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おぞましきその姿
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「そんな美人、この家にはいませんが」
「嘘をつくでない。嘘などついてもどうにもならぬ。なんでもこの女はその美人と大層仲が良いと聞く」
扉超しに「うっ……」とリネットの呻く声がする。
もしや暴力でも受けたのではあるまいか。無理矢理喋らされてしまったのではないか。鈍器で殴られたような衝撃がカルミアを襲った。
「……このような蛮行、いくらテンゼル様であっても許されないのでは?」
ランネルの毅然とした声。それに対してテンゼルは忍び笑う。
「おやおや、何か勘違いしているようだ。私は何もこの女に暴力を振るったのではないよ。ただ、この女の弟が金に困っているというから貸してやっただけだよ。その見返りにこの女をくれるというもんだから、私の好きにしているまでさ。ああ、そうそう、この家に美人がいると教えてくれたのもこの女の弟だったなあ」
扉超しでも分かるその嫌らしい顔つき。リネットの呻き声が聞こえてくる。かすかに「愚弟が……」と罵るような声も聞こえてきた。
リネットから、弟がいるという話を聞いたことはない。家族は父親と母親だけだと言っていたような気がする。もしかすればリネットは弟と絶縁していて、その弟が金に困りテンゼルから金を借りてしまったのかもしれない。
しかし借金の方に姉を差し出すなど。正気の沙汰とは思えない。カルミアの拳は怒りに震えた。
「さて、ここで提案なんだがな。この女はこの街では唯一の医者だろう?私もそんな貴重な医者を街から取り上げようなどとは思わない。だが、その奥の部屋に隠れ住んでいるであろう女を私に差し出してくれるというのなら、この女の弟が書いた借用書を私自らの手で破り捨ててやろうぞ」
と、テンゼルが言葉を吐いた。カルミアは考えることさえしなかった。ただ、小さなクロエを柔らかいタオルでくるみ、その身体を大きなソファへ横たえる。そして東側の壁際にある小さな箪笥から小さな小刀を取り出して、懐へ。同時に白い紙を取り出して、カルミアはそこに気持ちを込めて一言を書いた。
──この子のことをどうかよろしくお願いします。
それはリネットとランネルに当てての短い一言だった。
この世でカルミアは頼れるのはもうこの2人しかいない。クロエを任せられるのはこの2人しかいない。
カルミアは1人、部屋の扉を開けた。
テンゼルも、そしてテンゼルの両脇に控えていた者達も一斉に目を見張り簡単の声をあげる。
眩しく光る金色の髪。そして誰もを魅了する赤色の瞳。豊満ながらも華奢なその身体。
カルミア自身気づいてはいなかった。子を産み色香の増した彼女は、男を狂わせる不思議な雰囲気を身に纏い、無意識にその欲望を掻き立ててしまうことに。
「ミア!」
叫ぶランネルを無視して、カルミアは毅然と頭を下げた。
「お初にお前にかかります、テンゼル様。先のお話は誠のことでございますか」
「おお、おお。なんと美しい。なるほど、これは……」
ジロジロを無遠慮な視線を向けられても、カルミアは微動だにしなかった。むしろ逆に艶然と微笑みながらテンゼルの目に宿る思考を見透かすように見つめた。
「リネットをお離しくださいますね」
「その前に、あなたが私の愛人になると約束してくだされば。ああ、いやなに、無理にとは言わんがね」
むっつりと笑うテンゼルに対しても、カルミアは嫌悪感1つ露わにせずに淡々と頷いた。そして悟る。先にランネルが言っていたケイトおば様のところに働きにきていた娘も。もしかしたらこんな風に誰かを人質にとられて仕方がなく契約書にサインをしてしまったのかもしれない、と。
「駄目よ、ミア!その契約書にサインしたら」
悲鳴をあげるランネルに、テンゼルは苛立ったように「ええい、こいつを部屋から追い出さんか!」と顎をしゃくった。ランネルが連れ出されると、テンゼルはまた薄気味の悪い笑みを浮かべる。
「そんなにも素直に頷いてくれるとは、嬉しいかぎりですな。私のことがよっぽど好みなようで……」
気持ちの悪い笑みを浮かべるテンゼルを、カルミアはなおも無視し、契約者の内容をすばやく見る。
(本当にひどいわね)
1,主人であるテンゼルに逆らうことはしない
2,テンゼルに命を捧げよ
3,背くことあらば死を賜る
そんなことがつらつらと書かれている。
テンゼルは、カルミアが字を読めることを悟って焦ったような顔をしたが、にも関わらずカルミアが動じていないところを見て面白そうに口角を歪めた。
カルミアは契約書の一番下の欄に名前を書いた。
「……カルミア?どこかで聞いたような名前だが……」
訝るテンゼルだったが、カルミアが名前を書き終えたと同時に自らの欲望を抑えきれなくなったのだろう。カルミアの華奢な身体と滑らかな頬を撫でた。
ゾワリと、身体の芯から身震いがした。
