偽夫婦お家騒動始末記

紫紺

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第7章

その5

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 長い夜が明けた。大目付坂上政永の命を受けて陣頭指揮を執っていたのは、政永の弟、坂上祥永しょうえいだった。屋敷を改め、ご禁制の植物と精製された薬を押収し、片山良斎始め前田藩士を引っ立てていった。

「一条殿、それに篠宮殿」

 すでに日が昇りはじめ、辺りは眩いほどの朝を迎えている。間近に見る祥永は、歳は隼たちと変わらないように思えたが、切れ長の眼差しが涼しい、ぞくりとするほどいい男だった。体躯も大柄で逞しい。隼はもしかしたら紫音の男はこいつじゃないかと勘繰るほどだった。

「お役目ご苦労さまでございます」

 だが、そんな無粋なふるまいはできない。要とともに頭を下げた。

「いや、おまえたちもご苦労であった。前田藩には兄が向かっておる。ほどなく家老の今泉の処分も決まるだろう。早く国に戻り、尚次殿を支えるがいい」
「はっ。ありがとうございますっ」

 元気に答えたのは要だ。すでに藩士ではない隼は、声には出さず、頷くにとどめた。

「そうだ、篠宮殿」
「はい……」


 それに気づいたのか、祥永が隼に顔を向けて声をかける。

「兄上が貴殿に会いたいとのことだ。追って人をやるので待っていてくれ」
「え……あの……どうして……」
「さあな。だが、断ることはできんぞ」

 含みのある笑顔で祥永は言う。だが目つきは鋭いままだ。見たままの色男ではなさそう、腹に一物も二物もありそうな雰囲気が漂っている。

「祥永様」

 要と隼の背後で影のように傅き、じっと黙っていた紫音が立ち上がった。

「おお、どうした、紫音。なんだいつもと違って静かじゃないか」

 今度は目つきまで緩む。その瞬間を隼は見逃さない。

「いえ……政永様のご使者が来られるまで、今まで通りでおりたく……」

 え? と首を傾げたのは祥永だけではなかった。そこにいた要や、そして隼も同様だった。ただ、傾げた理由はそれぞれ違った。隼はなぜか、このまま紫音とともに長屋に帰るつもりだった。

「ああ。いいんじゃないか。おまえのすることを兄上がとやかく言うとも思えない。ま、おまえも功労者だしな」

 気安く紫音の肩を二度三度叩くと、愉快そうに笑った。



「紫音、おまえお屋敷に帰るんじゃないのか」

 祥永率いる大目付配下の一団が去り、要も江戸詰めの武家屋敷に戻らなければと帰っていった。二人きりになった隼は紫音とともに長屋への帰り道を歩いている。黒装束は既に解き、いつもの小袖姿だ。暑いのか、額に汗が光ってる。

「え? なんでさ。まだ何も終わっちゃないよ」
「どういうことだ」

 聞き返しながら、隼にはわかっていた。そうだ。まだ何もわかっていない。自分が知りたいことが、何も。
 今泉が大目付の手に落ち、洗いざらいを白状し、例えば前藩主、直親を毒殺したことも、梅津藩と共謀してご禁制の袴鬼草を精製し売りさばいて財を成していたことも、尚次を薬漬けにしていることも全てを話したとしても、隼の知りたいことは誰も興味がない。問い質さなければ、今泉も話すことはないだろう。

「今泉の取り調べは、政永様か祥永様が直々にやると思う。だから殿に呼ばれたなら、機会はあるかも。ハヤさんが望めばだけど」

 いつの間にか、長屋に戻ってきていた。水場では相変わらず女たちの元気な笑い声が響いている。

「あ、お腹すいたね。すぐに支度するから待ってて」

 小走りに自分たちのねぐらへとかけていく紫音。朝日を背に受けるその後姿を、隼は目で追った。

 ――――私が望めば?……望むに決まっている。あの下劣な男が関わっているならば……。

 隼はぐっと拳を握る。大団円を迎えたようでも、隼の心には昨夜と同じ凝り固まった塊が沈んでいる。
 自ら浪人にまで身をやつし飛び込んだのは、前田藩を立て直し、民の生活を守るためだと思っていたが、それは建前に過ぎなかった。隼は、佳乃の死の真相こそを明らかにしたかったのだと思い知った。



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