居候同心

紫紺(紗子)

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弐の一

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「邪魔するよ」

 しかし、市邨屋の店先だけは違った。江戸一と言われる呉服屋だ。何十もの畳が敷き詰められた店内に、反物を広げる裕福そうな客と番頭、それに茶を出してる小僧と人はいる。だが、以前の活気がなく、みな一様に小声で話し、静かだ。

「これはこれは……お役人様」

 壮真の姿を見て、大番頭なのか、顔も体も丸い腰の低い男が駆け寄ってきた。

「ああ。忙しいとこ悪いが、店主に会いにきた」
「はい。お役目でございましょうか」
「そうだな。ここで買い物できるほどの銭はないや」
「失礼いたしました。どうぞこちらへ……」

 土間から店の奥へと続く石畳を進む。いくつもの蔵の前を通り過ぎると、その向こうに住居らしい建屋が見えてきた。抜きんでて立派な屋敷が主人たちの、奥に覗いている長屋が使用人たちの住まいだろう。
 壮真の住む屋敷は筆頭与力という父の職位から、八丁堀では最大だ。そこよりも広いのだから、富栄えているのは一目瞭然だった。

「ところで、今もまだ善太郎の行方はわからないのか?」

 先を進む番頭に聞く。

「はあ……坊ちゃまとはずっと会えておりません……。店主も奥様も屋敷に引きこもっておられます」
「まだ探してるんだろ?」
「それはもう……。我々も交代で探しております。もちろん、店主が雇った者たちには昼夜たがわず……」

 そう言ったところで、母屋の玄関に着いた。壮真は草履を脱ぎ、番頭の後を追う。

「こちらでお待ちください」

 通された部屋は庭に面した客間だろうか。広々とした部屋からは、錦鯉が泳ぐ池を中央に配した見事な庭園が臨めた。風見家の庭も立派なものだが、目の前に広がる美しい庭園には遠く及ばない。
 圧倒された気分で出された座布団に座り、女中が運んできた香りの立つ茶を飲んでいたところで、襖がすっと開いた。

「お待たせしました」

 市邨屋店主、市邨寿一ひさいちだ。壮真は一度だけ会ったことがあるが、あの時の印象は恰幅よく肌艶のいい男、だった。今もその時と同様、呉服屋らしく仕立てのいい着物と羽織だが、顔色は土に近く、病人かと思うほどだった。

「ああ。俺は南町奉行所臨時同心の風見だ。気になる話を聞いたのだが、少し教えてもらえるかな」
「はい。なんなりと……」

 善太郎が行方不明になった当初、銭目的のかどわかしかとここいらの目明しが様子を探ったが、結局強請りもたかりも現れなかった。おおよそ川にでも落ちたんじゃないかとなると、奉行所は動かない。生きてると信じる市邨屋が、銭を尽くして探しているのが現状だ。



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