かりそめ夢ガタリ

鳴烏

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1話

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「それじゃあ、そろそろお願いしまーす!」

 青く晴れ渡った空の下。男性の太い声がそう言った。
 陽の光を反射し、僅かに光ったレンズ。…その正面に、3人の人間が集まって来る。

 1人は己の衣服が乱れていないかチェックをし。1人は小さく欠伸をし。
 最後の1人は、フリルで飾られたスカートと長い髪を揺らして……完璧な笑顔をレンズに向けた。

「では、撮影開始します! はい、5秒前ー…」

 昼間の街中に在る喧騒を物ともせず、太い声による宣言が響き渡る。多数の足が歩みを止めて、多数の視線がそちらを見つめる。
 そして、彼らは今から一時、エンターテイナーへと変身する──。





 脱いだ白衣を自身の机上に放り投げ、ドアへ向かう。

「お疲れー」

 と。この場の長が投げかけて来たのを皮切りに、広いとは言えない部屋のあちこちから「お疲れ様」が聞こえた。
 応え、首から上だけ振り返り、首から上だけで会釈する。
 …声にした挨拶を返さずとも、ここの者は誰1人文句など言わない。そもそも自分への「お疲れ様」も、寄越さなかった者も居る。当然ソレへの文句も無い。
 そんな、非常識とも捉えられるある種の気楽さが、ここ──ハヴィット研究所の好ましい所だ。勤める研究員は皆、そう感じているだろう。

 カチャ、と静かにドアを開け。部屋を出る。
 少数のドアが並ぶ短い廊下を歩き、直ぐ、建物そのものから出る扉に辿り着いて……外へ。

 途端、嫌でも耳に入る様々な音。
 ジュイ・ハヴィットは思い切り、眉間の皺を深くした。

(俺が外を歩く時は、全員家ン中に引っ込んでてくれないかな)

 重い気持ちと軽い鞄を抱え、目的地に向かって細い小道を行く。
 徐々に騒音の音量が増して行き…やがて、小道が太い中央通りに合流した。
 …足が止まる。溜め息が出る。眉間の皺は、ますます深くなる。
 この、人で溢れかえった夕暮れの中央通りを横切り、あちら側の小道へ逃げ込むまでの短い時間が。ジュイは大嫌いだ。

(ホント、鬱陶しい。煩わしい。マジでクソ…)

 口のへの字に曲げ、目を上げた。分厚い眼鏡の向こうには、控えめな街灯の明かりと闇色に染まって行く空が在る。
 鼻から息を吸い、目を正面へ戻し、息を吐く。…ここで立ち止まっていても仕方ない。毎日の事だ、分かってはいる。

 意を決して人の波に身を投じ。左右から押し寄せる数多の身体、石畳を鳴らす数多の足、全てをギリギリで躱して前へ進んだ。
 しかし、脱出口である小道への入口まで後半分という所で。

「お兄さん、ウチで夕食とその後の1杯どうだい! 今日はイイ食材が入った上に値引きの日だよぉ!」

 片手に食事処の看板を持った女性の──女性にしてはたくましい──腕が、肩を掴んで来た。
 心臓が跳ね、微かに身を震わせてしまったものの。

(ク……ッソ面倒臭いんだよ、ババア!!)

 次の瞬間には、心の声が不愉快だと叫んだ。
 それと同時に口から出る声は「結構です」と、消え入るような──否、ほとんど消え入っている声量で言う。
 周囲の騒がしさに完敗し、ソレは女性の耳に届かなかったのだろう。彼女が首を傾げた気配がしたが、ジュイは構わず肩にある手を振り払った。
 …歩を進める速度を増す。背後から「なんだい!」と女性の悪態が聞こえた。

 その悪態に心の中で言い返しながら進み、ゴールに辿り着く直前。
 今度は余所見をしていた冒険者──背格好から軽装の戦士──とぶつかった。勢いの無い衝突だった故、眼鏡がずれただけで済んだが…

「あ、すみませ……!」
「何やってんのよー、ちょっと……!?」

 彼も、彼の連れも、ずれた眼鏡の下にあるジュイの顔を見て呼吸を止めた。
 彼らがどんな表情をしているのかは確認しなかったが、視界の端に映った2人分の足は僅かに。確かに。半歩分程、後ずさった。

「…………こちらこそ」

 思わず出そうになる舌打ちを飲み込んで、ほぼ消え入っている声で5文字だけを返す。
 地面に向いていた視線はそのまま、眼鏡の位置は元に戻し、さっと素早く前進を再開すれば。ようやくゴール、中央通りを横切る時間は終わりである。

