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第1章
14 空の過去
しおりを挟むスライドドアが空気をかすめるような音をさせ開いた。すぐ目の前に、雑誌に目をやる空の姿が見えた。か細い線でもしっかりと形を成し、生きていることに、なぜか俺はホッとしていた。
――――馬鹿だな、俺は。あいつはちゃんと息してるじゃないか。
「あ、終わりました? 久遠さん」
「ああ。じゃあ、行こうか」
「はい」
あいつが見ていた雑誌を見て、俺は少し驚いた。それは多分、俺がインタビューを受けたことがある経済雑誌だ。小さいが、写真も載っていたと思う。
「看護師さんに教えてもらったんです。久遠さん、有名人だったんですね」
写真向けのポーズをとる俺を、空がなぜか自慢げに見せる。俺は黙ってそれを閉じた。
「まさか。狭い界隈での話だよ」
俺はあいつの細い肩に手を置き、エレベーターへと進む。
「少し痩せすぎだって先生言ってたぞ。遠慮しなくていいから、もっと食べろ」
「ああ……。ありがとうございます。生まれつき食が細くて」
言いながら、空はすっと俺の手をすり抜けた。
――――しまった。空は人との接触が苦手だと、今聞いたばかりじゃないか。
俺は何事もなかったように取り繕うと会話を進める。
「ええっと……少しずつでいいよ。そうだ。美味しいケーキ屋を知ってるんだ。帰りに買って行こう」
空は大きな目を見開き、嬉しそうに頷いた。いきなり優しくして、不穏に思うだろうか。
いや、こいつは鬼塚がどんな話をしたか見当ついてるはずだ。あからさまな同情にも素直に従う。それがいじらしくもあり、切なかった。
「僕は、覚えてないんです」
「え?」
ケーキを買い、車でマンションに戻る道すがら。大事そうにケーキの箱を抱える空がぽつりと口にした。
「ひどい目にあった時、いつも僕をかばってくれたから。僕はいつも引っ込んでたんです」
それが、空が初めて人格を分裂させた瞬間だった。こいつに暴行を加えていたのは、なんと実の父親だ。酒乱で酔うと豹変し、見境なかったという。
こういうやつは、素面のときは気が小さく大人しい仮面をかぶる。そっちが本性だと思うから、なかなか別れられないし、他人に理解されにくい。『あんなにいい人なのに』と。けど、それは間違っている。本性が酒を飲んで奥さんや子供に乱暴する方なんだ。
――――やはり、あの傷は父親から受けた暴行だったんだ。
やがて成長した空に、父親の暴行は別のものに変わっていた。もう酒乱どころじゃない。
『母親が、空を置いて出て行ったそうです。残された空は……まあ、言葉にするのも辛いのですが』
俺のほうが言葉もなかった。空はそれでもカササギに守られていたといえるが、カササギだって空なんだ。
『それで、どうして警察に捕まったんですか? まさか父親の暴行を訴えたわけじゃないでしょう』
カササギならそうするかもしれないが、まだ中学生で、曲がりなりにも生活は父親に頼っていた。
会社員だった彼は、うつ病として傷病休暇を取っていたが、給料の八割は支払われていたのだ。空はあまりにも無力だった。
『売春ですよ。けど、それはカササギの作戦だったんでしょうね。警察に捕まって、自分が病気であることを知らしめたんです』
そうか……。それで多重人格障害であることを明らかにし、父親の虐待を白日の下に晒したんだ。入院すれば、とりあえず父親の魔の手から遠ざかれる。
――――だから、あいつが退院するとき、親が雲隠れしたのか。いや、むしろ出てこなくて良かった。母親が放置したのは許せないが……。
「カササギが、僕をずっと守ってくれてるんです」
もう一度、今度は幾分か声を張って、空は正面を向いたまま言った。
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