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最終章
その2
しおりを挟む『紫音は貴殿に任せようと思っているが、良いかな』
前田藩藩主に守親殿が任命されたと同時に、隼も晴れて前田藩剣術指南役として復任を認められた。帰郷目前に隼は再び坂上政永に呼び出され、今度は二人きりで顔を合わせることとなった。場所は三坂屋の応接間だ。
「それは……紫音の意志でしょうか」
「ああ、もちろんだよ。私だって奴を手放すのは惜しい。我がままなところもあるが、命じた仕事は完璧にこなすし、今回のようにそれ以上の働きもしてくれる。まあ、今回は度が過ぎたがな」
にこやかな表情でさくっと嫌味を言う。いや、それが嫌味のつもりで言ったのかわからないが、少なくとも隼には痛かった。
「言っておくが、断ることは出来ん。二人して、あんなことをしでかしてくれたんだからな」
穏やかな表情をほんのわずかだが真顔にして続ける。と言っても政永の表情を隼は見ているわけではない。政永は床の間の前、ふかふかの座布団に座り、一方の隼はそれより少し斜め前で座っている。
出されていた座布団をそっと脇によけ、直に正座し手を付いて、上半身を軽く折ったままだ。時々ちらりと上目遣いで覗いてみるが、気配だけでご機嫌を伺う状態だ。ただ、感触として、終始機嫌は良さそうだった。
「さて……なんのことでしょうか。仰ること、覚えがございません」
「ああ? まあそうだな。じゃあ教えてやろうか」
政永はふんっと鼻を鳴らすと、突然足を崩し胡坐をかいた。目の前に出されていた茶をまるで安酒を飲むようにぐいぐいとのどをならして飲んでいる。隼は思わず頭を上げ、ぽかんとしてその様子を眺めた。茶碗を置いた政永は口角を上げて隼を見る。
「ふふ、ようやく私の顔を見たな。これは非公式の謁見だ。そんなにかしこまる必要はない。それに、私はおまえの顔をもう少し見ておきたいからな。何といっても、紫音が惚れた奴だから」
「ご冗談が過ぎます」
あまりに親し気に振る舞う政永に、隼はうろたえる。確かに本日の政永は、品のある仕立てではあるが、所々に七宝繋ぎの柄を施した淡い緑の着流しを着ている。彼にとっては普段着なのか。この会見をざっくばらんなものにしたいという政永の意図はくみ取れた。
「ふん、まあいい。で、先ほどの話だがな……先日、私の配下でとんだ事件が起こったんだ。あの日は、秋だといいうのに、どこか蒸す、夏が戻ってきたような日だったな」
その日、政永が外の空気を肌で感じていたかどうかはわからないが、彼の言う通り、朝からじめじめとした空気が足元を這う嫌な朝だった。
空の太陽は二重に傘をかぶり、西からだんだんと黒い雲が侵食していくよう。何かの前触れと勘の良い者が感じてもおかしくない日だった。
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