彼女に思いを伝えるまで

猫茶漬け

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高校1年目

夏休みと阿部とボーリング(1)

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 登藤 清は悲観していた。
 あの日、ラーメン屋で交わした阿部との約束で、人手が足りないから協力して欲しいと持ち掛けられた話に、ホイホイと返事をしてしまったことで夏休み初日から一週間、駅前の図書館で開館と同時に席を確保して作業をしている。
 夏休みと言えば、学生時代はプールや夏祭り等の夏の風物詩を堪能した人は大勢いると思う。
 しかし、これらよりももっと誰もが平等に絶対と言うほど経験する夏の風物詩がある、社会人になった人は忘れていると言うか、あまり思い出したくないもの、それは夏休みの宿題である。
 学生は勉学が仕事などいう人もいるが、休みなのに宿題を用意するとか、休みなのに仕事をさせるブラック企業と全く変わりないと個人的に思っている。
 何故、夏休みの宿題の話をしているかと言うと、俺が阿部に要求された協力して欲しいと言う事に繋がっている。
 阿部の宿題をやらされていると思っている人は、阿部と言う人間を少し美化している。
 俺は累計7人分の読書感想文を書き終えたところで隣に座っている阿部に話しかけた。

 「おい、書き終わったぞ。あと何人分書けばいいんだ?」
 
 阿部は俺の隣の席で、何やら物理のレポートを書いているようで、実はテンプレートのようなレポートを数種類用意してそれを書き写しているだけだ。
 阿部に感想文を手渡すとざっと目と通して、カバンからクリアファイルを出して感想文をしまった。

 「後6人分ですね、いやー、助かりますよ。」
 
 阿部が俺に人手が足りないから協力して欲しいと言うのは、夏休みの宿題を代理でやると言う限りなく黒に近いグレーな話であった。
 阿部は学校内に謎のコミニティを形成して、いち早く夏休みの宿題について情報を手に入れていた。
 あのラーメン屋で俺に山城さんとの仲を取り持つ算段は、この夏休みの宿題を代理でやる協力者を得る為、阿部は動いていたのだ。
 そして、俺はこの夏休みの一週間を阿部が用意した社会的倫理観を問われるような事を手伝うことになってしまった。
 
 「なぁ、ほんとに大丈夫なのか、こんな事していて。」
 
 「まぁ、バレても皆で宿題を写しあったって事で、その時はしのぎますかね。登藤にお願いしている読書感想文は単価が高いんで頑張って頂きたいですね。」

 阿部が言っている単価が高いと言う話だが、これは阿部が顧客に出した条件として、第1に読書感想文を書くためには題材となる書籍が必要で、書籍の購入出費があるので高くなる。
 第2に他の科目とは違い、労力が大きいことだ。
 一度、文章を読み、内容を理解したうえで感想を書くと言う作業は非常に時間を要する。
 例えば、書籍を読むのに3時間、感想文を書くのに3時間として、書籍を読むと言う作業は他の科目と違い、必ずすべて読んでいないといけないと言う絶対的な大きい労力として必要となり、同じ書籍で同じ感想文を書くと教員にこのことがバレる恐れもある。
 その為、感想文を書くために必要な書籍はバラバラにする必要がある。
 これは第1の理由にも関係があるので、これらにより他の科目より労力が必要と言う話で13人も説得して、その売り上げはなかなかなのか感想文を一つにつき千円の追加で報酬を俺に払うほどだった。
 俺は一つ気になったことを聞いてみた。
 
 「どうやってそのレポートを用意しているんだ。」

 阿部が隣で書き写しているレポートは何処から入手しているのか気になった。
 阿部は少し顎を触りながら、唇を舌で嘗め回し目線が少し右上にあげながら何か考えていた。
 やがてぽつりと俺に言ってきた。

 「他言無用でお願いします。」

 俺は頷くと阿部はいつもの薄気味悪いニヤニヤした顔で話を始めた。

 「実は生徒会室に秘密の資料ってのがありましてね、そこには歴代の徒会役員OBが後釜の役員の為に、あるものを残しているんですよ。」

 俺は阿部がどうして生徒会の秘密に関わることを知っているのか気になるところだが、取りあえず阿部に話を続けさせた。
 阿部が関わることに首を突っ込むような事にはしたく無いのがあるが、野生の勘と言うか、虫の知らせと言うか、あまり触れてはいけないと直観的に思ったからだ。
 
