偽夫婦お家騒動始末記

紫紺

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最終章

その4

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「結局私は己の顔に泥を塗られたわけだが……。ま、救いは私の配下の者がひどい怪我を負わずに済んだことかな。刀傷すらなかったよ」

 一通り話し終えた政永はそう付け加える。顔に泥というが、ちゃんとかん口令を引いて、落ち度はなかったことにしたのは隼だって知っている。今泉と片山は、大雨に乗じて逃げ出そうとしたのを、護衛が斬り捨てたってことで落着していた。

 ――――刀傷を負わせるなど、そんなへまをするわけはない。

 だが、隼は心の中でそう思うだけにして、何も発さなかった。

「さあ、それで、あいつを任せていいんだな?」

 最初に戻った。自ら『断ることは出来ない』と言いながら、何の言質を取るつもりなのか。

「私の責任を以って、お預かりします」

 再び腰を折り、頭を下げた。それを待っていたかのように、政永が安堵の息を漏らした。

「そうか……貴殿も知ってるように、紫音の生い立ちは貧農に生まれた者が辿るありきたりだが厳しいものだ。むしろ器量が良かったから、裏花街に売られたのだろう。なにが良いのかはわからないが」

 しかし、紫音は器量だけでなかった。器用で頭も良く、教えたことは何でもものにし、教えた以上のことをして見せた。それに気づいた陰間茶屋の店主が、常連の坂上祥永に話をした。最初はただの世間話だったのだ。だが、面白がった祥永は紫音に対面する。

 ――――なんだ。最初に見つけたのは弟のほうだったのか。しかも常連って……。

 あの毒も含んだ色男の顔を思い出す。次男坊ゆえの抜け目なさというのか。ただの善人ではないことは一目で知れる。

「弟が連れてきたのを知って、私も興味を抱いてね。ああ、まだ十三歳になったばかりだったかな。でも、あまりに綺麗だったので、初めはそちらばかりに気が行ったが」

 おくびもなくそんな感想を述べる。挙句、弟の手付きになる前に横取りしたなどと続けられ、抑えていたイライラが爆発しそうになる。それを封じ込めようと、隼は腹に力を入れた。

「まあ、そんな怖い顔をするな。私とあいつのことは聞いてるんだろう? でも終わった話だよ。言っておくが、私は切るつもりはなかったんだ。紫音にフラれたんだよ、私は。だから、今は貴殿にやきもちを妬いているのだからな」

 そんなことを言われても……隼はまた口をへの字に曲げて黙り込む。だが、少々いい気味だった。紫音のやつ、お殿様をフッたのか。あいつらしいって言えばそうだが、恐れ入るな。

 ――――政永様は俺を大事にしてくれたと思うよ。

 いつか、そう紫音が言っていたのを思い出す。『最低限の義理は果たしたさ』。唇を尖らせて肩をそびやかす紫音の姿が目に浮かんだ。
 お庭番として頭角を現すと、坂上の配下で紫音に一目置かないものはいなくなった。どのような危険な任務でも鮮やかにこなした。

「紫音は貴殿が思っている以上に役に立つ。前田藩なんてちっぽけな藩にはもったいないんだ。だが、あいつが行きたいっていうのを無視してここに留めても、何もいいことはないからな……だから、篠宮」

 そこで政永は一呼吸置いた。三坂屋が入れ替えた新しいお茶に口をつける間、隼は再び座り直し、身構えた。

「篠宮殿」

 カタリと音を立て湯呑が茶托に収まる。政永も居ずまいを正す。

「あいつを、紫音を役立ててやってくれ。あいつを思う存分生きさせてやってくれ。公私共々、よろしく頼む」
「さ、坂上様っ、お待ちくださいっ」

 言い終わると同時に、畳に手を付ける。頭を下げるつもりなのか。

「頭を下げるのはやめてください。私のほうこそ……感謝申し上げます」

 慌てて隼は手を着き、首を垂れた。

「紫音のこと、どうぞお任せください。篠宮隼、一命に代えましても坂上様のお気持ち違えません」
「私のでなくていいから。出来るだけ、紫音の好きなようにさせてやってくれ」

 ――――それは……少し約束出来ないのだが……。

 あいつの望みが何なのか、隼にはどこまでわかってるのかわからない。だが、自分を好きだと憚らない紫音に戸惑ってもいる。

 ――――まあでも、そこはいいか。『出来るだけ』と政永殿も言ってるし。

 おかしなところが呑気な隼だ。紫音を常陸に連れていくのは、もう既成事実として受け入れるしかないのだ。ここは抗っても仕方ないと腹をくくる。

「仰せのままに」

 と、再び頭を下げた。両方の口角を上げにんまりとする政永の顔を、隼は見ていなかった。



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