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第2部
第97話 ちょっとだけ
しおりを挟む整理の付かない頭のまま僕は帰宅した。電車の中でも、エレベーターの中でも、さっき見た絵面が浮かんでは消えていた。
「ただいま」
「おかえりっ! 今日も俺が晩飯作ったぞ!」
玄関を開けた途端、あいつがいつものように突進してきた。身構えるのを忘れた僕は、そのままドアに背中をぶつけてしまう。いてっ。
「ん? どうした、倫。ぼんやりして……どっか具合でも悪いのかっ?」
佐山はびっくりして僕の肩を揺すった。目がマジだ。今でも僕が倒れたことを鬼のように忘れずにいる。咳するだけで大騒ぎなんだよね。嬉しいけど。
「違うよ。いや、ちょっと受け身できなかった。実はさ……」
僕はリビングに向かいながら、事務所で見たショッキングな出来事を佐山に話して聞かした。
「ああ、なるほどね。水口さん、そう出たか」
「なに、どう出たんだよ。おまえなにか知ってるのか?」
驚くでもなく、一人合点がいったように言う佐山。おまえ、水口さんの何を知ってるんだ。
「あれ、倫、知らなかったのか? 水口さんは俺なんかよりずっと場数踏んでるゲイだよ。ま、あんたに手を出すような馬鹿じゃないことはわかってたから、敢えて言わなかったけど」
そうなのかー! 全く、全く気が付かなかったよっ。
「じゃあ、なにか? 水口さん、八神さんのこと……」
「手なずけるつもりだったのか、本気なのかは知らんけど。大人しくさせるにはいい方法だったよな」
僕は二の句が継げなかった。かき上げたストレートヘアの下に覗く涼やかな目。いつもスーツをパリッと着こなす大人な男性。
沈着冷静の切れ者で、社長が一目も二目も置いてる。僕が手を焼いていた、あの性悪狸をあっという間に手懐けてしまった。
「ううん。なんかもう、水口さんへの印象が180度変わっちゃったよ。佐山、よく知ってたな。僕らが事務所に入るまで面識なかったろ?」
「そりゃ。そういうのに敏感じゃなきゃ、あんたを守れないだろ? なにかと完璧な倫も、そこだけは疎いからさ。下手に迫られたりでもしたら、俺は悔いても悔やみきれんからな」
「はあ……」
それについては、何も言えない。そんなアンテナ、僕にはついてないんだ。
僕がジャケットを脱いでソファーの背にかけると、その代わりと言わんばかりに背中から抱きついてきた。
「なんだよ……もう晩飯食べるんだろ? 作ってくれてありがとうな」
「んー。その前にあんたを食べたい。いいだろ?」
振り向く僕の頬にキスをする。そして器用に僕のシャツのボタンを外し始めた。そうだよな。人の恋路なんておまえにはどうでもいい話だろう。
「ちょっとだけだぞ」
ちょっとって、どこまでをちょっとと言うんだろう。自分で言っておいてふと考える。まあいいか。
おまえは満足そうに頷き、僕の唇にキスを降らす。うっとりするようなおまえのキスに僕はすぐ夢中になってしまうよ。
僕が疎いのは仕方ないとしても、心配しなくていい。どんな時でも僕にはおまえしか見えていないんだから。
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