 「そこにはこれまでの課題やテスト答案等の様々なものが残っています。そこから拝借してきました。」

 「おい、それって...。」

 俺の言葉を遮る様に、阿部が一瞬、真顔になってこっちを見てこう言った。

 「まぁまぁ、利用できるものは利用して良い思いしません?今や登藤は私と同じムジナで同志なんですから。」

 「それはお前が勝手に巻き込んだことだろ。」
 
 少し昂って声が大きくなってしまったようで、阿部は人差し指を口に当て静かにするように俺にジェスチャーをしていた。
 若干の沈黙の後、阿部はいつもの気味の悪い笑顔に戻ると何か思い出したように話を始めた。
 
 「その後、山城さんとはどうなんですか?ちょうど腹も空いたし、飯でも食べながら聞きたいですね。」
 
 「はぁ、お前に話すとロクなことにならないから話したくない。」

 そう言うと、阿部はカバンを持って俺の肩を叩くと先にいつものラーメン屋に向かって行った。
 俺もリュックサックに荷物を入れるとラーメン屋に向かった。
 拒否権があるが、阿部の追及は続くのだ。
 阿部がラーメン屋でやたら山城さんと俺のその後について、しつこく聞かれた。
 しかし、俺は先日の一件で阿部には山城さんと俺との関係について、関わらせたくないと思う事が裏で起こっていたのだ。
 時は遡る事、数週間前に俺が栗饅頭を持って行くことになった日、その前日に阿部は山城さんに会って、ある策を講じていた。
 山城さんに、俺は阿部しか友達がいない悲しい奴で、親友(ビジネスパートナー)の俺が真っ当な人間にならないんじゃないかと心配なので、阿部は俺の話し相手になって欲しいと土下座で頼んでいた。
 どれぐらいの土下座かと言うと二万六千円分の土下座だと阿部は笑いながら俺に種明かしをした。
 山城さんはその言葉を真に受けて、聖母マリアのような優しさで俺を哀れんで付き合っていると言うのが現状だと知った。
 この事実を知った時、俺はその場で両膝を地面につき、頭を抱え込んで人目を憚らずに声を上げて悶絶した。
 そんな苦渋に近い思いもしたが、全てが全部悪かったわけではない。
 山城さんとの関係は良好で、昼休みに俺は図書室に足を運んでいて、夏休みに入る前日まで毎日、彼女と会っていた。
 俺と山城さんは図書室で絶妙な距離感の仲で、他愛のない話をするようになっていた。
 それは哀れな男に優しい女神が施しをするような、俺が理想の関係とは程遠いものだと知っていても、ズブズブとその沼に理性が沈んでいった。
 片思いの異性と会話が楽しめるなんて、毎日が夢のような日々を手に入れらえたのが、阿部のおかげと言うのは釈然としなかった。
 そもそも、阿部がそこまで人の恋路に首を突っ込みたくなるのか不思議でならなかった。
 俺は阿部の行動や考え方は、基本は自分の利益を追及することで人付き合いとは利益、又は不利益で態度を変える性格だと俺は思っていた。
 今となっては阿部に、俺と山城さんの関係は何も利益を及ぼしている訳でもないのにここまで執着するのか俺には理解できなかった。
 だから俺は阿部に面と向かってそのことを問うことにした。

