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第73話 潮時

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 僕の余計な一言で、二人の熱は急激に下がったようだ。とはいえ、ここらが潮時か。
 こんなガタイのいい二人が取っ組み合いして怪我でもしたら大変だし、神崎さんは飛行機の時間が迫ってる。

「真砂、どうするんだ。こいつと付き合い続けるのか? それとも俺のところに戻ってくるのか?」

 ようやく僕の存在を思い出したのか、九条さんが僕の両腕をその逞しい腕で掴む。この感覚、やっぱり好きだ。
 髪を短くした九条さんの険しい表情。僕のことを想ってくれてるのはきっと嘘じゃない。でも……。

「九条さんは、パリの彼とまだ付き合ってるよね。他にもいるのかもしれないけど」

 そっと彼の腕から抜け出す。

「そ……それは」

 九条さんの顔が歪む。綺麗な顔を歪めないで欲しいけど仕方ないね。

「では、私と……」

 今度は神崎さんが僕の肩に手を触れさせた。

「神崎さん、本気ですか? 僕が九条さんと別れたら、もう興味なくなるでしょ?」

 触れた指がピクリと動いた。そして、ゆっくりと元の位置へ引っ込める。

「二人とも好きでした。こんなこと言うと、僕が1番外道なのがバレてしまうけど……」

 思わぬところで涙が出てきた。こういうところも、僕があざといと言われる所以か。
 でも、無理に出してるわけじゃないよ。これで僕の二つの恋が一度に終わってしまったのかと思うと、やっぱり悲しい。

「真砂……」

 九条さんの体がふっと動いた。僕に最後の口づけをするために。触れた唇の柔らかさとともに、塩辛い自分の涙の味がした。


「さて、私も行きますね。出航の時間が迫ってる」

 最後のキスをして去って行った九条さんの背を見送りながら、神崎さんが独り言のように口にした。
 さっきまで入口付近でできていた人だかりも、三々五々に散ってもう誰もいない。

「はい。気を付けて……てか、お元気で」
「ええ。鮎川さんも……。あの、さっき言ったことは嘘じゃないですよ」
「え?」

 さっき言ったこと? なんだろ。

「私は鮎川さんに、本当にあなただけを想う誠実な相手を見つけて欲しいと思ってる」

 ああ、それか。いやいや、本気で言ってるとは思えないが、今までの言動から。

「惚れっぽいのは、私が横取りしたい性癖と同様、治りにくいものだけど……」
「ああ、はい」

 それは納得。

「今まで、不誠実な相手ばかりに熱を上げてたせいもあるのかなと。もし、浮気をしない、本気で鮎川さんだけを想う人物が現れたら。変われるんじゃないかな」
「そうでしょうか」

 疑心暗鬼な僕は怪訝な表情を投げる。それでも、神崎さんは綺麗なヘーゼルアイを細め、僕の頬に手をかけた。

「そうじゃなきゃ、困るでしょ」

 神崎さんは僕の頬に軽くキスをして、耳もとで囁いた。

「え?」

 僕が問い直す間もなく、九条さんは踵を返して出口に向かっていた。軽く右手を振って去っていく。僕の耳に、その言葉が反響して残った。

『案外近くにいるかもだよ。その、誠実な人』



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