上 下
4 / 96
第1章

3 解離性同一性障害

しおりを挟む

 シャワーを浴び、髭を剃る。そろそろチェックアウトの時間だ。土曜日だから俺の仕事量はいつもよりずっと減るが、それでものんびりしている時間はない。
 なのに、こいつを放置するのがなぜかできなかった。

「おまえ、いつもカササギの尻ぬぐい……まさにそれだな。してんのか?」

 着替えながら、ソファーに座る空に尋ねた。部屋にいろと言ったのを、ちゃんと守り、俺のシャワーが済むまで待っていた。ま、身分証を預かってたから帰るわけにもいかんかったろうが。

「大抵、お相手が寝てるうちに逃げ出します……お金は……カササギが前払いでもらってるので、それは助かるんですが……」

 今日は思わず寝過ごしてしまったらしい。しかし、ちゃっかりシャワーを済ませていたところを見ると、俺に話があったのかもと思う。俺はあいつの目の前に身分証をさっと投げた。

「で、これから行くとこあるのか? カササギは、行く当てないって言ってたぞ」
「あ……はい。あの……」

 冷蔵庫からコーラを抜き取り、ごくごくと喉を鳴らす。空はソファーの上、相変わらずリュックを抱きしめるようにして座っていた。

「住み込みのバイトしてたんですが、昨夜、クビになりました」

 俺は大げさにため息をついた。疑ったらキリがないが、やはりこいつの病気? というのには信用ができない。二重人格とか、ドラマの中だけでの話だ。

 ――――それなのに、俺はこいつを無碍に放置できないでいる。それどころか、手を差し伸べようとしているのか。

「俺の名前は久遠鷹矢くおんたかやだ。これ、名刺」

 俺はジャケットから名刺入れを取り出し、一枚、あいつに差し出した。空は両手で拝むようにしてそれを受け取る。

「投資アドバイザー……」

 俺の肩書を小さな声で読み上げた。

「ああ、ま、そんな凄いもんじゃない。本業はトレーダーだ。そのノウハウやらをブログや会員制のSNSで配信してる。稼ぎはその二本立てだよ」
「ああ、そうなんですか。凄いですね」
「凄くはない」

 俺は大学を出てすぐ証券会社に勤務した。だが、あまりの激務と上司のアホさ加減に辟易してわずか一年で退社。それから個人でトレーダーとして勝負した。
 まあ、うまくはいったが、それだけではなんだか物足りなくて。SNSでサロンを開き、自分の培ってきたノウハウをメンバーに切り売りしてる。
 昨夜のクライアントはその中でも上得意な連中で、企画やイベント等、裏方として協力もしてもらっている。人間関係は煩わしいが、ゼロにすると、今度は社会と隔絶された感じになるから人間は面倒な生き物だ。今はその塩梅がまあいい感じといったところか。

「おまえ、19歳だったな。大学には行ってないのか」

 ふるふると空は首を横に振った。さすがにあんなややこしい病気を持ってたら学校なんて行けないか。仕事も同様だろうな。

「カササギは、僕の行動を大体把握しているようなんですが……僕はほとんどわからなくて。でも、今度の仕事をクビになったのは、おそらく彼のせいなんです」
「なにやったんだ、あいつ」

 空はやや躊躇したが、諦めたように言葉を繋いだ。

「店長を誘惑して……奥様にバレました」

 へ……。わずかな沈黙。直後、俺はこみ上げる笑いを我慢できなかった。

「そりゃ、傑作だなっ!」
「笑いごとじゃありませんよ。体は……あいつと共有してるんだから……」

 今にも泣きだしそうな表情で俺を睨む。カササギとは全く違う、ずっと幼く、素直な思春期真っ只中の少年に見えた。


 空は寮付きのカフェで仕事をしていた。素直で見た目がいいから、今までもそういう店ではすぐ職にありつけたようだ。

「高校は入院中に勉強して。卒業証書をもらったので、一応高卒です」
「入院? あの、解離性……なんとか」
「多重人格障害で大丈夫です」
「ああ、そう、その多重人格で入院してたのか?」

 そこで勉強して卒業というんだから、高校は通信制か。

「はい。治療しながら勉強してました。今も通院してます」
「つまり治ってないんじゃないか。それ。入院しなくていいのか?」

 空はまた、黙り込んでしまった。言いにくいのか、どう説明しようか迷ってるのか。

「ああ、もうチェックアウトの時間だ。とにかく俺のマンションへ来い。話はそれからだ」
「え? いいんですか?」
「このまま放り出すのも目覚めが悪いだろ? 話だけは聞いてやるから、包み隠さず話せ」

 どうしてこんなこと言っちまったのか。いや、別に後悔してるわけじゃない。多分、俺はどこか得体の知れないこいつ(ら)が、気になってしまったんだろうな。
 それにもう、知らないふりをして後悔するのは嫌だった。脳裏にちらりと、懐かしい澄ました笑みが過った。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。 でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。 けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。 同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。 そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

赤ずきんちゃんと狼獣人の甘々な初夜

真木
ファンタジー
純真な赤ずきんちゃんが狼獣人にみつかって、ぱくっと食べられちゃう、そんな甘々な初夜の物語。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

処理中です...