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第4話 1週間
しおりを挟む「残念だけど今日は急ぐからな」
一瞬の出来事だった。壁に埋め込まれたみたいな僕は、九条さんが体を翻してシャワー室から出て行くのを見送る。それからずるずると崩れ落ちた。
――――さっきのなに? もしかして、キスされた?
軽く触れるだけのフレンチキス。九条さんは僕より10センチくらい高い。顎に右手が触れたと同時に風が吹いたみたいにキスしてくれた。
僕は自分の唇に指を這わす。トレーニング後で汗だくのはずなのに、全然汗臭く感じなかった。というか、いい匂いしてたよ。
――――はっ。僕は大丈夫だったかな。汗くさくなかったかな。
僕は慌てて自分の腕やなんかをクンクンした。間違いなく汗くさい。
――――で、でも。僕のことタイプだって言ってくれたし。それに来週はなんかあるのかも?
僕はのそのそと立ち上がり、トレーニングウェアを脱ぐ。シャワーの栓をひねると霧のような細かい温水が体を叩く。なんと気持ちがいいことかっ。
――――はああ、気持ちいい。編集長には感謝しかないな。
初日から期待以上の成果があって僕はルンルンだ。それに、これには僕も驚いたんだけど、執筆にもいい影響がありそうだ。
だって今僕は、猛烈に書きたいって思ってるんだ。あのアライジャをもっとカッコよく書ける気がする。さっさと汗を流して自分の仕事場に戻りたい。早くPCの前に座りたいなんて、デビューしてからなかったことだ。
――――九条さんの姿が僕の脳内をいっぱいにしてる。溢れそうなこの想いを文章にしたいっ!
僕は髪を乾かすのももどかしく(天パーの自分の髪が絡んで乾かすのが大変なんだよ)、何かに追われるように駐車場に向かった。
1週間は長いようで短い。いや、短いようで長い。早く火曜日来ないかなと指折り数えて待っていた。なかなかならなくて、やっと土曜日、日曜日、なんて。まるで夏休みを待つ小学生みたいだ。
『鮎川先生、凄く良くなったじゃないですか。アライジャの魅力が以前より数倍上がってますよっ!』
月曜日、興奮気味の小泉さんから電話があった。あれからガンガン書き連ねた新作。まだ序盤だけど、小泉さんに見てもらったんだ。
「そうですか? いやあ、良かった。自分でも驚くくらい筆が進んで」
『へえ。まさかのジム効果ですか?』
「え? ああ、そうですね。体動かすと脳も動くみたいで」
九条さんとの出会いは、さすがに言えない。
『ふううん。好みの方に会えたとか?』
「な、なに言ってんですか。いや、でもガチムチの方が多いので、参考にはなります」
やばい。さすが小泉さん、急所を突かれて僕はしどろもどろに。
『そうですか。まあ、作品に好影響があるなら何よりですから。じゃあ、続きもお待ちしてますね』
「はい。お任せください」
苦手な小泉さんとの電話を終え、僕は安堵のため息とともにソファーにどかりと座った。
いよいよ明日が火曜日だ。もうワクワクが止まらない。多分、遠足の前だってこんなに心躍らなかったと思う。
ジム通いのためにトレーニングウェアを準備したのだけど、この1週間のうちに新たにまた購入してしまった。しかも少しお高めの。
――――いや、これも投資だ。九条さんと仲良くなったら、きっともっと作品は良くなる。
なんて明らかに取ってつけた言い訳をした。
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