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第21話 いい歳した大人
しおりを挟む九条さんに会える火曜日。でも、今日が終わったらしばらく会えない。嬉しいけど嬉しくない切ない想いを抱えて朝を迎えた。
――――くよくよしてても仕方ない。今日は精いっぱい楽しもう。最後の一瞬までそのあとのことは考えない。
僕はそう心に決めて、鏡の前で無理やり口角を上げた。不思議と元気が出た。
口角を上げただけでなく、やはり人は運動して汗をかくと活力が湧くようだ。
舞原さんと会話しながら一生懸命トレニンーグに取り組むと、考えても仕方ないことで悩むのは時間の無駄だと思えてくる。スポーツマンと言われる人が、妙に楽天的に感じるのはあながち間違ってないんだな。
「真砂が笑顔で良かった……」
気持ちよくかいた汗を流すのはもっと気持ちいい。好きな人と一緒だからなおさら。
「今日という日を楽しむことにしたんだ。それ以外考えない」
シャワーの心地よい湯を受けながら、僕は九条さんにそう宣言した。
僕の腰を抱く彼は、驚いたような表情で僕を見た。切れ長で形の綺麗な双眸で僕を見つめる。僕も視線を逸らすことなく見つめ返した。
「生意気な奴め……俺を骨抜きにするつもりだな」
僕の頬を軽くつねって笑みを漏らす。
「もちろん……僕は淫乱だからね」
「降参だ。真砂……」
唇をふわりと緩め、それから僕に口づけを……。
「この……ぷくりとした唇もたまらん……もっと開いて……」
顎を右手で掴み、九条さんは僕の口を強引に開ける。それから柔らかいのに乱暴な舌をねじ込んできた。
「う……う、ん」
体中に電流が走ったように痺れていく。九条さんに溺れてるのは僕の方だよ。ずっとあなたの魅力に抗えない。濡れた長い髪。僕は指を絡ませる。ずっと、ずっとこうしていたい。あなたのそばにいたいんだよ……。
その日は、日付が変わる頃まで一緒にいた。ランチを食べて、ドライブして、買い物して、くだらない話をして……。
最後は僕の部屋に戻ってきた。そこが一番長く一緒に居られるだろうと思ったからだ。
なにも言わず、寝室に向かう。九条さんはそれまで一言も、フランスのどこに行くとか、なにをするとか、いつ帰るとか言わなかった。
そんなことがこの先あるなんて信じない。僕たちのなかには、申し合わせたような約束があった。
「日付が変わるな……」
「そうだね」
それが、もう帰るという意味なら僕は時計を全部隠したくなる。そんなことしても意味ないってわかってるけど。
九条さんはグレーシャツを腕に通し、ボタンを嵌め始めた。僕はまだベッドに横たわりながらその様子を眺めてる。長い髪をさっと後ろに流すところカッコいい。なのになぜか、その唯一無二な姿が滲んで……。
「真砂……?」
九条さんの手が止まる。僕は自分でハッとした。いつの間にか、頬に伝うものが……。いい歳した大人が、ただ少しの間会えないだけなのに涙してしまってた。
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