 「そこまで人の恋路に首を突っ込んでも、お前は何を考えてるんだ。」

 その問いに阿部はいつもの気味悪い笑顔でこう答えた。

 「風吹けば桶屋が儲かる。まあ、思わぬところから儲け話っていうのは出てくるってことです。」
 
 俺はこの時、阿部が何を言っているのかわからなかったが、阿部と別れて、家の布団の上で寝ながらスマホで動画を見るのも飽きていたところ、この言葉を不意に思い出して意味を調べた。
 ことわざの一種で、ある事象の発生により、一見すると全く関係がないと思われる場所、物事に影響が及ぶことの喩えだと言う。
 大風が吹けば土埃が立ち、盲人などの眼病疾患者が増加する。
 盲人などが三味線を生業とし、演奏方法を指導したり、門付で三味線を演奏するので、三味線の需要が増える。
 三味線製造に猫の皮が欠かせないため、猫が多数減り、鼠が増加する。
 これら鼠は箱の類(桶など)をかじることから、桶の需要も増加して桶屋が儲かるだろう。
 と言う、何とも珍妙な話がそこには書いてあった。
 この現代にそんな話があるとは思えないし、馬鹿馬鹿しいから忘れることにした。
 俺はそれよりも深刻な問題に直面していた。
 夏休みが始まって以来、俺は山城さんに会うこともコミュニケーションを取ることが出来ないことによる、発作的な恋煩いであった。
 阿部の怪しい夏休み宿題代行やバイト等の作業に集中している時は全然平気だが、何か少し暇な時間があれば彼女の事を考えてしまっていた。
 バイト先でレジ前でうわの空で呆然としていたらしく、その姿は目を開けながら寝ているようで、半開きになった口になっているところを阿部に写真を撮られた。
 その写真で休憩中に、面白おかしく阿部が弄り倒して来て非常に腹が立ったが、撮られた俺にも非がないわけではなかった。
 あの栗饅頭を持って行った日から、ほぼ毎日昼休みを図書室に行き、山城さんに会いに行っていた。
 初めの数日はお互い、言葉も何か一言、二言、程度で、あれは面白いとかこれが面白い程度だった。
 これは必然であって、山城さんとしては強引に押し切られて約束された事を自分の良心で相手をしているだけで、そう思うと言葉では表現できないほどの申し訳ない気持ちになるのだが、それは天と地ぐらいの遠くから呼びかけているような距離感だった。
 これでは、せっかくのチャンスも手から零れてしまうような気がして、急に怖くなった。
 女神も慈悲も際限が無い、神は気まぐれ、もちろん女神も同じだと思うと明日から会えるかも怪しくなってくるのだ。
 俺は無い頭をどうにかして何とかしなくてはと思い、逆立ちしながら考えた、実際に逆立ちをしたわけではないが何かやらないと不安でしょうがなくなっていた。
 俺がどう話したいのか、どう伝えたいのか文章に起こしてみた。
 大切な相手に話をするときは、それこそ一生に一度と言わないがスピーチには台本が必要なのだと思った。
 文章を書き、読んではそれを直して、言葉を選ぶために言葉の意味を調べながら一つの形にしていく作業だった。
 馬鹿とか阿保とか思うかもしれないが、一生に一度かもしれない転機を迎えていたと思っていると考えるより行動していた。
 とは言え、さすがに山城さんの前でそれを持って、音読し始めるような事はしなかったが書いた内容は頭に入っていた為、喋りが上手いか下手かは別として話をしてみた。
 それは確かな感触として山城さんを少し笑わせることに成功した。
 俺が何かに憑りつかれるように、便所の落書きのような文章を書いているのはここが始まりだった。
 それから、話のネタを出来るだけノートに書き溜めて、A4ノート一冊分になった頃には努力が実を結んだのか、山城さんは本を読む事よりも話に聞き入る様になっていた。
 正直、夏休みが始まるまでの山城さんとの絶妙な関係は、一言で贅沢過ぎたのだ。
 一度、味わった贅沢はなかなか忘れられない訳で、俺の話に山城さんが表情を変える様子に、話が伝わっていると言う実感と達成感で脳味噌の変な汁がバケツの淵から溢れんばかりになっているところを、頭から被るぐらいに過剰に分泌されていた感じを忘れることが出来ないでいた。
 それどころか、山城さんと話が出来ない日が長くなればなるほど、どうにかして会って少しでも話がしたいと言う思いが、脳内麻薬のやりすぎで中毒症状を起こしているようだった。
 山城さんと縮まった距離が夏休みまた遠くになるような不安もあり、阿部と言う気前の良い悪魔に一層のこと頼ってしまいたくなっていた。
 そして、阿部の手伝いが終わる頃、俺は山城さんに会えないことに限界を迎えていた。
 午前中までにある程度、作業も終わりが見えてきたのでいつものラーメン屋で二人で冷やし中華を食べていた。
 俺は冷やし中華の麺を食べずに呆然と冷やし中華を眺めていた。
 その中華麺を食べずに山城さんに話しかける算段を頭でめぐらせていて、山城さんの家がわかっているなら家の前で出てくるのを待っていれば会えるのではと、非常識的な考えを頭で思いついた瞬間だった。