カルミアはそれでも耐えた。
脈打つ鼓動の上にある冷たい感触を意識して。
「嘘をつくでない。嘘などついてもどうにもならぬ。なんでもこの女はその美人と大層仲が良いと聞く」
扉超しに「うっ……」とリネットの呻く声がする。
もしや暴力でも受けたのではあるまいか。無理矢理喋らされてしまったのではないか。鈍器で殴られたような衝撃がカルミアを襲った。
「……このような蛮行、いくらテンゼル様であっても許されないのでは?」
ランネルの毅然とした声。それに対してテンゼルは忍び笑う。
「おやおや、何か勘違いしているようだ。私は何もこの女に暴力を振るったのではないよ。ただ、この女の弟が金に困っているというから貸してやっただけだよ。その見返りにこの女をくれるというもんだから、私の好きにしているまでさ。ああ、そうそう、この家に美人がいると教えてくれたのもこの女の弟だったなあ」
扉超しでも分かるその嫌らしい顔つき。リネットの呻き声が聞こえてくる。かすかに「愚弟が……」と罵るような声も聞こえてきた。
リネットから、弟がいるという話を聞いたことはない。家族は父親と母親だけだと言っていたような気がする。もしかすればリネットは弟と絶縁していて、その弟が金に困りテンゼルから金を借りてしまったのかもしれない。
しかし借金の方に姉を差し出すなど。正気の沙汰とは思えない。カルミアの拳は怒りに震えた。
「さて、ここで提案なんだがな。この女はこの街では唯一の医者だろう?私もそんな貴重な医者を街から取り上げようなどとは思わない。だが、その奥の部屋に隠れ住んでいるであろう女を私に差し出してくれるというのなら、この女の弟が書いた借用書を私自らの手で破り捨ててやろうぞ」
と、テンゼルが言葉を吐いた。カルミアは考えることさえしなかった。ただ、小さなクロエを柔らかいタオルでくるみ、その身体を大きなソファへ横たえる。そして東側の壁際にある小さな箪笥から小さな小刀を取り出して、懐へ。同時に白い紙を取り出して、カルミアはそこに気持ちを込めて一言を書いた。
──この子のことをどうかよろしくお願いします。
それはリネットとランネルに当てての短い一言だった。
この世でカルミアは頼れるのはもうこの2人しかいない。クロエを任せられるのはこの2人しかいない。
カルミアは1人、部屋の扉を開けた。
テンゼルも、そしてテンゼルの両脇に控えていた者達も一斉に目を見張り簡単の声をあげる。
眩しく光る金色の髪。そして誰もを魅了する赤色の瞳。豊満ながらも華奢なその身体。
カルミア自身気づいてはいなかった。子を産み色香の増した彼女は、男を狂わせる不思議な雰囲気を身に纏い、無意識にその欲望を掻き立ててしまうことに。
「ミア!」
叫ぶランネルを無視して、カルミアは毅然と頭を下げた。
「お初にお前にかかります、テンゼル様。先のお話は誠のことでございますか」
「おお、おお。なんと美しい。なるほど、これは……」
ジロジロを無遠慮な視線を向けられても、カルミアは微動だにしなかった。むしろ逆に艶然と微笑みながらテンゼルの目に宿る思考を見透かすように見つめた。
「リネットをお離しくださいますね」
「その前に、あなたが私の愛人になると約束してくだされば。ああ、いやなに、無理にとは言わんがね」
むっつりと笑うテンゼルに対しても、カルミアは嫌悪感1つ露わにせずに淡々と頷いた。そして悟る。先にランネルが言っていたケイトおば様のところに働きにきていた娘も。もしかしたらこんな風に誰かを人質にとられて仕方がなく契約書にサインをしてしまったのかもしれない、と。
「駄目よ、ミア!その契約書にサインしたら」
悲鳴をあげるランネルに、テンゼルは苛立ったように「ええい、こいつを部屋から追い出さんか!」と顎をしゃくった。ランネルが連れ出されると、テンゼルはまた薄気味の悪い笑みを浮かべる。
「そんなにも素直に頷いてくれるとは、嬉しいかぎりですな。私のことがよっぽど好みなようで……」
気持ちの悪い笑みを浮かべるテンゼルを、カルミアはなおも無視し、契約者の内容をすばやく見る。
(本当にひどいわね)
1,主人であるテンゼルに逆らうことはしない
2,テンゼルに命を捧げよ
3,背くことあらば死を賜る
そんなことがつらつらと書かれている。
テンゼルは、カルミアが字を読めることを悟って焦ったような顔をしたが、にも関わらずカルミアが動じていないところを見て面白そうに口角を歪めた。
カルミアは契約書の一番下の欄に名前を書いた。
「……カルミア?どこかで聞いたような名前だが……」
訝るテンゼルだったが、カルミアが名前を書き終えたと同時に自らの欲望を抑えきれなくなったのだろう。カルミアの華奢な身体と滑らかな頬を撫でた。
ゾワリと、身体の芯から身震いがした。
カルミアはそれでも耐えた。
脈打つ鼓動の上にある冷たい感触を意識して。
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