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「あの、三上さんて…社長さん、なんですか?」
話の流れをまったく無視したかのような律の問いかけに、まつげ女子が目を瞬かせた。
「…」
お互いに見つめ合ったまま、白けた沈黙が三秒ほど続く。
「?何言ってるんですか?」
聞こえなかったのだろうかと思い、再度質問を繰り返す。
「えっと…三上さんは社長なのか?と…」
「そうじゃなくて。それ、本気で聞いてるんですか?」
律が頷くと、まつげ女子はますます深く眉根を寄せる。
「三上さんて~、あの三上さんですよ?アロクテッドリンクのCEO、三上詩織」
巷ではイケメン社長として有名です。
彼女は憧憬を多分に滲ませた熱っぽい口調で、詩織について語る。
その説明を聞きながら、律は急いで記憶を手繰った。
そんなこと、彼は一言だって言っていただろうか?
最初に思い浮かべたのは、初対面の夜だ。
確かあの夕食の席で、由紀奈が詩織のことを“正社員じゃない”と言っていたような気がする。
あれは自分の記憶違いだったのだろうか?…いいや、まさか。
その後も何度か、詩織の仕事について聞く機会はあった。
しかし、そのいずれの時にも、彼は一言だってそんなこと口にしなかったと思う。
だって、ただの一度でも聞いていたら今、律は言葉を失うほど驚愕することもなかったのだから。
「有賀さん、もしかしてナンパでひっかけられたんですか?だとしたら余計さっさと手を引いた方がいいですよ~?」
“彼女面してよくこんなところにいられますね~?”なんて棘の含まれた忠告をされて、律は小さな声で「すみません」と返すのがやっとだった。
別に、三上詩織に関する知識が皆無だったとしても、生きていくのに何の支障もない。
加えて、律はIT音痴でその方面には興味すらない。
だから、アロなんとかの三上詩織を知らないのは仕方がないことだ。
心の中で、つらつらと反論してみるが、その一つさえ言葉にはならなかった。
律が知っているのは、時々、空腹の野良猫みたいに三上家にふらりと帰ってくる彼だ。
そして、テレビを見ながらくだらない話をして笑いあう彼。
昨今の若者らしく始終スマホを手にしていて、ややスマホ中毒気味な感のある彼。
料理は苦手で、でも洗い物はしてくれて、そして何より、コーヒーを淹れるのがうまい。
時々、苛立たしいほど上から目線だけど、ただの同居人の就職祝いをしてくれて、困った時には助けてくれる。
非正規で薄給のはずなのに、妙に見栄っ張りなところがあって…
それが、律の知っている三上詩織のすべてだ。
今もなお混乱する気持ちを抱えたまま、律は長いため息を吐く。
よく知っていたはずの彼が、今はまるで見知らぬ人間のように思えた。
楽しんでくれればいいと、詩織はいとも容易く言ったけれど、律はこうした派手なパーティーを楽しめるような性格じゃない。
本音を言えば今すぐ帰りたいくらいだ。
一人きりでテレビでも見ながら夕食を摂る方が、よっぽど性に合っている。
会場を見回しても、詩織の姿は相変わらずどこにもない。
すぐ戻ると言ったのに。
連れてこられたと思ったら放置されて、一体自分は何のために同伴を求められたのだろう?
