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第3章
1 カブリオレ
しおりを挟む森嗣崇志。中堅の製薬会社、森嗣製薬の社長は宗志の父親だ。宗志は次期社長となるべく経営学を学ぶために入学した。
「なんだ。薬学部じゃないのか」
「馬鹿だな。製薬会社が薬ばかり作ってると思うなよ。ま、僕は理系じゃなかったからな。そっちは妹に任すことにしてる」
なんてさらりと交わされた。経済学科と経営学科という違いはあったが、2年生まではほぼ同じ講義を受ける。顔を合わせるとなんとなく隣同士に座ったのはウマが合うとお互いが思ったからだろうか。
「今日は車で来たから、送ってやろうか」
「あほか。アパートまで歩いて5分のとこ、どうして送ってもらわにゃいかん」
「けど、マセラティだぜ。乗ってみたくない?」
「えっ……」
マセラティというのは、元々はイタリアで生まれた自動車メーカーだ。その後紆余曲折して現在は米国か欧州のメーカーの傘下に入ってるんじゃなかったかな。
いずれにせよ、学生はもちろん、普通の会社員じゃ手の届かない高級車だ。
「おまえ、話に聞いてはいたが、ホントにお坊ちゃまなんだな」
まだ知り合って最初の頃だ。身なりからも雰囲気からも、こいつが普通の一般人ではないことはわかっていたし、名前から森嗣製薬と関係あるのかとも思っていた。
東京組からはなぜか遠巻きにされていたのもその辺に理由があるのかと。そのうちの一人から、『森嗣はけた違いの金持ちだからな』と耳にしたのは、つい最近のことだった。
「ああ。それは隠しても仕方ないから。どうだ? カブリオレだし、ドライブしないか? バイトはまだしてないだろ?」
その頃はまだ、バイトを探してる最中だった。飲食店なんかは性に合わないし、頃合いのところがなくて困っていたところだ。
「カブリオレって……野郎同士で乗るのもなあ」
「じゃ、やめるか」
「え、いや、待て。乗ってみたい」
車が殊の外好きというわけではないが、やはり憧れの一つでもある。
田舎で育った俺はワンボックスのファミリーカーならまだましな方で、軽トラばかりを見て育ったんだ。外車とか、観光客が乗ってるのしか見たことがない。
結局この日、俺は初めて宗志と長く一緒にいることになった。冒頭の会話はこの日にかわされたものだ。
掛け値なしにカッコいいマセラティに乗せられ、レインボーブリッジを渡り、そのまま横浜に出る。初夏のなかなか沈まない太陽のもと、赤レンガ倉庫のあたりを野郎二人で歩くのはどこか滑稽だ。けど、それも若いうちの特権だろう。
坊ちゃん育ちの宗志は色白で中性的、少女漫画に出てきそうなどこぞの貴公子そのままだ。対する俺は田舎者の御学友か? 執事にしては柄が悪すぎた。
「金持ちって言っても、親父や祖父、そのまたご先祖様の手柄だよ。僕には全く関係ない。窮屈なだけだ」
「貧乏人の苦労を知らないからそんなこと言うんだよ。俺たちは学費はともかく、生活費のためにバイトは不可欠なんだからな」
俺の思っていた金持ちのぼんぼん像は、もっとぽやんとしてて騙されやすい、浮世離れしてるけど人のいい奴、だった。
けど、宗志はそういうのとは違った。どこか厭世的で、世の中を斜に構えて見ている。鼻もちならないわけではないが、綺麗な顔に似合わず毒舌家だった。
「どうせ僕は決まったレールの上を走る電車みたいなもんだからな。ま、新幹線N700系だけど」
と、嘆く一方で当時の最新鋭車両を嘯いてみたり。俺たちみたいな脱線ばかりの各駅停車とはレベチと言いたいわけか。
「嫌味な奴だな」
「嫌味じゃない。真実だよ」
「別にやりたいことがあるなら、好きな道に行けばいいじゃないか。そんなに跡を継ぐのが嫌なら。
俺はおまえが恵まれてるとは言わんが、敷かれたレールがいやなら自ら脱線すればいい。そういう度胸もないくせに、被害者面するのはカッコ悪い」
俺の言いように、宗志は口をつぐんでマジマジと俺の顔を見た。日の暮れた横浜の海に、街の灯りがきらきらと漂う頃だ。宗志は海の方に向いて小さな息を吐き、呟くように言った。
「わかったふうなこと……正論かよ……」
あいつがそのとき何を言いたかったのか。ただ反論できなかったのか、その時はわかるはずもなかった。
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