 「景気が悪い顔しないで下さい、こっちの運気まで吸い取られそうです。」
 
 阿部がそう言ってくると言う事は、相当顔に出ているのだろう。
 俺だってそんな顔でいることを望んでいる訳ではないが、山城さんへの煮詰まった何とも言えない思いが頭を掻きむしっていた。
 こうして停滞している山城さんとの関係について、彼女の心はもう遠くに行って、駄目なんじゃないかなんて悪い予感のような考えが、頭の片隅で警告音をずっと鳴らしているそんな気がした。
 それがずっと黒い油汚れのように頭に染みついて、数日前から何をしていても頭から離れ無かった。
 とは言え、阿部は弱みに付け込んできそうな気がして強がって、その頭の内の思いをバレない様に慌てて中華麺を啜り、少し行儀が悪いが阿部に聞いてみた。

 「不景気ってどんな顔だ?」
 
 阿部はじっとこっちを見たと思ったら、手に持った箸を俺に向けながら言葉を放った。
 
 「山城さんに会えないからって、そんなに思い詰めるのは身体に良くないですね。」

 俺は驚いて中華麺を吹き出してしまった。
 テーブルの上は俺が噴き出したもので大惨事に、阿部は飛んできた汁や麺を「汚い」とか言いながら御絞でテーブルを拭き始めていた。
 俺は器官に汁が入ったせいか咽ながら、阿部に心中を既に読み取られていることに、悪い予感しかなかった。
 
 「全く、夜空の星程いる女性の中で、山城さんだけにこだわるのか自分にはわかりませんね。」

 俺には言葉の意味がわかっていなかったことを察したのか、阿部は爪楊枝の入った筒を俺の前に置くと一本取って目の前に置いた。
 
 「この爪楊枝から一本取ってそれを使用するのが今の登藤の古臭い考えで、複数の女性から一人だけ選んでその人だけとの交流をする。」

 そう言うと阿部は俺の前に置いた爪楊枝を目の前で取って咥えた。
 
 「こうして誰かに奪われた場合、どうにもなりません。また一から女性との関係をやり直さなければなりません。」 
 
 阿部がやっていることは他人が使おうとした爪楊枝を横取りすると言う、人として常識を疑う行動に嫌悪していた。
 今度は阿部は爪楊枝を3本取り出して俺の前に置いた。

 「現代の昨今は複数人の異性と友達として付き合うのは悪いことではありません。ならそれを利用して仲の良い異性の友達を作るのです。それでその中で好きな人を選べば良いんですよ。」

 阿部は言っていることは流石の俺でもわかったが、俺はそんな人間にはなれない事もすぐにわかった。
 確かに異性の友達を複数いて、その中で一人と付き合えばいいのだが、それについて相手がどう思うか全く考えていないのだ。
 相手を品定めしながら順位をつけて選ぶようなやり方をされたら、恐らく不満や不安を感じずにはいられない。
 阿部はいつもの不気味な笑顔でニヤニヤした顔を見ていたら、この話は何かの意味があるような言いぶりに阿部の悪だくみを直感した。
 
 「またなんか悪いこと企んでるな。」

 阿部の言葉の裏に裏が知る必要があった。
 それは阿部が起こす問題に巻き込まれてるのを避ける為で、今回は話を聞く前から俺の中でこの誘いにのってはいけないと本能的な警告を感じていた。
 
 「実は女友達と遊びに行く話がありましてね、どうしても人数合わせにどうしても誰か一人必要なんです。そこに登藤に来て欲しいと思いましてね、もしかしたらちょっとは気が晴れるんじゃないかと…。」

 阿部はおかしくなったのかと思った。
 小細工なしの真ん中ストレートを投げてきた。
 阿部は俺が山城さんに恋心があることを知っているのにこんな事を言うとは思わなかった。
 当然、俺の答えも小細工なしの真ん中ストレートを投げた。. 

