忘れてしまう少年と、忘れることが出来ない少女の話

ずっとガラケーでいい

文字の大きさ
上 下
1 / 1

忘れてしまう少年と、忘れることが出来ない少女の話

しおりを挟む


少年は困っていた。
何でもすぐ忘れてしまうから。
忘れる。すなわち忘却。
楽しかった出来事も、悲しかった出来事も、段々と記憶が薄れていって。
半年前の出来事はもう何一つ思い出せない。
今日の事だって、半年後にはもう、一つも、これっぽっちも思い出せないのだ。
この「忘れてしまうことが悲しい」と悩んでいた今日のことさえも。

少年は呟いた。
青い青い、ただどこまでも青が続く空に向かって。
寂しいんだよ、と。



△▲△▲△▲


少女は悩んでいた。
この、「忘れることが出来ない」という体質に。
少女は頭が良かった。
誰からも羨まれるほど。
周りは彼女を褒めたたえ、天才だと崇めた。
ただその言葉は少女にとって無意味だった。
一度聞けば、見てしまえば、彼女は二度と忘れることはなかった。
どんなに楽しいことも、悲しい出来事も。
彼女は忘れることが出来なかった。

彼女は空を見上げた。
空はどこまでも青かった。

私は寂しかったんだ、と。
言葉にしてようやく彼女は、気付いたのだった。


△▲△▲△▲


ある日、そんな少年と少女が出会った。
彼は話した。
彼の辛い過去を。
彼女は話した。
彼女の辛い過去を。

ただ、悲しいことに互いに互いの気持ちが分からなかった。
当然といえば、当然だった。
彼の、忘れてしまうという悩みは、忘れてしまうことが出来ない彼女にとって、理解出来なかった。
また彼も同じく、忘れてしまう彼にとって、忘れることが出来ないという悩みは到底理解できるものではなかった。
むしろ、互いに羨ましいとさえ思った。

少年は言った。
忘れない君が羨ましい。
僕は忘れてしまうんだ。楽しかったことも、君と会った今日のことさえ、半年後には覚えていないんだ。

少女は言った。
忘れるあなたが羨ましい。
私はなんでも覚えているわ。
悲しい記憶も、嫌なことも全部。忘れようとしても、頭から離れないの。


「君たちはお互いが羨ましくて、羨ましくて、仕方がないんだね」


二人の話を聞いていた店主が口を挟む。


彼は、忘れてしまうこともなければ、何でも覚えてしまうこともなかった。
ただの、普通の人間だった。


「私は忘れることも、覚えることもできる。
だからと言って、どちらが羨ましいと感じたことはない」

どうして、と彼女は言った。
辛いことを忘れられるのは羨ましいわ。

楽しかった出来事を覚えていられるのは羨ましいよ。
少年も続いて店主を批判した。


お互い、自分のことしか見えてないんだね。
後は君たち次第だよ。

答えはもう出ているんだけどね、
そう言って店主は店の奥に戻っていった。

沈黙が続く。

ふと目を瞑ると、コーヒーの香りがした。


そういえば、と先に口を開いたのは少年だった。

さっき、辛いことを忘れられるのは羨ましいって。


そうね、言ったわ。


それだけは、僕の、唯一と言ってもいい長所かもしれないね。


少年は笑った。

初めて見た笑顔だと、少女は思った。


少女は呟いた。

あなたも私のことが羨ましいと言っていたけれど、
楽しかった出来事を忘れないのは、私の、唯一の美点かもしれないわ。

二人は笑った。

羨ましかったのは相手の長所ではなかった。

自分が持っていないものを、相手が持っていることが羨ましかったのだ。


僕は今日のことを、半年後には綺麗さっぱり忘れてしまう。

なら、私が代わりに覚えているわ。
覚えることだけは、得意なの。

少年は考えた。
なら僕が彼女にできることはなんだろう、と。

もし君が悲しい思いをしたときは、僕が代わりに忘れるよ。
忘れることだけは、得意だから。

彼女は嬉しかった。
自分は覚えていても彼が忘れてくれるなら、そんな悲しい思い出はなかったのだと、思えることが出来るから。


コーヒーはもうぬるくなっていて、二人は一気に残りを飲み干した。


ドアを開けると、吊るしていた鐘がチリンと音をたてる。


店の奥で、店主が微笑んだような気がした。


………………
あとがき
 


今日祖母が、入院したときのこともう忘れてるって話をしていて、辛いことを忘れられるのいいな~と思ったんですけど、祖母からすると忘れるのってかなり嫌なことだと思うので、ないものねだりだよな~
なんて思って出来た物語です。

