愛する婚約者は、今日も王女様の手にキスをする。

古堂すいう

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2人の距離

くだらないこと

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「ロメリア」

ガブリエルが、ロメリアの名を呼んだ。
月の光が降り注ぐ森林のように静かで深みのある声音だった。


「……」


ロメリアはたまらず名を呼んだガブリエルの方へ顔を向ける。彼は相変わらずの無表情だったが、名を呼ばれたことが嬉しいロメリアは花がほころぶように笑った。


「あなたの言う通りにしてあげる」


ガブリエルは小さく頷いて「……約束を破ってすまなかった」と謝った。

それは、ガブリエルが謝ることではなかった。


けれど、約束を破ってしまったことは確かなので、ガブリエルは誠意を込めて頭を下げ、ロメリアの瞳を見つめ返す。その瞳は夜空に燦然と輝く月のように頼もしく、美しい。


(……か、かっこいいわ!)


ロメリアは人知れず心の中で大暴れした。


ガブリエルは、幼少期と変わらず寡黙なままだが、見ないうちに凛々しく大人らしくなって、より落ち着いて見えるようになった。心なしか優しくなったような気もする。

こうして視線を合わせていると、彼の背が随分と高くなったことを実感する。見上げなければならず、首が疲れるほどだ。

それでもロメリアは昔以上にかっこよくなったガブリエルから目を逸らせない。

いつまでも見ていたい。

心の底から願うほどに、ロメリアはガブリエルのことが大好きだと、改めて実感していた。


「ところで、私に何の用が?」


端的に問いかけてくるガブリエルに、ロメリアは首を傾げた。

「さっき答えたじゃない。顔を見に来たのよ」
「……それだけか?」
「うん」

コクリと小さく頷くロメリアに、ガブリエルは僅か眉間に皺を寄せる。

「見に来なくていい」
「……」

冷たく言われた言葉に、ロメリアは咄嗟に言葉を返すことが出来なかった。

ほんの少しだけ、彼が優しいような気がしたのはどうやら気のせいだったらしい。前と変わらず、彼そのままだった。

ロメリアに対して何の感情も抱いていない。何を考えているのか分からない。

そんな彼のままだった。

「……は」

ロメリアは浅く息を吐く。

「なんで、そんなこと言うの」

ロメリアは幼い頃の口調のままで、ガブリエルを見つめた。けれど彼は見つめ返してはくれず、どこを見ているのか分からない空虚な瞳のままで、端的に答えた。

「私は、修行中の身だ」
「うん」
「故に、くだらないことで時間を潰すことは出来ない」

くだらないこと。

ロメリアはその一言に、心臓を絞られた気がした。心臓から血が滴るかわりに、ロメリアの瞳からは涙がボロボロ溢れる。

ロメリアは嘘泣きが大得意だが、今回ばかりは嘘泣きではなく本当に自然と溢れた涙だった。

甘い色合いの瞳から涙が溢れると、まるで蜜がとろけているように見えて、より一層同情を誘う。

しかしロメリアは知っていた。どれだけ哀れに泣いても、本当の涙を流しても、赤子のようにぎゃんぎゃんと泣いても、ガブリエルの心は全く揺るがない。

その証拠に彼の表情は先程と全く変わらず、真顔のままだ。


「……じゃあ、もう来ない」

口をついて出た言葉は、鈴が鳴るように清らかなロメリアの声とは思えぬほどにしわがれていた。

「あなたの顔なんか見に来なければ良かった。こんな……くだらないことしなければよかった」

ロメリアは、もう涙を見せまいと顔を伏せて、身につけていたドレスの裾をぎゅぅと強く握りしめる。
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