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第2章
その3
しおりを挟む隼の義父、橘藤十郎は嫡男派だった。前田藩の重鎮である彼の力は大きいが、同じ家老位の今泉は次男派。こちらもまた、勢力を二分していた。
義理の関係でもある藤十郎から、隼は不本意ながら嫡男派の旗振り役を任命されてしまう。次男派のリーダーが要であったこともその理由だ。二人は、図らずも政治的にも対抗する間柄になってしまった。
「何事も天命というものがある。嫡男として生を受けた『守親』殿が頭領となるのは、自然の理。それを曲げてはならないと思わないか?」
お互いが旗振り役となったのだから、納得いくまで話し合いをしていこう。隼の呼びかけに応える形で、要は次男派を代表してその場に付いた。
「天命というのは、その人に与えられたものだ。尚次様こそ、藩主に相応しい。おまえもその人柄や才能を見て、そう思うだろう?」
「それほどに優れたお人であれば、兄を助けて前田藩を盛り上げていこうとは思わないのか?」
「尚次様はそう考えているよ。それを守親殿が拒否されているのだろうが」
「なんでそうなるんだ。そんな話を守親殿から聞いたことがない」
何度か膝を突き合わせたが、話は平行線をたどるばかり、隼のため息が増す日々となっていった。
話し合いが不調のまま、藩を挙げての松元直親藩主の葬儀が厳かに執り行われた。既に次期藩主決めが待ったなしの状況だ。喪が明けもしないのに、城中では二つの派が一触即発、それでも決め手なく悪戯に時が過ぎていく。
事態を憂えた隼は、遅ればせながら一人一人の重臣に説得交渉を始めた。いつまでも揉めていたら、水手藩やそれを通じて幕府に藩の管理能力がないと思われてしまう。恵まれた土地の前田藩、どこの藩もその領地を喉から手が出るほど欲しがっているのだ。
水面下の工作が功を奏したのか、やはり自然の理に沿うのが筋という嫡男派が優位になってきた。これも真面目で裏表のない隼の人柄、人徳がものを言ったのだろう。一条要も悪い男ではないが、反感を持ってる藩士も少なくなかった。イケメン過ぎるのも欠点となったのかもしれない。
ようやく正常の藩に戻ろうかと安堵していたある日、隼は妙な噂を耳にした。一条要と佳乃が出会い茶屋で会っていたという噂だ。出会い茶屋はその名の通り、恋仲の男女が密会する場所。そんなところに佳乃がいるわけがない。よりによってその相手が要などと噂にしても程度が低い。
要は佳乃と面識は当然ある。その時期は隼よりも早い。上級武士であった要の父親が、佳乃の父、橘藤十郎に頼んで見合いの席を設けていたのだ。
藤十郎も、家柄、男振りと申し分ない要に乗り気だったが、佳乃は断固として首を縦に振らなかった。心に隼一人がいたためだが、その後、実父の藤十郎に頼み込み、隼との強引な見合いにこじつけた。
結婚後、要は時折隼を介して佳乃と会っている。その全てが隼と一緒の時だ。二人は江戸での暮らしという共通項もあり、話が盛り上がり親しくなってはいたが、あくまでも佳乃は幼馴染の妻であり、要は夫の幼馴染だった。そのはずだ。
「そう言えば、今日可笑しな噂を耳にしたよ」
跡継ぎ問題で疲弊していた昨今。毎日暗い表情で食卓を囲むことを申し訳なく思っていた隼は、佳乃に笑い話を聞かせるつもりで切り出した。
「なんですか? 可笑しなお噂って」
ご飯をよそいながら、小首を傾げる佳乃。美しさだけでなく、いつまでも幼さが残る可愛らしさも彼女の持つ魅力だ。だが、最近少し元気がない。やはり自分が暗い顔を見せているせいだ。隼は笑わせるつもりでつづけた。
「おまえが要と一緒に居たっていうんだよ。しかもどこだと思う?」
悪戯心で勿体ぶってみる。佳乃の表情が強張ったように感じた。違和感を覚える隼だが、話しを止められなかった。
「出会い茶屋だよ。驚きだろ?」
自分の感じた微妙な空気を、隼は気のせいだと信じた。だからこそ、そのまま話し続けた。隼自身の表情も硬くなっていたかもしれない。覗き込むような目に、佳乃はわずかな時間、狼狽えたようだった。
「そんな……どなたがそんな馬鹿なことを……」
佳乃は噂を否定した。さもあろう。そんなことがあるはずないのだから。よしんば偶然二人が街中で会ったとしても、出会い茶屋あたりに佳乃が踏み入れるはずはない。こんな小さな城下町でも、当然その類の店はあるが、いかがわしい界隈にしかない。
――――なぜだ……様子がおかしい。
しかし、一笑に付すと思われた佳乃は、肩に力を入れるようにしてそう応じた。怒っているわけでもなく、大きな黒目がちな瞳を浮つかせて。隼はそのまま、話し続けることが出来なかった。不自然な間の後、佳乃は呟くように言った。
「人違いですから……」
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