大好きな旦那様はどうやら聖女様のことがお好きなようです

古堂すいう

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逆転

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「……ところで、殿下。あなた様の横にいらっしゃるその方を、私はどこかで見た記憶がございます」
「は、はあ」

ロイは訳が分からないと言ったような風に首の後ろを掻いた。まさか自分のすることに神官長が口を出してくるとは思わなかったのだろう。明らかに動揺している。

自らの父皇帝すらも下手に扱うことを許されない人物に対して、その息子であり、皇位継承権を渡されたばかりの自分が何を言えるだろう。ロイは黙ってエルゲンの言葉を待った。そんなロイに対し、エンリケはその可憐な顔に苛立ちを滲ませる。

「私が市井の子供達にパンを配っていた時のことです。彼女と『良く似たご令嬢』が、やっとのことで手にしたパンを奪い、匂いを嗅いで、それをいたいけな子供の前ですぐに捨てておしまいになりました。二度と食べられぬように足で踏みつけ、泥まみれにして……」
「そ、それは私じゃないわ!私に良く似た令嬢……のお話でしょう」

エンリケのその口調は、神官長であるエルゲンに対してひどく失礼なものだった。が、エルゲンは全く気にした様子を見せずに、ほんの少し首を傾げる。

「なるほど。では、私の見間違いかどうかこの場で女神に問うてみることに致しましょう」

エルゲンが「女神」と口にした途端、そこかしこから悲鳴が聞こえた。

女神に問う。ということはつまり、エルゲンはそれだけ自らの見たことに自信があるということだ。わざわざ小娘1人の善悪を女神に問うのは、前代未聞。なにせ女神の下す罰は人間の下す罰より何十倍も重い。一番重い罰となると魂それ自体を切り刻まれることすらあり得るのだ。そんな恐ろしいことを、エルゲンはいつもの朗らかな笑みで「やってみせよう」というのだから、誰もが発狂したくなった。


異様な雰囲気を纏うエルゲンに、ロイは何も言葉を返すことが出来なかった。先ほどからずっと木偶坊のように突っ立っているだけである。

エンリケは衆目の中で自らの罪が露見してしまうことを恐れ、また、女神の重い断罪を恐れて喉元を引きつらせた。先ほどまでひどく悲し気に泣いていた少女の動揺し、混乱する様に、広間にいた全ての人間がこの場の見方を一変させる。

ひどい悪女にかどわかされた哀れな皇子─ロイ。
皇子を虜にした悪女─エンリケ。
そんな2人の茶番に付き合わされた憐れな公爵令嬢─セレーネ。


断罪される立場は逆転した。


「どうなさいますか。女神に問いますか?それとも罪を改めるために自ら罰を受けますか?」

エルゲンはほんの少し首を傾げた。彼はまるで悠久の時を待つ雰囲気を保ちながらも、凍えるような瞳で「早くなさい」と急かしているようだった。

「……じ、自分で」

エンリケの短い答えに、その横にいたロイはハッとしたように視線を動かした。そんな、まさか。と驚愕の表情を浮かべ、そして悟る。

自分は今、衆目の中で「見る目がない」と烙印を押されたことに。しかし彼にはエルゲンを非難する勇気など微塵も持ち合わせてはいなかった。

「では、貴族の法『悪戯に市井の民を虐げてはならぬ』を破った罪により、身分剥奪とするように裁判官に進言致します……。さて殿下、このことを踏まえまして、セレーネ様は本当に『未来の王妃』として幼稚なことをなさったとお思いですか?」
「……そ、それは、その」
「どうか、寛大なご処置を」

エルゲンの念押しに、ロイはとうとう耐え切れなくなって俯いた。「前言撤回」と言わないのは、王族としての意地だろう。前言撤回と言ってしまえば、自らの過ちを衆目の中で認めたことになる。それは今後、皇帝位を正式に継ぐ際に不利になるだろう。エルゲンはそんなロイをしばらく見つめた後に振り返り、セレーネの方へ向き直った。


「セレーネ様」
「……な、なんですの」
「ロイ殿下とあなた様はすでに婚約者同士ではございませんね」
「え、ええ、そうね」

すでに皇子から婚約破棄を言い渡されたのだから。もう婚約者ではない。その通りだ。そんなこと言われなくたって分かってる。

「──……では、私と結婚致しませんか」

エルゲンはこれまで浮かべていたどんな微笑みよりも深く優しい眼差しでそんなことを言った。

「……はあ?」

セレーネは、ただ呆けるしかなかった。
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