9 / 64
第2章
その2
しおりを挟むまず、藩主松元直親が突然の死を迎えた。季節が秋へと変わり、領地に豊作の嬉しい声が聞こえる最も活気ある時期だった。病死とされているが、誰もがそれを事実と捉えるのが困難なほどあっけなかった。そして彼の死の直後、俄かに後継問題が勃発した。
長兄の松元守親が藩主になるのが当然のところだが、お世辞にも才ある男でなく、平々凡々、食通である以外秀でたものもない。それだけなら平穏な時代、優秀な人材で脇を固めればなんとでもなると「えいや」で後を取らせるところだ。
だが、そうはいかなかった。理由は二つある。一つはこの守親が懇意の家臣にそそのかされ、父親である直親を殺したというまことしやかな噂。そしてもう一つは次男の尚次が賢いだけでなく、人柄も見た目も良く非の打ち所がなかったことだ。歴史を紐解くまでもなく、次男を後継にと祭り上げる家臣が現れることになった。前田藩の城内は、完全に二派に分断されてしまった。
次男を祭り上げたのは、あの、今泉在良。家老職も筆頭ではないが、財力は藩主松元家に次ぐ資産家だ。しかも、昨今では、副業でも稼いでいるとの噂も聞く。なんでも頭の良い側近がいたとの話も聞くが、定かではない。ただ隼は取り巻きの中に、前田藩士でない男を見たことがある。若いが目つきの鋭い男だ。
「私の客分でね。江戸で有名な医師なんだ」
「さようでございましたか」
彼がその『頭の良い側近』かどうかはわからないが。隼が尋ねるでもなく、そう答えていたのを思い出した。
「おい、隼はどっちに付くんだ」
隼は石高は低いが藩主直属の『剣術指南』だ。先代の父親は既に亡く、篠宮家当主でもある。だから、彼の一票は重い。
「私は自然な形が正しいと思っている」
急死した藩主直親を、守親が殺したとは隼は考えていなかった。守親にはそういう残虐性はないし、後ろ盾の家老もそのような人物ではない。何より、守親は端から政に強い関心を持っていなかった。食に関することには興味津々で、そう言った意味で民の暮らしに無知だったわけではないが。
美食家だったことで無駄に肥満体なのが、すらりとした弟に比べて劣ると見られた大きな理由の一つだった。生まれた頃より後継者として育てられていたのだから、当然藩主になると覚悟していただろうが、それを父親を殺してまで得ようとするなど考えられない。
「ていうことは、長男の守親様か……残念だな。俺とは違うようだ」
「要、このようなことで城内を隔てるのはおかしいぞ。もっと話し合わなければ」
「やってるだろ」
一条要は次男の尚次を推していた。要の父親は番方(藩の軍部を取り仕切る組織)の中堅。その組織には次男の尚次が属しているため、これはさもありなんの選択ではあった。そして間近で仕えていても心酔できる人物である尚次の人望も窺われた。
――――だが、それが問題でもある……。
守親と彼を推す嫡男派が、前藩主直親を殺したと噂されるのは、直親が愚鈍な長男よりも才媛な次男の尚次を次期藩主に添えるのではとの憶測があったからだ。
それは奥方が証言している。直親は実は、ずっと尚次を推していたのだと。そう、彼女も尚次を推す次男派だ。この母親の存在が、何よりことを複雑にしているのだ。隼はため息をつく。
「どうされましたか? このところ、ため息ばかりつかれて……」
心配そうに顔を覗き込む佳乃。家に帰って食卓についても、ふと脳裏に浮かんでしまう。これほどの美味な料理があり、それを囲む相手は美しい人であると言うのに。黒々と光る瞳に自分の残念な表情が映った。
「いや、何でもない。この煮物は美味いな」
「あら……それはありがとうございます」
佳乃が微笑むと、まるで大輪の花が開いたように明るくなる。家の中では城内の有象無象のことは忘れよう。話し下手の隼は佳乃がする世間話を聞く一方だ。だが、それがざわついた心を平常に保ってもくれる。彼に促された妻は、請われるまま話を繋いでくれた。
奥手の隼が彼女の心を射止めたのは、やはり御前試合だった。父が実質表舞台から引退し、御前試合に初登場した五年前。相手は同じく剣術指南役をしていた別の流派の使い手だった。
破れたらそれこそ篠宮家の今後を左右することになる、絶対負けられない試合だ。相手も最も勢いのある若い師範を出してきた。藩主のみならず、そこに集った観衆は熱戦を期待し、おかしな興奮状態になっていた。
だが、隼は平常心でいられた。自分を相手に出来るのは幼馴染の一条要だけだと知っていたからだ。その他に敵はいない。試合はわずか数秒で雌雄を決した。隼の圧勝だった。
