愛する婚約者は、今日も王女様の手にキスをする。

古堂すいう

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清涼なる風

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ひょこひょこと、小鳥が巣から迷いでるようにロメリアは廊下を歩いた。

廊下には人気が一切ないため、僅かに物音をたてたくらいでは誰かに見つかることもない。

普通、公爵令嬢であるロメリアの部屋の前に誰もいないなんてことはありえないのだが、最近は慣れ親しんだ人間の気配にすら精神的疲労を見せるロメリアに配慮して、時折メイドや執事長が部屋の前で見廻りをするだけで、常に誰かが配置されることはなくなった。

そのお陰でこんなにもすんなりと部屋から出られたというわけではある。

おそらく皆、想像すらしていないだろう。

(私が1人で、部屋を出るだなんて……)

古書室の扉の前に辿り着いた。

古い扉の取手は色褪せているが、常に誰かが磨いているため、錆びてはいない。

耳障りな音を立てるでもなくその扉は開き、ロメリアはほっと安堵の息を吐いた。

このままいけば中庭に出られる。

手に握りしめた藤色のブローチを勇気の源にして、ロメリアは埃臭い古書室の奥へと歩みを進め、短い廊下を通り、旧館へと渡った。

旧館は、ロメリアの曽祖父の時代に建ったもの。古いが情緒のある佇まいをしているため、手入れは定期的にいれられており、ある時には社交の場として活用されることもある。

勝手知ったる建物であるから、ロメリアは迷いもせずに一階へ降りて、中庭へと向かった。

中庭へ通じる透き通った玻璃のはめ込まれた扉を開くと、清涼な風がロメリアの頬を撫でつけた。

久しぶりに嗅いだ外の匂いだった。

土、草、花、水。そしてあの花木の芳香。

全てが1つの風に混ざり溶けているのを感じた。
陽の光が眩しく、目を細める。
窓越しから太陽の光を浴びるのと、直接浴びるのでは訳が違った。だが、暑さは感じない。無論、寒さも感じない。

全身を覆う毛布を脱ぎ、身体全部で外の空気を受け止めたいと思うのに、なかなかそこまでは、清々しい風もロメリアを開放的な気分にさせてはくれなかった。

仕方なく毛布を引きずって、湿り気を帯びた芝生の上を歩き、大木の下へ向かう。

甘い芳香は既に濃く漂い、藤色の花弁が風に乗ってミレーユの指先にちょんと当たり、儚く地面へ舞い落ちていく。

手にした藤色のブローチより少し淡い色合いの花弁が完全に地面に落ちたかと思うと、新たな花弁がロメリアを誘うようにひらひらと風に舞った。

花弁に誘われるがまま、ロメリアはその花木の下まで歩く。

花木は少し離れて見なければその全容が分からぬほどの大木で、ロメリアはしばし、あんぐりと口を開けてその太い枝ぶりを見上げていた。
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