偽夫婦お家騒動始末記

紫紺

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第5章

その2

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「ハヤさん、待って、苦しいっ……」

 目の前に怒り狂った隼の顔があった。苦悩と怒りに歪み、いつものきりりとした双眸からは大きな黒目が落ちそうなほど見開いている。その痛いほどの視線を浴びながら、紫音は両手を首の後ろへ回し、自分から思い切り顔を近づ
けた。突然、視界が紫音の頭で塞がられる。

 ――――頭突きかっ!

と、身構えた隼、だが更に狼狽させる驚愕なことが。紫音の唇が自分のそれに吸い付いてきた。

「な……っ!? ぐ……や、やめろっ! やめないかっ」
「きゃっ……」

 驚いた隼は紫音を突き飛ばした。畳の上に投げ出される紫音。しかし、めげずに立ち上がると、再び隼に抱きついた。

「おまえ、性懲りもなくっ」

 畳の上で揉みあう二人。意外にも紫音の力が強いのに驚く。紫音は手早く帯を解き襟をはだけさせた。慌てる隼は金縛りにあったように動けず息を呑む。今まで裸を見たことがなかったが、細いながらしなやかな筋肉が思いがけず美しい。

「俺はハヤさんの味方だ。だって旦那の事、好きになったんだから」

 紫音は体ごと隼に投げ出す。隼はたまらず畳の上に転がった。

「うわっ、よせっ」

 揉みあううち、紫音は隼に跨る格好になった。

「ま、待て……」
「嫌だ……」

 櫛をさっと抜いて髪を下ろす。長い黒髪が小さな顔の横で揺れる。紫音はゆっくりと隼の体へ自らを落としていき、今度は静かに唇を重ね合わせた。

 ――――う……。

 痺れたように隼の腕が畳にカタンと落ちた。もう無駄な抵抗をする気が失せた。部屋には夕闇が迫っている。このまま闇に乗じてしまえば、誰にも見つからないだろうか。

 ――――おまえは……何者なんだ……?

 紫音が隼の着物に手をかける。するすると帯を解き、肌を露出させた。逞しい胸に紫音が身を沈める。慣れた仕草で隼の感情を翻弄した。

 ――――うぅっ!

 体が反応して血流が熱く滾っていく。隼はそれを止められない。

「くそっ!」

 腹立ちまぎれに乱暴に体を入れ替え、隼が上になった。畳の上で、紫音はじっと隼を見つめている。切れ長の双眸に黒目勝ちの瞳が潤んでいる。

 ――――私は……一体何をしているんだ。

 体と心と思考が全部バラバラになる感覚。その中で、一体何が勝利したのか。紫音の細い顎に手をかけ、今度は隼が唇を落とした。
 勝手に体が動いたなんて、馬鹿な言い訳が過ぎる。けれど自分でも理解できない。いや、もう考えたくなかった。ただ本能のまま、隼は紫音を抱きたかった。ずっと嘘を吐いていたこいつを、力づくで支配してやる。そんな気持ちもあった。おまえの色香に血迷ったわけじゃない。おまえの作戦に引っ掛かったわけじゃない。惚れたのはおまえの方だ。だから……。

「ハヤさん……好きだよ……」

 そんな打算をかき消していく、甘い吐息とともに吐かれた紫音の囁き。

 ――――こんなはずではなかった……いや、それとも、あの月夜から、こうなることは決まっていたのか?

 秋の日は落下するほどに速く、いよいよ部屋は闇に包まれる。土間の火も消えてしまった。二人はお互いの熱と息遣いだけを頼りに獣のように蠢いた。



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