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第2章
17 お線香の匂い
しおりを挟む「カササギが……」
幸いにも空は出て行くことなく、じっと俺の様子を窺っていた。
「カササギ? あいつがなんだ」
桃色の唇からあいつの名を聞く。いつも不思議に思うが、同じ顔に同じ体のはずなのに、彼らは全くの別人に見える。空がカササギの名を言うことに、なんの違和感も覚えなかった。
「『なにもしない』って言う人は、絶対するから信じるなって……」
「はあ?」
なに言ってんだ、あいつは。まあ、それは至極有用な戒めだが。今の俺は、断じてそんなつもりはないっ!
「全く……カササギの野郎」
空は上目遣いで俺を見る。なんだか調子が狂う。
「それはまあ、有益な教えだが、今の俺は信じていいから……ここに……座ってくれないか」
ぽんぽんと自分の隣に空いたスペースを叩く。
「いいけど……?」
「少し話さないか。いや、話したいのは俺のほうだけど」
空が言った。『久遠の苦しいの、いつか僕に話して。久遠の気持ちが軽くなるなら』。そのいつかが今日なんじゃないかって俺は思ったんだ。単純に、今の心の重石を少しでも軽くしたい。そんな甘えだったのかもしれない。
「あ、うん……それなら」
空もその時のことを思い出したのか、俺の隣、二人分くらい空けてちょんと座った。けど深々と座る気はないらしい。まあ、仕方ないか。
「カササギが言ったって、おまえたち、たまに会話するのか?」
まずは今さっき気になったことを聞いてみた。話したいと思いながらも口はそんなに軽々と動かない。
「ううん。ごくたまにだよ。あいつが僕と入れ替わるとき、声をかけてくる、というか、思考が入り込むっていうのかな」
「あ、そう言えば、俺と最初に会った日、あいつなにか言い残した?」
カササギが以前、言っていたことを思い出した。『俺が信用できる』とかなんとか。
「ああ、うん。あの朝カササギは、久遠は僕らを助けてくれそうだから話してみろって。だから……身分証を見せたんだよ。ちゃんと説明しようって思ったから」
そうか。あれは本当だったんだ。でも、そこまで俺を信用するってのはどうなんだろう。寝ればわかるなんて、嘘とは言わないが信じがたい。
それともあいつにはそういう能力でもあるのだろうか。昔読んだ本で、多重人格障害の別人格が、絶対主人格が知らないであろう言語を操ったり、ある分野の専門家のように精通していることがあると読んだことがある。眉唾ものだと思っていたのだが、そういうことなのか?
――――本……。あ、そうか。もしかしたら。
俺は鬼塚のクリニックで、俺が載ってる雑誌を見たことがあった。空は病院へはカササギが行くことが多いと言ってたしな。俺はふいに合点がいった。
カササギは俺を雑誌で見たことがあったんだ。著名人(自分で言うのもなんだが)なら無碍なことはしないだろう。場合によれば脅すこともできる。あいつのことだ。そこまで計算したんじゃないだろうか。
「どうしたの? 久遠」
俺のくるくる変わる表情に、空が不審者を見るような視線で追ってくる。
「ああ、なんでもない。その、おまえたちの会話に思い当たることがあって。たいしたことじゃないんだ」
そうだとしても、空にはなんの落ち度もない。カササギも、空を安全にすることがあいつの持って生まれた使命。というか、そのためだけに生まれてきた人格なんだ。それを今更あれこれ言うのは間違ってる。
「今日、俺は友人の墓参りに行ってきたんだ」
もう前置きをすることもないだろう。秋の日はせっかちだ。すでに窓の外は夕闇が迫り、俺と空の影が壁に長く形作っている。
「それは、わかってた。帰って来たとき、お線香の匂いがしたから」
エプロンの前に組まれた両手を揉むようにして、空が小声で応じた。
俺が宗志に出会ったのは、大学の入学式だった。
某国立大学の経済学部。超難関大学に合格した俺は、何者かになったかのように意気揚々と入学式に赴いていた。地方から都会に出てきた、世間知らずの田舎者だったんだ。
「久遠は北陸だっけ、出身」
「ああ。富山だよ。田舎の優等生はみんな、子供の頃は神童だったって言うけど。俺もまあ、その類だった」
「そうなんだ」
少しずつ、バランスが悪かった空のお尻が、ベッドに深く座るようずれていくのが見えた。俺は一つ息を吐き、また話し始める。
「あいつは、東京育ちでね。賺した顔で、俺を見てたな」
親に買ってもらったスーツに初めて締めたネクタイが浮いてる。浮足立つ様子に頬を紅潮させた連中ばかりのなか、宗志はどこぞの御曹司のように落ち着いて、ブランドスーツを着こなしていた。
整った顔立ちにモデルのような洗練された雰囲気。実際、宗志はある有名企業の跡取り息子だった。
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