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第3章
11 友達にすらなれない
しおりを挟む「宗志から聞いてますから、とぼけなくて大丈夫です」
ああ、やっぱり。俺は小さく息を吐いた。もしやと思うが、あいつスマホを取り上げられてたりして。まさかな、高校生でもあるまいし……。
「今の森嗣家がどのような状態か、あなたでもわかるでしょう。すぐに宗志が跡を継ぐわけではなくても、後継者として体制を整えなければならないんです。ご理解いただけますよね?」
本当に急いでいるのか、それとも俺と話をしたくないのか。多分両方とは思うけど、夫人は結論を急がせる。
「宗志はどう言ってるんですか? なぜ、あいつが直接来ないんでしょう。小学生の喧嘩だって、本人が来ますよ」
俺は憮然として応じた。お父さんを看病してるとしても、それならあいつが一人でくればいい。
宗志の気持ちがどうであれ、俺との別れを希望しているのなら……。もしそうなら、それは受け入れてやらなければならない。
「宗志が? なんでこんなことのために」
「なんだと」
相手がご婦人であったとしても、宗志の母親だとしても、その言い方はないだろう。さっきから俺にガンを飛ばしていた夫人を思い切り睨み返した。
「宗志には常々言ってたんです」
けど、夫人は全く動ぜず言葉を続ける。この人、こんな人だっただろうか。
「大学時代はある程度遊んでいいと。私も主人も、大学生活は勉学はもちろんですけど、楽しんでほしいと思っていました。あなた方には想像もつかないとは思いますが、社長業は苦しいことが圧倒的に多いものです」
そんなこと、想像しないからな。普通の一般人には、元々ある会社の社長に突然なることなんか起こり得ない。
「それで? 宗志は楽しんでいただけだと仰るわけですか」
なんとなく、彼女のロジックが見えてきた。俺はストローを使わずに、そのまま珈琲を喉に流し込む。氷が邪魔だ。
「どうして……」
さっきまで押し殺した声でも敵を威嚇するような言い方だったのが、突然、口惜しそうに呻いた。俺はさっと顔を上げる。
「どうしてあなただったのか……こんなこと、私だってあなたに言いたくなかった」
苦渋に満ちた表情だった。綺麗な顔を歪ませ、眉間には細い皺が寄っている。ここまできて、彼女にも葛藤があったのだと気付いた。俺は心底鈍いな。
「森嗣製薬だって、常に順風満帆じゃないんです。百鬼夜行の業界で、虎視眈々とその地位を狙うのはなにも外側だけではない。大きな屋台骨が崩れそうなのに、スキャンダルなんてありえない」
スキャンダル。俺の胸に大きな穴を穿つに十分な単語だった。俺はぐっと唇を噛む。なにか言いたいのを我慢したわけじゃない。ただ感情のまま叫びそうになるのをこらえた。
「ここに……百万円ございます。就活でお忙しいと聞いてます。なにか役立てていただければ」
響子夫人は白くて分厚い封筒をそっとテーブルの上に置いた。マニキュアが剥がれかけている爪が俺の目の前を過った。
「宗志は……同意してるんですよね」
どうして、そんなに簡単に白旗を上げてしまったのか。こんなことを、あいつが同意してるとどうして思ったのか。百万なんて端金提示され、欲しくなったわけでは断じてなかった。剥がれたマニキュアが、俺の気持ちを削いだ。
「ええ」
彼女のはっきりとした返事に、俺は席を立つ。迷ったけれど白い封筒を受け取った。それが、答えになるだろうと思ったからだ。
『宗志さんのお友達が久遠さんで良かった』
友達なら良かったのにな。もう、友達にすらなれない。俺は彼女の顔を見ることなく、ラウンジを出た。
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