愛する婚約者は、今日も王女様の手にキスをする。

古堂すいう

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一歩

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最近湧き上がる衝動といえば、嘔吐感くらいだった。

だがロメリアは唐突に、あの老木の芳香が嗅ぎたくなった。

正しく言えば唐突にではなく、このブローチを贈られてから何度か庭園に出たいと思うようにはなっていたのだけれど。

勇気が出なかった。

自分の寝室は既に己の身体の一部のようになっていて、どうにも離れられなかったし、今でも離れたくないとは思うのだが……。

(飽きたのかもしれない……)

元来、飽きっぽい性格ではある。

思考して疲れることそれ自体に飽きたのかもしれない。悪夢ではないけれど幸福でもない夢を見ることにも飽きたのかもしれない。

とにかく呆れたことに、色々なことに飽きたのだと思う。

とりあえず何か、新しいことをしてみれば良いのではないか。
そうしたい衝動に駆られて、ロメリアは扉の前に人の気配があるかを伺った。幸い、人の気配はない。

ロメリアは急いで寝台から1つ毛布を引っ張って頭巾のようにそれを被った。

その毛布は恐ろしく肌触りはいいが、見た目がまるで羊毛のようにふわふわしているため、ロメリアがそれに包まると、巨大な羊おばけのような様相だった。

が、ロメリアにとってそれは、人に自分の姿を見られないため必死に考えて思いついた唯一の結論だった。

さてここからどうするか。

メイド達に中庭に出たい。と言えばそれでいいのだが、彼女らに自分の素の姿を見られるのも、まして今のこの毛布を被っている姿を見られるのも嫌だったので黙って出ることにした。バレたら大変なことになるけれど所詮、行き先は中庭だ。すぐに行って帰ってくれば問題はない。

なぜかこの時、ロメリアは自分の思考がとんでもなく短絡的になったことに気づかなかった。

そっと、扉を開ける。

誰もいなかった。

静かに廊下に出る。

不幸なことに寝室は2階にあって、階段を降りなければならない。

だが、知っていた。

この屋敷には階段が3つある。

1つはこの屋敷の主人とその家族が使う階段。つまり、ロメリア達が使う階段。これは一階の大広間に繋がっていて、降りていくと開けた場所に繋がっているため視線が遮られず非常に目立つ。

2つ目は使用人達が使う階段。こちらは目立った場所にないが、使用人たちが頻繁に使うため、人通りが尋常ではない。

そして3つ目は、旧館の一階へと繋がる階段だ。

この階段はロメリアの寝室から四つ離れた部屋の、今は誰も使用していない古書室の奥にある。といっても、すぐに階段があるわけではなく、古書室の奥に短い廊下があって、そこから旧館へ出て、階段を下る。

幸いなことに、旧館からあの木への距離は非常に近い。階段を下ることさえ出来れば着いたも同然。しかもその階段の存在を知るのはごく一部の使用人だけだ。故に滅多に使われることはない。

つまり、ロメリアが警戒すべきは古書室へ移動するその時のみというわけだ。

(……別にばれたって何か悪いことをしているわけではないもの)

だだ、自分のこのなんとも言えない姿を見られるだけだ。

(それも絶対に嫌だけど……もう今以上に惨めになることはないだろうから)

と、ロメリアは大きく一歩を踏み出した。

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