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第6章
その1
しおりを挟むくたびれた畳の四角い部屋で、隼と要はできる限りの距離をとって向かい合う(だが悲しいかな、近い)。紫音はどこから茶托を持ってきたのか、二人にそっとお茶を出す。見慣れないものを見て、隼は紫音の顔をちらりと見たが、彼は知らん顔でまた土間へと引っ込んだ。
別にこの部屋にいてもいいのだが、まずは要と鼻突き合わせて話がしたい。その思いは紫音にも伝わったようだった。
この部屋に足を踏み入れてすぐ、要は位牌の存在に気が付いた。座るよりも前、隼に目で合図すると、その位牌に向かって一礼をし手を合わせた。
正直に言うと、まだわだかまりを持っていた隼だったが、あまり小さなことを言うのは佳乃のためにも止そうと考え、黙認したのだ。
「それで、どうして私の居場所を知ったのだ」
世間話をするつもりはない。隼は単刀直入に話を始めた。
「偶然だよ。おまえの居場所は前田藩の誰に聞いても知らなかった。橘殿は教えてくれないし。けれど、私の父と駒井殿が昔馴染みでね。それでおまえがあの筆学問所で働いていることを知ったのだよ」
予想もしないことに、隼はさすがに驚いた。当の駒井からは隼の話は微塵も聞いていない。彼にしてみれば、隼に話すことでもないと思ったのだろうが。
「おまえが元気そうで良かったよ……まさか、嫁をもらっているとは思いもよらなかったが」
ちらりと土間に視線を移す。紫音はどこにいるのか二人が座っている場所からは見えなかった。小縁に腰かけて、耳をそばだてているのだろうと隼は思う。
「私の話はいい。おまえが江戸詰めになったのは、左遷なのか?」
これまたなんの遠慮もなく隼は尋ねた。一瞬、要は口を歪め憮然としたが、ふっと小さく息を吐く。
「まったく……相も変わらず遠慮のない奴だな。ま、だがその通りだ。体よく追い出されたのさ」
要は淡々とあれからの日々を話し出した。最初のうちは、前田藩の要職を拝命し、新藩主、尚次殿の側近として仕えるはずだった。だが、それはひと月も続かなかったという。
「尚次様と会う時間が限られていて、しかも必ず今泉と片山良斎が同席していた。その時間もどんどん短くなって……」
時間だけじゃない。尚次の様子は以前の若々しさや知的な雰囲気がそぎ落とされ、まるで病人のように青白い肌、座っているのも辛そうに見える。こちらの話もろくに聞かず、席を立ってしまうことも多くなった。
「そんな時、必ず片山良斎が、『殿は厄介な病に罹られている。私が処方している薬で直に快方に向かうから心配はいらないが』と言って会わせようとしないんだ」
どうにかして二人きりで話をしたい。いや、見舞いだけでも。そう訴えたが、聞き入れられず、無理に突入しようとしたところで、江戸詰めを命じられた。
「今、尚次様にお会いできるのは、今泉と良斎、それに母君の昌子様だけだ」
母君の昌子様、つまり前藩主、直親の正妻だ。嫡男の守親よりも次男の尚次を直藩主として推し、家老の今泉との仲を噂されていた人物。隼にしてみれば、実の息子二人、長男を軟禁し、次男は薬漬けにするなどありえない毒母。胸糞が悪くなる女以外の何者でもない。
「ひどい話だが……それでおまえは、江戸でおとなしくしてるってわけか」
要の力だけではどうしようもないことを、隼は知りながらも冷たく突き放す。それに対して要も言い返せない。
「そう……だな。味方を集めようと努力もしたが、今現在、徒労に終わっている。藩を捨てたおまえに助けを乞おうとするぐらい切羽詰まっているよ」
「なんだと」
自分は嫌味を言いたい放題なのに、要のその一言にムッとする隼。隼とて藩を捨てたつもりも逃げたつもりもないのだ。
「言い過ぎたな。すまん……。おまえを脱藩にまで追い込んだのは、私たちの責任でもある」
「どうしてそう思うんだ。おまえ、私に助けを乞うと言ったな」
土間では紫音が、割って入ろうかどうしようか迷っていた。だが、どうやら二人の間に横たわる『わだかまり』の核心に迫りそうだ。再び小縁に腰を下ろした。
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