 しかし、その後もジュイの足は止まらない。本当のゴール──目的地が在るのは、あと少し先だ。
 つい先刻までの短時間で溜まった分も含め。…早く1日の疲れを癒してしまいたい。





 バー『波間の月影』。今しがたやっと到着した、ジュイの目的地。
 …この広い都に、酒を出す店は数多く在るが。ジュイが『お気に入り』と認定している店はここだけだ。
 どの程度お気に入りかと言えば……平日は、余程の事が無い限り本当にほぼ毎日。休日もたまに。訪れる程度、である。

「…おぉ、いらっしゃい」

 店に入って直ぐ、レジの向こうで新聞を広げるマスターに声をかけられた。

「…どうも」

 ぼそりと言って頭を下げる。
 常連中の常連になる程、ここに通っているのだ。
 この老人からの挨拶では、ジュイの機嫌は悪くならない。…ジュイが返した挨拶が聞こえていなかったとしても、この老人の機嫌もまた、悪くならない。
 愛想も何も無い、いつも通りのやり取りが終わり。すっとジュイが店の奥へ進むと、老人の目は新聞へ戻った。

 広いわけではないが、狭いというわけでもない店内に並ぶテーブル席。それを埋める何人かの客。時々、歌や踊りを生業とする冒険者が使っている事もある小さなステージ。
 それらを視界に捉えつつ、ジュイは真っ直ぐ1番奥のカウンター席に向かった。
 背もたれの無い丸椅子に腰かけ、薄い鞄を足下に置き、俯いて1つ息を吐く。

 特に好んではいなかったのに、あまりにもここに通い過ぎたせいで──つまり、あまりにも聞き過ぎたせいで──耳に馴染むようになったジャズが、今日も心地良い。
 やがて、そのゆったりしたピアノの音にこちらへ向かう足音が混じり。

「よ。ご苦労さん」

 真正面から何よりも聞き慣れた声がした。
 顔を上げると、きちんと身なりを整えた姿勢の良い男が立っている。バー『波間の月影』のカウンターで仕事をしている店員だ。

「今日のオーダーも『適当に美味いの』でいいのか?」

 …勿論。ただの店員であればこんな風に、客であるジュイにタメ口は利かない。
 彼が敬語を使わない接客をする相手はジュイだけだ。

「いいよ。いいけど、ドロッと系じゃなくてスッキリ系のレモン味っぽいヤツにして」
「ソレは『適当に美味いの』じゃないだろ。ま、了解。スッキリさせたい疲れが常に溜まってるんだもんな」

 軽い口調で皮肉を寄越し、棚の酒瓶達に向き直った……彼の背を、ただ眺める。
 彼──カノハ・オリアはジュイと同じ孤児院で過ごし、育った、昔からの友人であり。数年前まで所謂『セックスフレンド』という関係にあった相手であり。
 ……そしてジュイの、破れた初恋の相手だ。
 自身は生来の同性愛者かもしれないと悩んでいた幼少期に。その疑惑を確信に変えた初恋の、相手。

「…………」

 とは言え。大分前に──やや時間はかかったが──決着を付けて終わらせた恋だ。
 今のカノハはジュイの、元セフレ・気の置けない古い友人・罵り合いですら軽く出来る相手。要するに、心の底から気を許している『身内』である。

「ほら、お待たせ」

 ジュイがぼんやりしている間に、カノハは手際良く作業を終えていた。
 カウンターにカクテルを置いた手。手首にある、ビーズ──のような安物の魔法石だが、2人はビーズという事にしている──の腕輪を見。僅かに目を細めてしまう。
 しかし、直ぐ。反射的に。ジュイはその淡いオレンジの視線を、眼前のグラスへ移した。

「にしても、今日も今日とて悪い意味で白い顔してるな。マトモな飯食べないと、将来的に後悔するって言ってやってるのに」

 腰を折り、両腕をカウンターに乗せて。目の高さを合わせて来たカノハが溜め息を吐く。
 グラスを取って口へ運びつつ、ジュイは溜め息と適当な返事を返してやった。

「夕飯なんかココのお酒と、帰ってからのお酒と、あとツマミで十分なんだよ」
「…全く。オレが持って行ってやる食材も無駄になってばっかりで悲しい限りだ」
「既に料理の形になってる物、買って来てよ」
「そういうのは買い溜め出来ないんだ。1週間以上置いておいたら無駄になるのは同じだろうが」
「神都の技術が作ったの、あるよね。冷凍のヤツとか、お湯だけで出来るヤツとか」
「マ・ト・モ・な、飯。って言ってるんだけどな、オレは」

