彼女に思いを伝えるまで

猫茶漬け

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高校1年目

隠し事

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阿部の家と聞いて真っ先に浮かんだのが白銀の円盤だったが、俺の予想を斜め上を超えるところだった。
それは駅北口から住宅街を見た時に、住宅街のど真ん中に目立つタワーマンションがあるのだが、阿部にどの辺に住んでいるかと尋ねるとタワーマンションを指差したのだ。
冗談だと思っていた俺の予想を裏切る様に、阿部は淀みない歩調でタワーマンションの方に歩き出した。
それでもタワーマンション前まで来るまで信じていなかったが、阿部は躊躇なくオートロックの自動ドアを開けてしまった。
俺は驚きと同時に阿部と言う人間がわからなくなっていた。
俺と一杯750円のラーメンを一緒に食べている阿部が、バイトに大体遅刻して反省もしない阿部が、タワーマンションに住んでいる阿部と同一人物と言う現実を受け入れる事が出来ていなかった。
これは俺の偏見でもあるが、金持ちと言うのはもっと上品な感じな品位を持っていて、誰にも一目置かれるような人間である様に振舞うものだと思っていた。
グレーに近い夏休みの宿題代行や、人の恋路に茶々入れて遊んでいる理由が理解出来なかった。

「何してんですか?早く入らないと締まりますよ。」

オートロックの自動ドアを潜り、阿部は先に建物内に入ってしまった。
俺はその後を追いかけて中に入って行くが、理解が全然追いついていなかった。
目の前に広がるのはテレビや動画サイト広告で見たことがある高級ホテルのような内装が続き、待ち時間が長いエレベータを乗り、最上階に向かっていった。
エレベータを出たら目の前に扉があり、阿部の部屋へ入る為の入口なのだが、それ以外に廊下も扉もないのでこのフロア全てが阿部の部屋としての空間だと思うと言葉が出なかった。
阿部が扉を開けて入って行く後に続くように玄関に中に入れるなり、その広さに驚いた。
玄関と広い空間の部屋が直接繋がっており、外が一望できる窓が目の前に広がっていて、外の夜景を一望出来るのだ。
広さは学校の教室より広いんじゃないかと思うが、その空間に置かれている巨大なテレビ画面も、4人掛けの革製のソファーもやけに小さく見えた。
阿部は玄関と言うか、リビングと言った方がいいのかわからない薄暗い空間の照明を点灯すると、左手奥にあるキッチンに入って行き、カウンターの上に転がっていたリモコンを取って、リモコンを窓に向けてボタンを押すと全自動で窓のカーテンが閉まっていった。
目の前に起こった想像を遥かに超える豪邸の光景に、呆然としている俺に阿部がこう言った。

「とりあえず、上がったらどうです?」

その言葉にハッと我に返り、脱いで部屋に上がった。
しかし、その広い部屋の何処にどのような恰好で居れば良いかわからないから、上がったは良いがその場に突っ立ったままだった。
阿部が両手にグラスを持ってソファーに腰を掛けると、何となく俺も阿部が座っている正面のソファーに座った。
テレビドラマの.セットにありそうな応接室用の木製ローテーブルの上に、オレンジ色の液体が入ったグラスを置くとテーブルの上を滑らすように投げた。
液体が零れず俺の目の前にグラスが止まると、阿部はいつもの何とも言えない不気味な笑い方をしながらこう言った。

「驚きました?」

俺の中では消費税が5%から8%に上がった時ぐらいの衝撃があった。
いや、今まで見えていた人並みのサイズの阿部は、近づいたら東京タワー並みに巨大だった。
いや、人間だったと思っていた阿部は実は宇宙人だった。
どれも近からず、遠からずと言うところでしっくりくる言葉が見つからなかった。
俺は出されたオレンジジュースらしき飲み物を一口飲むと、非常に高価なものだろうが味の良し悪しがわからなかった。

