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祝、女百人越え、なれど……(百話)

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 夏、江戸市中は、ますますと物騒になって来た。            
 江戸無血開城の後は、悪党を捕まえるはずの岡っ引きが逃げ出した。薩長土肥ん奴らはてんでばらばらで、まとめようなんざしねえ。そいどこか、好き勝手に江戸中を荒らし回っとるわな。手前らで悪さしとんだ。戦に勝った勝った言うて、乱暴狼藉ん限りでねえのう。 
 天下の徳川はどこいったや。旗本は猫んようにおとなしくなってんど。吉原なんぞは値崩れして、太夫にまで、野郎どもが蟻んように群がってんで。こいじゃ身の空く暇がねえ、臭い連中が鈴なりでねえのう。そこら中から遊女が流れ込み、ごちゃ混ぜの佃煮になっとんのや。落ち着け落ち着けって、オラ手前に言い聞かせとる……  
  
 巷では、ええじゃないか踊りの渦が、東海道を遡り多摩川を越えよった。こいは三河でおこった珍事が元やと。お札が天から降って来たんやと。踊りたわむれた行列が、所々で手踊りする空騒ぎや。酒をふるまうなんかしたんで、噂を聞き、あちこちから連なったんや。
 品川宿では、庶民が通りに繰り出して、アホ踊りやっとる。徳川ん世、倒れても、ええじゃないかええじゃないか、ってな。オラは飛脚だすけ、街中がごった返してて叶わねえ。こんなだと悪さをする連中なんざは、大喜びよ。手ぐすねを引いとるわい。女衒の端くれのオラが言うんもなんだけんど、悪は女を狙う。
 こうなったら、ことちとらも自棄のやんぱちや。花の吉原が乱れ咲きしとる、もはや百花繚乱どころでねえ。ええじゃないか踊りんなか、野郎どもが有り金叩いて繰り出し、貝狂いや。そうや貝は女、女は貝、喰ったり喰われたり、そいがこの世や。
 あいやー、オラもう我慢出来んじゃ、吉原さ行く、空砲なんまでぶって来るわい……

 オラ 「おーい、牛ちゃん。久しぶりやのう。えろう混みようやな」
 牛太郎「んだな、こん吉原始まって以来の、どんちゃん騒ぎだ。木っ端銭が舞っとるべ」
 オラ 「そいにな、世間の風までおかしいでよ、何なんや」
 牛太郎「そうだっぺな、みんなも、そう言いよる。世が変わるなんてな。でな、鉄砲の乱れ打ちや、夜な夜な赤玉が飛びかっとるっぺ。空砲ん後の赤玉になってまで、女にしがみ付くんもおるで」
 オラ 「うん、大いに結構や。牛ちゃんや、吉原三番手に合わせれくりょ。オラ、縁あって、一番手の五十路は、やり手婆の黒貝のお蔭で。そんで、二番手の四十路は、牛ちゃん、お前のお蔭やったのう。今度は、花魁道中の三番手、三十路のツヤ姉と真剣勝負させてんか」
 牛太郎「てるヤン、あん女はな、狂い踊りのどさくさに紛れて消えてもうたわい。すけべ男に浚われたんか、吉原からとんずらしたんか、闇ん中だなあ」
 オラ 「何、何、本当は吉原一ん女が、闇に喰われたんかい、畜生め。オラ、帰る。女百人目は、あん女と決めてたんや、こん畜生め」
 牛太郎「おい、てるヤンや、ほかでもええっぺ、おい、おい……」

 話になんね。オラ、あん時の花魁道中のツヤ姉でねえと、祝いになんね。だてに女百人斬りやってんでねえ。がぶり寄つの真剣勝負や。九十九人目ん後は、何が何でもツヤ姉でねえと、なんね。おいおい、ツヤ姉、どこさ消えた、オラん夢……

 気落ちして、四ツ谷のねぐらの向かってた時や、似た女がいよる。橋んとこで、小汚いけんど、ええ面した女が、よろよろしとるでねえの。何かあったんかえ、小袖の模様がええ、だだの女じゃねえな。

 オラ「姉さんや、こん橋んとこで、誰か待ってんかいや? 夜分遅くに、ふらふらは良くねえど。悪か男がよって来るでよ」
 女 「なあ、ワチキを抱いてんか、やなこつ忘れさせてえな、銭おくれな」
 オラ「姉さんや、こげな橋ん下で男相手かや、こいも難儀やな」
 女 「もう男はいやや。女ん身だけでのうて、心まで滅茶苦茶んすん」
 オラ「渡世は辛い。オラは越後では酷い目んあってのう、江戸ん逃げて来た」
 女 「ワチキは男ん誘われて、ある色街からとんずらやしたんや。ええ男やったけんど騙された、横浜のな、横浜ん異人に売り飛ばすとこやった。女衒やったんや、ワチキは女衒が憎か、女をおもちゃんしやがってな」
 オラ「そいは女衒の川下にも置けんのう、オラん方がましや、あっ、いや、何でもねえ」
 女 「ん? そうや、兄さん、生業は何やね?」
 オラ「オラは、ただの飛脚や。苦労して銭溜め吉原ん来たんだども、だども。目当てん女がどっか行ってもうた。オラん女百人目は、あん女でねえと」
 女 「なあ、あんた、ワチキが、そん女ん振りしてあげたるかえ。悪か男に、銭全部もっかれたわ。飯代でええで。ワチキを買っとくれ」
 オラ「姉さんは、吉原三番手の花魁に似ておるのう。何か、前に見たような」
 女 「じゃあ、こうや、そこのあばら屋で花魁ん振りしたるわ、ええかえ」
 オラ「困っとる同志や。姉さんや、オラんこつ、頼むわいな、頼む」

 そりゃ、女を抱くんは、橋ん下よか、あばら屋ん方がええて。オラは虱布団に横んなり、女が部屋ん来るんを待った。あん女は、花魁の振りして現れたる言うてたな。ボロまとってんのによ。さあ、早よ、オラをあっためておくれ。
 ん、唄が聞こえよる、何や、ん……

 ……遊びをせむとや生まれけむ……戯れせむとや生まれけん
       よがる女の声聞かば……男の身さえこそゆるがるれ
              女ん密は男呼ぶ……密に溺れた虫んなる
                 虫は虫でも花んため……花は燃ゆ……
    
 オラ「きっ、綺麗や、姉さんや、もしや吉原んツヤ姉でねえかや?」
 女 「お前、女衒やな。前に牛太郎が言うてたわ。四ツ谷で置屋やってるってな。あん男は口が軽いで、まあ、そいが商売やからな」
 オラ「何や、筒抜けかいや、ツヤ姉や、中には違う女衒もおるんやで。オラは、苦海の女衆の屋根んなりてえんや、守りてえんや」
 女 「ええこつ教えたるわ。色好きの女好きでのうて、女好きの色好きになるんやで。色より女が先ってこつやで。まあ、そんうちにわかるやろて。ワチキもばれたら仕様がねえわ。落ちぶれた花魁を、極楽連れてってみい。そんしてくれたら、たっぷりとお礼すんで。蓮ん上で赤子にしたる」
 オラ「そんか、いつまでん、しゃぶり付いててええんやな。オラ、赤子んなるわい」
 女 「なあ、そん前にワチキん観音面、よう見てえな。ような……」
 オラ「おうーー……」



 牛ちゃんの言うてた通り、男泣かせの観音面しとった。
 そん度ごとに、オラも連れて果てた。あん女は観音面で男をいかす。
 男らは、しゃぶり付いたまんま、朝んなんまで、夢んなかでも、そんまんま……
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