上 下
3 / 48
第1章 婚約破棄という名の罠

第3話 婚約破棄の裏側

しおりを挟む
 アリスター・エヴァレット辺境伯様といえば、偏屈で有名な方。

 他の方の意見は聞かず、頑固で気難しい人だという噂も聞く。直接会ったことはなかったけれど、けしてお近づきにはなりたくない人物だった。

 その方が何故、ここに?

「ほう、さすがだな。俺の名前を聞いただけで、爵位まで分かるとは。いや、噂もか」
「え?」
「そう、顔に書いてある。厄介な奴に会った、とな」
「なっ!」

 なんて失礼な……は、私の方よね。初対面の相手に対して、不愉快な表情をしてしまったのだから。

「……大変失礼致しました」
「いや、こちらこそ悪かったな」
「えっと……その……」

 それはどういう意味ですか? と聞こうとした口を私は閉じた。
 ここで下手なことを言って、アリスター様の機嫌を損ねるわけにはいかない。だって今の私は牢屋の中。逃げ場はないのだから。

「メイベル嬢をここに入れてしまったことを詫びているんだ」
「は?」

 牢屋に入れたのはバードランド皇子なのに、何を言っているの? この人は。

「つまり、バードランド皇子と取引をした、と言っているのだよ」
「何の、ために? いえ、違いますね。何の取引をしたんですか?」
「ニュアンスは違えど、聞いているのは同じこと。俺の答えもまた然り」

 自分に酔いしれているのか、言葉遊びのように焦らすアリスター様。それが表情にも出ていたのだろう。クククッと笑われた。
 噂通り、偏屈で一筋縄ではいかなそうな人物だった。

「まぁなんだ。メイベル嬢との婚約破棄、などのやり方も含めて提示させてもらっただけのこと。それを実践するかどうかは、バードランド皇子の意志だったわけだが」
「それは……エヴァレット辺境伯様と取引……いえ、ご相談されるほど、私との婚約を悩んでいた、ということなのでしょうか、バードランド皇子は」

 他の殿方に言いたいくらい、私との婚約を破棄したかったのだろうか。バードランド皇子に恋愛感情はないけれど、それはそれでショックだった。
 女としての魅力は……ないのかもしれないが、他の……そう、価値だ。私という人間の価値を否定されたように感じた。

「いや。メイベル嬢の名誉のために、それは違うと言っておこう」
「そうは思えません」
「俺も人のことは言えないが、そう卑屈になるな。バードランド皇子はメイベル嬢のことが嫌いなのではない。ただ女性としてではなく、妹のような存在にしか見えない、と言っていた」
「妹?」

 確かに年齢は二つしか離れていない。四つ上のお兄様を挟めば、バードランド皇子も二人目の兄、と思っても不思議ではなかった。それだけ、近しい関係だったのだ。

 だが、それが何だというのだろうか。
 妹のように可愛がられていた、というのなら納得ができる。けれど、いつも素っ気ない態度で、他の令嬢たちのように愛想すら見せてくれなかった分際で。

「そのため、妹相手に恋愛感情を抱くことは難しく、だからといって、他に好きな相手もいない。もしもメイベル嬢に想い人がいるのだとしたら、応援したいことも言っていたのだが……そんな気配すらなく、残念がっていたぞ」
「……大きなお世話です。けれど私も、バードランド皇子に恋愛感情を抱いていません。ましてや他に好きな方も。でもそれは、いえ、私の立場では無理もないことだと思います」
「そうだな。ブレイズ公爵夫人は潔癖で有名だ。メイベル嬢が婚約者以外の者に現を抜かしていたら……」
「い、家を追い出されてしまいます!」

 考えただけでも恐ろしかった。

 しかし、アリスター様に知られているほど、お父様の浮気話は有名なのか……。
 確かにあの時のお母様は浮気相手よりもお父様に対する仕打ちの方が凄かったから……無理もない。
 だからこそ、私がお父様と同じことをしたら、とんでもないことになるのだ。

「今だって、牢屋に入れられた私をどう思っているのか、心配なんです。バードランド皇子は、婚約破棄の手続きが終えたら出してくれると言っていましたが」

 果たして、無事に家に帰れるだろうか。

 そう思った途端、バードランド皇子とアリスター様へ向けていた怒りにも似た感情が、次第に悲しみへと変わっていった。

「さすがにこの状況下で、俺がここに来た理由までは思い至らなかったか。その打開策をしに来たとも」
「エヴァレット辺境伯様が、ですか?」
「そうだ。バードランド皇子に助言をしたまま、その結果を見に来ただけだと思ったのか? 生憎そこまで暇じゃない」
「では、私にも策を授けに来てくれた、と?」

