むかもしれない、かりそめではなくなるかもしれない、2人目の自分。
 その容姿は、真剣に考えなくてはならない。自分自身が好きになれる自分を作らなければ。

「…………」

 これは大事な作業だと、1人頷いて。まず1番上の項目。

(…名前)

 当然、偽名になるが。この先ずっと使う事になる可能性もある名前。

(どうしよう……)

 心中で先と同じ5文字を巡らせ、姿見から視線を逸らした。
 ふ、と。部屋同様に散らかり放題な机の上が目に留まる。

 紙クズやインクの切れた安いペン、菓子の袋や空になった細い酒瓶。
 …様々なゴミに紛れてそこに在ったのは──元の輝きを失い色褪せた、ビーズの腕輪だった。


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