「驚いた、お前が夏休みの宿題の代行やバイトとかしているから、俺と同じぐらいの生活をしていると思っていた。」

俺はこれから阿部とどう接すれば良いのかわからなくなっていた。
庶民の俺と、金持ちの阿部がお互い身丈にあった相手ではなかったことを分からされた事で、阿部にどんな態度で付き合えばいいのかわからなかった。
価値観の違いがあるとか、飯だって肥えた舌だったら750円のラーメンなんてお世辞でも旨いとは言えないだろう。
今、手元に持っているジュースも非常に高価なものなのかとそう思うと、何とも言えない寂しい気持ちになった。
阿部も一口、ジュースを飲むと表情を変えずに話を始めた。

「まぁ、表立って金持ちなんてアピールしたら、色んな連中に絡まれ大変ですからね。それに私がお金を持っている訳じゃないです。」

阿部は唇を少し舐めながら何か考えていた。
その間、何とも言えない広い空間に静けさが広がり、空気が重い感じがした。
そして違和感、喉に何か突っかかるような、口に出そうで出ないような違和感だった。
阿部は何か気付いたらしく、俺にその違和感の答えを教えてくれた。

「ここは私以外、誰も居ませんよ、誰かが帰ってくることもないし、誰かが訪ねてくることもありません。まぁ、宅急便と家政婦ぐらいは偶に来ますけどね。」

その言葉に俺は違和感の正体に気がついた、ここには誰かのものがないのだ。
壁や棚に、写真、印がついたカレンダー、お土産の木彫りの熊、靴、雑誌、本、漫画等、人が住んでいるような気配を感じさせるものが異常な程に少なかった。
高価に見える壺や絵画が飾ってあるだけで、部屋の作りも複数人が使うような間取りではない、広い部屋にトイレ、バス、キッチンが繋がっていて、他には部屋がない異様に広い1LDKの間取りだった。

「登藤も同じような環境じゃないですか?ここよりは賑やかでしょうが、それが苦痛だと思いますがね。」

俺は心臓がビクンと脈を打つのをはっきりと感じたと同時に、ぬるりと冷たい汗が背筋を伝わった。
阿部の土足で心の内に踏み込むような言葉に、俺は必死で話を逸らす口実を考えて言った。

「テレビを点けないか?なんか静かすぎて気味が悪い。」

阿部は無言でテーブルからリモコンを取るとテレビを点けた。
流れ出すニュースが静かな部屋で響き始め雰囲気は重々しい感じが少し軽くなったが、俺の内心は荒れていた。
流れているニュースから話題を逸らせようにも、良い内容が出てくることは無かった。
これから阿部が俺の内心を踏み荒らすような言葉を発すると思うと、目の前が上下に入れ替わるように回転し始めていた。
しかし、阿部が話を始めたのは俺が考えていた事とは、全然違っていた。

「平凡な日常って何でしょうかね。」

阿部のこの一言の意味は、日頃、俺をことを同志とかビジネスパートナーと言う阿部の内心が現れていた。
阿部は自分自身の出生について語り始めていた。

「私は両親に捨てられ、祖父が嫌々ながらも引き取り、この広い部屋で飼われています。」

阿部は顔の表情を変えずに淡々と言葉を続けていた。
阿部の両親は周りの反対を押し切って駆け落ち同然で結婚した。
当然、周りの援助も貰えずに若い両親は貧困で苦しい生活をしながら、生まれたばかりの阿部を育てていた。
阿部の祖父は阿部の父が嫌いで、自分の娘を奪っていった男を恨んでいた。
それこそ社会的地位がある祖父は、どこぞの馬の骨かもわからない男に愛娘を渡すなんて心底許せなかった。
問題は阿部の父が、起業に失敗して多くの借金を抱えてしまったことで自殺してしまった。
保険金で借金はチャラになったが、阿部の母は阿部を祖父に預けて後追いで自殺、阿部は祖父に引き取られたのだが、阿部を見る度に憎い婿を思い出してしまうし、自分の娘の忘れ形見だと思うとどうも出来なかった。
今では不自由が無い環境を与えて、親戚からは完全に存在がないものとして扱われていると言う事だった。
にわかに信じがたい話で言葉も出ないので、俺は黙って話を聞いていた。
阿部は一通り語り終わると最後にこう言った。

「私は家族からは二度と愛されることは無いでしょうね。登藤も暴行事件の事で色々と大変だと思いますが…。」

阿部が、俺の隠したいことを全て知っている事をすぐさま悟った。
阿部の財力があれば俺の事を調べることは無造作でもないが、何故、俺にそこまで執着するのかと言う疑問があった。
それよりも俺は内心は完全に自暴自棄になっていて、これから揺すりや脅しをされると事は想像に難くないので、諦めと近い開き直ってどうでも良くなっていた。