過去に辛いことがあって、知らないうちに思い出して、なんで忘れられないんだろうって、嫌になる。
辛いことほど思い出して、楽しいことほど忘れてしまう。
この矛盾ってなんなんでしょうね…
逆だったら、いいのにね


しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

ワンコインの誘惑

天空
現代文学
 人生一度の失敗で全てが台無しになる。  最底辺の生活まで落ちた人はもう立ち上がれないのか。  全財産を競馬にオールインした男。  賭けたのは誰にも見向きもされない最弱の馬だった。  競馬から始まる人と人の繋がり。人生最大の転換期は案外身近なところに落ちている。

六華 snow crystal 8

なごみ
現代文学
雪の街札幌で繰り広げられる、それぞれのラブストーリー。 小児性愛の婚約者、ゲオルクとの再会に絶望する茉理。トラブルに巻き込まれ、莫大な賠償金を請求される潤一。大学生、聡太との結婚を夢見ていた美穂だったが、、

求め合う血筋

水綺はく
現代文学
優ちゃんは完璧、私は欠陥品。 姉の優ちゃんはバレエを習っていて、真面目でストイックで誰よりも美しく輝いている。 それに対して妹の私は同じ血の通った姉妹なのに不器用で飽き性で何も出来やしない。 手を伸ばしても永遠に届かない優ちゃんに負けたくない私はいつも“何も出来ない私“を極めることで家族からの愛情を量っていた。 ところがある日、優ちゃんが骨折をしたことでその土台が崩れることになった私は…

野水仙の咲く丘には

沢亘里 魚尾
現代文学
 かつて不幸な大戦が人々をさらっていったように、津波が多くの人をさらっていった。  その大戦が人々を帰さなかったように、放射能が帰りたい魂を帰さない。  古代から人はこの海に育まれて暮らしてきた。  大昔から、人は海を畏れ、崇めてきた。  その子孫が海をもう元に戻せないほどに汚した。  自分たちの魂を引き裂いた。  せめて霊となって、戻っておいで。  引き裂かれた親子の霊は再び巡り合えるのだろうか。

好きだよ。

小槻みしろ
現代文学
菜摘は入学式で、クラスメートの紫の美しさに目を奪われる。 「絶対に紫の友達になりたい」 菜摘は、必死で紫と距離をつめようとする。髪を同じ色にし、周囲にも友達だとアピールし――しかし、紫は掴みどころがなく、菜摘ほど、思いを返してくれない。 「紫は私をどう思ってるの?」 報われない気持ちに、菜摘は焦燥し、やがて暴走していく。 友情と嫉妬がせめぎ合う、青春短編です。

20141127

蒼風
現代文学
from 2014.11.27 to 2021.06.15 title Will

『楢山へ続く道』

小川敦人
現代文学
青山は高齢の母を施設に預けたが、罪悪感に苛まれる。訪問を先延ばしにするも、ようやく再会。しかし母は衰え、彼を認識できなくなっていた。介護の現実と家族の絆の喪失を前に、彼は雪の降らない空を見上げる――。

彼女

根上真気
現代文学
心に傷を抱える「彼女」と「僕」は、互いに惹かれ付き合う事になる。だが、幸せな時を過ごしながらも「彼女」の傷はそれを許さなかった...。これは、いつしかすれ違っていく二人を「僕」が独白形式で語る物語。 10年以上前に書き上げ、己の恥部だと思いお蔵入りにしていた小品(短編小説)の数々を、思うところあって投稿しようシリーズ(自分で勝手にやっているだけ...)第一弾。 おそらく、当時、恋愛をテーマにしたものはこれだけだったと記憶しています。 ハッキリ言ってウェブ小説には合わないと思いますが、よろしければご覧になっていただければ幸いです。 あと、念のため......こちらすべてフィクションです。 いわゆる独白形式の私小説です。 エッセイではないので、くれぐれもお間違いないように存じます。   というわけで、長々と失礼しました。 読んでいただいた方に、ほんの少しでも何かが伝われば、作者として幸甚の極みです。

処理中です...