 その僅かな希望に、私は思わず鉄格子に近づいた。途端、掴まれる腕。感じたことのない力強さと手の厚みに、「ヒッ」と小さな悲鳴を出してしまった。

 悪いと思っていても後の祭り。けれどアリスター様は手を離さなかった。

「無骨者で悪いが我慢をしてくれ。看守に内容を聞かれるのはマズいのでな」
「……もう手遅れだと思いますが」
「いや、バードランド皇子とメイベル嬢の婚約破棄はすでに決定事項だ。その裏で何があったのかなど言ったところで、事実が変わることはない。あるとすれば、俺の悪い噂が一つ増えるくらいだ」

 そんな言い方をしなくてもいいのに。どうしてこの人は素直に言えないんだろう。もっと気の利いたことくらい言えばいいのに。そう、たとえば――……。

『俺の名前を盾に使えばいい』

 さすがにこれはカッコ良過ぎるかな。でも、端正な風貌のアリスター様にこのセリフを吐かせたら、コロッとなってしまう女性など、五万といそうだった。

 けれどそうしないのは、辺境伯という立場のせいだろうか。国防を常に担う立場の人間からしたら、生半可に近づく女性など、信用に値しない。

 私も公爵家に生まれた者だから分かる。その地位に惹かれて集まってくる者たちがいるのだ。チャンスとお零れをもらうために。もしくはその地位から蹴落とすために。

「エヴァレット辺境伯様。先ほど私に言ったことを憶えていますか? 卑屈になるな、と。そのままお返し致します」
「……さすがはベルリカーク国唯一の公女様だ。ブレイズ公爵夫人に似て、勝ち気な性格をしている」
「あまり嬉しくはないのですが」
「そうか。最大の褒め言葉だったんだが」

 アリスター様ほどではないが、社交界で悪評名高いお母様に似ていると言われて、誰が嬉しいと思うのだろうか。

「ではこういうのはどうだ? そういう勝ち気な女には弱いんだ。牢屋からメイベル嬢を出す代わりに、エヴァレット辺境伯領に来ないか?」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

王子殿下の慕う人

夕香里
恋愛
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。 しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──? 「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」 好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。 ※小説家になろうでも投稿してます

【完結】婚約者が好きなのです

maruko
恋愛
リリーベルの婚約者は誰にでも優しいオーラン・ドートル侯爵令息様。 でもそんな優しい婚約者がたった一人に対してだけ何故か冷たい。 冷たくされてるのはアリー・メーキリー侯爵令嬢。 彼の幼馴染だ。 そんなある日。偶然アリー様がこらえきれない涙を流すのを見てしまった。見つめる先には婚約者の姿。 私はどうすればいいのだろうか。 全34話(番外編含む) ※他サイトにも投稿しております ※1話〜4話までは文字数多めです 注)感想欄は全話読んでから閲覧ください(汗)

美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛

らがまふぃん
恋愛
 こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。 *らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

婚約破棄してくださって結構です

二位関りをん
恋愛
伯爵家の令嬢イヴには同じく伯爵家令息のバトラーという婚約者がいる。しかしバトラーにはユミアという子爵令嬢がいつもべったりくっついており、イヴよりもユミアを優先している。そんなイヴを公爵家次期当主のコーディが優しく包み込む……。 ※表紙にはAIピクターズで生成した画像を使用しています

処刑された王女は隣国に転生して聖女となる

空飛ぶひよこ
恋愛
旧題:魔女として処刑された王女は、隣国に転生し聖女となる 生まれ持った「癒し」の力を、民の為に惜しみなく使って来た王女アシュリナ。 しかし、その人気を妬む腹違いの兄ルイスに疎まれ、彼が連れてきたアシュリナと同じ「癒し」の力を持つ聖女ユーリアの謀略により、魔女のレッテルを貼られ処刑されてしまう。 同じ力を持ったまま、隣国にディアナという名で転生した彼女は、6歳の頃に全てを思い出す。 「ーーこの力を、誰にも知られてはいけない」 しかし、森で倒れている王子を見過ごせずに、力を使って助けたことにより、ディアナの人生は一変する。 「どうか、この国で聖女になってくれませんか。貴女の力が必要なんです」 これは、理不尽に生涯を終わらされた一人の少女が、生まれ変わって幸福を掴む物語。

処理中です...