 言いながらカノハは姿勢を正し、右方向へ俯いてまた溜め息を吐いた。
 ふと見えた彼の首には特徴的な2つの黒子。…つい凝視して、「エロい」などと考えてしまう己のサガが憎たらしい。

「…あ」

 ジュイが1人、下唇の右端を噛んでいると。カノハが何かに気付いた声を出した。
 彼の手がすっと上げられる。自然とその目線の先を見。

「あ!」

 今度はジュイが、先のカノハと同じ声を出した。
 胸の前で小さく手を振り近付いて来る青年は、ここ数年のジュイにとって心に描く頻度が最も高い相手である。

「…ジュイ、カノハ。えぇっと…ちょっと久しぶり。良かったー、会えて」

 側までやって来た彼の笑顔に、ジュイは思わず背筋を伸ばしてしまう。カノハと違って常時は曲げている故か、背骨がほんの僅かな痛みを訴えた。

 …ロウセン・ルナクォーツ。彼もまた──居た期間は長くなかったが──ジュイやカノハと同じ孤児院で過ごした古い友人だ。
 子供の頃から人付き合いが苦手で嫌いだったジュイの、初めての友達であり。今は、『想い人』『好きな相手』等と呼べる存在でもある。

「確かにちょっと久しぶりだね、ロウセン。今日はなに? 休みだったのかい?」

 必死で作った下手クソな笑顔を返しながら、ジュイは己自身に「落ち着け」と命じた。
 目の前の友人が勝手に慌てているなどと。気付きもしないまま、ロウセンはジュイの隣の席に腰を下ろす。

「その、休みじゃなくて……今日、仕事終わる頃の時間に来てくれって…アオ所長に呼ばれててさ」
「…所長に?」
「うん、何か、話? …用事? があるらしー…」

 アオ所長、とは。ジュイの職場、ハヴィット研究所の所長である。
 国1番の研究所の所長である彼と、国の上層部と関わりを持つロウセンは、時々政治的な話をしているのだが。今回もソレだろう。

「だから、アオ所長に会いに行く前に…うん。ココに寄ったら、カノハには確実に会えるし…ジュイも居るかもー…って」

 へにゃりと力の抜けた笑い方で「会えて嬉しい」と言う彼に、「俺も久々に会って話したかった」と返したが。
 緊張からモジモジしてしまったジュイの声は、ロウセンの耳どころか己の耳にも聞こえずに終わった。

「…あれ」

 その隙に、ロウセンはカウンターの向こう側……カノハの方を見やっている。
 いつの間にか、奴は──ロウセンとほぼ同時に来店したらしい──別の客の相手をしていた。
 …ロウセンにしてみれば友人と話す機会が無くなって残念、なのだろうが。ジュイには分かっている。
 ジュイの『恋愛についての相談や愚痴』を散々聞いているカノハは、気を利かせたのだろう。

「相変わらず、すごいなぁー…。…知らない人とあんな風に接するなんて、僕なんかには真似出来ない」

 にこやかにハキハキと注文を聞き、世間話に付き合っているカノハに対し、ロウセンが感嘆の息を吐く。

「アイツのアレは、ただ外面がイイってヤツだよ。多少喋るのが苦手でも、ロウセンの心の方が根っからキレイでしょ」
「…またそんな、カノハ弄りして」

 容赦なく断言したジュイに苦笑いを浮かべたロウセンだったが、次の瞬間には「…っはは」と小さく吹き出した。

「でも、ありがと。…ジュイはいつも優しいなー…」
「……」

 絶対に、それは無い。そう心の中で思ったが、黙って受け取っておく。

 ロウセンは真面目に、心底、『ジュイは優しい』と思っているのだ。悪意の無い人間だ、と思っているのだ。
 人の本質を見抜けない、だの。純粋と書いて愚か者、だの。そんな風に感じる輩も居るのだろうが。
 ジュイはロウセンについて、『本当に心の根っこからキレイな優しい人』だと──判断している。

「…でも、ジュイの優しさに甘えてちゃ駄目だよなー…。僕も、頑張って精神鍛えないとだ…」

 だからこそ。付け込めるのでは、とジュイは思っている。
 自分とは違って、完全な異性愛者であるロウセンだが。…好いている女性が居るのではと思える言動をたまにする、ロウセンだが。彼は優しい。
 25年続けて来た人生の中で、2度目の恋。彼の優しさに付け込めば、付け込む方法が見つかれば。実らせる事が出来るかも──と。


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