「登藤もその件で家族に見捨てられてしまっているんでしょ?私も登藤も平凡な日常とは縁が遠い住人です。」

阿部が言う同志とかビジネスパートナーと言うのは、家族または血縁の人からある理由で見捨てられ、居場所がない事を指していた。
阿部が知っている俺が起こした暴行事件とは、去年のことだった。
俺は中学3年生の頃、下校中の揉み合っている女子と男3名を見つけた。
身なりから学生だが、この辺では見たことがない制服、後で知ったが男は全員高校生だった。
車が通れないような細い路地裏で見た限りでは人が二人横に並んで歩くのがやっとと言うぐらいの狭さで、いつも横を通るときには人気もなく、誰も近寄らないところだと思っていた。
俺はそれに気がついて、放っておけば良いものを女子の身の安否が気になり隠れながら遠くから見ていた。
それから数分も経たないうちに女子生徒の手を男子生徒の1人が掴んだのを見て、俺は覚悟を決めて助けに入った。
俺が男子生徒の手を掴むと女子生徒から手を離し、女子生徒はその隙に逃げていった。
俺はこの後、三人相手に喧嘩することになったが、武術をやっていたこともあって、騒ぎで警察が駆け付けた時には相手は全員地面に突っ伏していた。
問題はこの三人をケガさせたことにより、慰謝料請求や相手の治療費負担が家族や親戚に飛び火したことだ。
何とか正当防衛は認められたが、助けた女子生徒が雲のように消えて見つからなかった。
女子生徒を助ける為に拳を振るったことにはされることがなく、いくら話をしても誰も証拠が無くて信じてもらえなかった。
この一件で、学校では誰も俺に近づくことが無くなって、家族も親戚も俺から距離を取る様になった。
親戚は家族を責め、家族は心労したと同時に少しづつ恨むようになった。
そして今では存在がいないものとして、部屋と食事を与えられ、生かされていた。
俺はこの時の阿部が何を思っていたのかわからないが、阿部からは誠意と言うか、誠実と言うか、そんな雰囲気が出ていた。
それとも俺の同情や共感がそう思わせていたのかもしれないが、阿部とは長い付き合いになりそうだなと頭の片隅でそう思っていた。

「登藤がバイトしている理由は、大方、お金の件が問題になっているんでしょ?しかし、登藤が目的の額までバイト代を家族に献上したところで関係の修復は不可能だと私は思いますよ。」

そこまで俺を理解している阿部に驚愕した。
俺が校則で禁止されているバイトをしている理由、それは暴力事件で家族が負うことになった負債を全て返すことだった。
そうすればすべてが、事件が起こる前に戻ると言う事を心のよりどころにしていたことも、それでもマイナスに振り切った針が0に戻るだけなんじゃないかと頭の片隅にあった思いも、阿部は理解したうえで話をしていた。
それは、阿部の言葉を否定できない自分がいる時点でわかっていたことだが、こうして突きつけられた事で、目をそらしていた不安を直視することになった。
急激に喉が渇いてコップを取って、ジュースを口に運ぶ為、唇にコップの淵が当たると小刻みに振動していた事で手が震えていた。
口に入るジュースから味も感じられないほど、俺は動揺していた。

「私は登藤の過去には興味はありませんし、言いふらすこともしません。ビジネスパートナーなんですから当然です。」

阿部はそう言うと、あの気味が悪い笑い方をしていた。
いきなり手をパンパンと2回叩くと重苦しい雰囲気が弾かれたようにスッと消えた、突然の謎の行動に驚いている俺を無視して阿部は話を始めた。

「辛気臭い話はここまでで、今日は本当に助かりましたよ。約束通り、山城さんとデートについて私が何とかしましょう。あ、でも私からお願いがあるんですよ。」

俺はその話を受け入れる事しか出来なかったが、これまでの話の中で一番すんなりと受け入れることが出来た。
多分、それは阿部が言う同志、ビジネスパートナーだと言うことを俺が無意識に受け入れていたからだった。
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