 「悪いが断る。」

 しかし、阿部は俺を巻き込むことを諦めていなかった。
 ここで投げた緩急のような言葉に若干、狼狽えることになった。
 
 「良いですか?こんな話は滅多にないですよ。それに登藤はどうして山城さんが好きなんですか?」

 阿部のある意味確信を着くような質問に、俺は驚愕した。
 急に俺がどうして山城さんが好きな理由が出てくるのか意味がわからなかった。
 そして、俺はそれから逃げるような咄嗟の返事しか出来なかった。
 
 「あのな、別にそんなの関係ないだろう。」
 
 それを聞いた阿部がこれを狙っていたようなにすぐに言葉を被せるように言ってきた。

 「理由が無いなんておかしいですね。腹が減ったら飯を食べる、退屈なら遊ぶ、行動には理由が伴うものなんです。」
 
 阿部は余裕な感じでズルズルと中華麺を啜り始める。
 俺は阿部が中華麺を啜る数秒の間だが、阿部の言葉通りについて理由を考え始めたがすぐにパッと出て来なかった。
 言葉に言い合わらせない直観的ものをどう表現すればいいのかわからなかっただけかも知れない。
 しかし、俺が何とも言えない山城さんを好きだと思う気持ちには嘘偽りがないと自信があった。
 中華麺を飲み込んだ阿部が畳みかけるようにこんな事も言ってきた。

 「科学的に”一目惚れ”とは、一目見た相手の外見から勝手にその人の内面までを、妄想して好感を抱くことで“一目惚れ”をします。登藤が勝手に山城さんを妄想で理想の彼女だと思っているだけかも知れません。」

 俺は阿部が適当なことを言っていると思い、すぐさまスマホで検索を掛けると、驚いたことに阿部が言ったような事が何処もかしくも書いてあると言う事実に驚愕していた。
 恋愛ドラマや小説、アニメ、漫画であるようなドラマチックな一目惚れは全て勘違いから始まり、その人の勝手な妄想によって生まれて、悩まされ、苦しくなったりしていると思うと精神疾患の一つなんじゃないと思ってしまった。
 名づけるなら、まさに”恋の病”である。
 数秒前の自信が疑問に変わると言う、手の平返しが起こっていた。
 俺の恋心は科学的に自身の妄想なのか、そんな思いが頭を駆け抜けた瞬間、阿部が追い打ちをかけるようにある提案を持ち出してきた。

 「じゃあ、もしも願いを聞いていただけたら、登藤と山城さんのデートの切っ掛けを作るって約束したらどうします。」
 
 阿部の口から出た、その悪魔の囁きはそれこそ喉から手が出るほどの欲しい内容だった。
 考えてみれば決して悪い話ではない、しかしそれを心の片隅で拒んでいる。
 阿部の口車にのせられて踊らされているように思えて嫌だと思うところもあるが、何よりも山城さんを純粋に好きな気持ちがあるのに、他の異性と遊びに行くのはまずいような気がしていた。
 しかし、他の異性と遊んでみて何とも無ければ、俺が山城さんのことを思う気持ちは本物だと確信が得られるとも思えるところがあった。
 そんな思考を遮ったのはスマホのアラームだった。
 スマホにはバイト予定が表示されていて、俺は慌てて中華麺を腹に流し込んだ。

 「あ~、登藤は今日は出勤日でしたね、まあ、返事は明日ぐらいに頂ければ良いですよ。ここの御代は私が出しておきます。お手伝いのささやかな感謝の気持ちと受け取ってください。」
   
 気持ちが悪いぐらい気前が良い阿部に違和感を覚えながらも、人として最低限の感謝を阿部に言うと急ぎ足でバイト先に向かった。 
 俺は阿部の提案について長々とどうするべきか考えていた。
 バイト中も家に帰ってからも、俺の頭では天下分け目の論争が続いていた。
 家に帰ってから布団の上で仰向けで天井を眺めながら考えていたら、日付が変わっていた。
 俺が山城さんに対して特別な感情を抱いていなかったら、二つ返事で了承して、小躍りしながら喜んでいただろう。
 行ってみたいと言う気持ちがあるのに、山城さんに対して罪悪感で胸が痛かった。
 結局の最後の決め手は、阿部の手の平で踊らされるのだけは嫌だと言う思いに背中を押され、俺はスマホで阿部に断りのメッセージを入れると提案の話は忘れることにしてその日は眠りについた。
 この時、俺が何を選択しても既に阿部の手の平にいることを後でわからされることになる。 
 
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