黙りこくった律から不穏な空気が出ていることを察したのか、それとも単に律が話し相手では退屈だったのか、まつげ女子は「私、三上さん探してきます~」なんて、もっともらしい理由を口にしながら、離れていった。
再び一人残された律は、ただ所在なく突っ立っているのが忍びなくて、酒の入ったグラスを絶えず口にやった。
もう三度目のおかわりだ。
ペースが早すぎると自分でも分かっているが、酒がないとどうしても手持無沙汰になってしまう。
それに、こうしている方がいくらかパーティーを楽しんでいるようにも見えるだろう。
…沈んだ気分も晴れるだろうし。
話の流れをまったく無視したかのような律の問いかけに、まつげ女子が目を瞬かせた。
「…」
お互いに見つめ合ったまま、白けた沈黙が三秒ほど続く。
「?何言ってるんですか?」
聞こえなかったのだろうかと思い、再度質問を繰り返す。
「えっと…三上さんは社長なのか?と…」
「そうじゃなくて。それ、本気で聞いてるんですか?」
律が頷くと、まつげ女子はますます深く眉根を寄せる。
「三上さんて~、あの三上さんですよ?アロクテッドリンクのCEO、三上詩織」
巷ではイケメン社長として有名です。
彼女は憧憬を多分に滲ませた熱っぽい口調で、詩織について語る。
その説明を聞きながら、律は急いで記憶を手繰った。
そんなこと、彼は一言だって言っていただろうか?
最初に思い浮かべたのは、初対面の夜だ。
確かあの夕食の席で、由紀奈が詩織のことを“正社員じゃない”と言っていたような気がする。
あれは自分の記憶違いだったのだろうか?…いいや、まさか。
その後も何度か、詩織の仕事について聞く機会はあった。
しかし、そのいずれの時にも、彼は一言だってそんなこと口にしなかったと思う。
だって、ただの一度でも聞いていたら今、律は言葉を失うほど驚愕することもなかったのだから。
「有賀さん、もしかしてナンパでひっかけられたんですか?だとしたら余計さっさと手を引いた方がいいですよ~?」
“彼女面してよくこんなところにいられますね~?”なんて棘の含まれた忠告をされて、律は小さな声で「すみません」と返すのがやっとだった。
別に、三上詩織に関する知識が皆無だったとしても、生きていくのに何の支障もない。
加えて、律はIT音痴でその方面には興味すらない。
だから、アロなんとかの三上詩織を知らないのは仕方がないことだ。
心の中で、つらつらと反論してみるが、その一つさえ言葉にはならなかった。
律が知っているのは、時々、空腹の野良猫みたいに三上家にふらりと帰ってくる彼だ。
そして、テレビを見ながらくだらない話をして笑いあう彼。
昨今の若者らしく始終スマホを手にしていて、ややスマホ中毒気味な感のある彼。
料理は苦手で、でも洗い物はしてくれて、そして何より、コーヒーを淹れるのがうまい。
時々、苛立たしいほど上から目線だけど、ただの同居人の就職祝いをしてくれて、困った時には助けてくれる。
非正規で薄給のはずなのに、妙に見栄っ張りなところがあって…
それが、律の知っている三上詩織のすべてだ。
今もなお混乱する気持ちを抱えたまま、律は長いため息を吐く。
よく知っていたはずの彼が、今はまるで見知らぬ人間のように思えた。
楽しんでくれればいいと、詩織はいとも容易く言ったけれど、律はこうした派手なパーティーを楽しめるような性格じゃない。
本音を言えば今すぐ帰りたいくらいだ。
一人きりでテレビでも見ながら夕食を摂る方が、よっぽど性に合っている。
会場を見回しても、詩織の姿は相変わらずどこにもない。
すぐ戻ると言ったのに。
連れてこられたと思ったら放置されて、一体自分は何のために同伴を求められたのだろう?
黙りこくった律から不穏な空気が出ていることを察したのか、それとも単に律が話し相手では退屈だったのか、まつげ女子は「私、三上さん探してきます~」なんて、もっともらしい理由を口にしながら、離れていった。
再び一人残された律は、ただ所在なく突っ立っているのが忍びなくて、酒の入ったグラスを絶えず口にやった。
もう三度目のおかわりだ。
ペースが早すぎると自分でも分かっているが、酒がないとどうしても手持無沙汰になってしまう。
それに、こうしている方がいくらかパーティーを楽しんでいるようにも見えるだろう。
…沈んだ気分も晴れるだろうし。
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