父に付き従い、その場にいたまだ少女の佳乃はその時の美しい(佳乃目線)剣士に恋をした。その二年後、隼は一条要との死闘を演じるのだが、その時にはもう、佳乃は隼しか見ていなく、肩で息しながら勝利を収めた隼に胸を熱くさせていた。端から要の出番はなかった。
実力者である父、橘藤十郎に頼んで、佳乃は隼と出会いの場を設けてもらう。つまりは佳乃の方が隼に夢中だった。当然隼も彼女の存在は知っていた。家老の娘であり前田藩イチの美女、上位武士の嫡男たちがこぞって嫁にと打診していたのだ。もちろん要も。だが、隼はとても自分とは釣り合わないと諦めていた。
「ずっと、お会いしたいと思っておりました」
初めて二人が会ったのは、彼女の実家、橘家の茶室だった。橘藤十郎から稽古を付けて欲しいと言われ、隼は出掛けてきたのだ。まさかそこで、佳乃にお茶を振る舞われるとは想像もしていなかった。
橘家の息子たちと剣を合わせたあと、奥の間に連れて行かれた隼は、そこで薄桃色の地に白い桜の花びらが舞う振袖で着飾った佳乃に会うことになった。横には橘藤十郎だけでなく、彼女の母君までいた。何がなんだかわからないうちに茶室に座らされた隼。お茶の味も上等な生菓子も全く味がわからなかった。
隼の父親は橘藤十郎から予め聞いてはいたが、息子が話し下手で愛想もないことを重々承知していたので、この話も真剣には考えていなかった。それがその気取らない性分に藤十郎も惚れこんでしまったのだから世の中はわからない。
元々、剣の腕は比類なき存在。武士として尊敬していたのが、それを全く鼻にかけることもなく、指導も真摯な態度で好感しかない。その男ぶりが一転し、茶室で借りてきた猫のごとく小さくなっている隼に、藤十郎は自分の三女の目の高さに感心した。ゆえに、二人の縁談はあっという間に進んでいった。
輿入れは二人が出会ってから数ヶ月後の初夏、森の若葉が美しい頃。まだ隼の父親が存命中であったことは彼らにとって幸いだっただろう。
1
お気に入りに追加
25
あなたにおすすめの小説
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
居候同心
紫紺
歴史・時代
臨時廻り同心風見壮真は実家の離れで訳あって居候中。
本日も頭の上がらない、母屋の主、筆頭与力である父親から呼び出された。
実は腕も立ち有能な同心である壮真は、通常の臨時とは違い、重要な案件を上からの密命で動く任務に就いている。
この日もまた、父親からもたらされた案件に、情報屋兼相棒の翔一郎と解決に乗り出した。
※完結しました。
三国志 群像譚 ~瞳の奥の天地~ 家族愛の三国志大河
墨笑
歴史・時代
『家族愛と人の心』『個性と社会性』をテーマにした三国志の大河小説です。
三国志を知らない方も楽しんでいただけるよう意識して書きました。
全体の文量はかなり多いのですが、半分以上は様々な人物を中心にした短編・中編の集まりです。
本編がちょっと長いので、お試しで読まれる方は後ろの方の短編・中編から読んでいただいても良いと思います。
おすすめは『小覇王の暗殺者(ep.216)』『呂布の娘の嫁入り噺(ep.239)』『段煨(ep.285)』あたりです。
本編では蜀において諸葛亮孔明に次ぐ官職を務めた許靖という人物を取り上げています。
戦乱に翻弄され、中国各地を放浪する波乱万丈の人生を送りました。
歴史ものとはいえ軽めに書いていますので、歴史が苦手、三国志を知らないという方でもぜひお気軽にお読みください。
※人名が分かりづらくなるのを避けるため、アザナは一切使わないことにしました。ご了承ください。
※切りのいい時には完結設定になっていますが、三国志小説の執筆は私のライフワークです。生きている限り話を追加し続けていくつもりですので、ブックマークしておいていただけると幸いです。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
田楽屋のぶの店先日記〜殿ちびちゃん参るの巻〜
皐月なおみ
歴史・時代
わけあり夫婦のところに、わけあり子どもがやってきた!?
冨岡八幡宮の門前町で田楽屋を営む「のぶ」と亭主「安居晃之進」は、奇妙な駆け落ちをして一緒になったわけあり夫婦である。
あれから三年、子ができないこと以外は順調だ。
でもある日、晃之進が見知らぬ幼子「朔太郎」を、連れて帰ってきたからさあ、大変!
『これおかみ、わしに気安くさわるでない』
なんだか殿っぽい喋り方のこの子は何者?
もしかして、晃之進の…?
心穏やかではいられないながらも、一生懸命面倒をみるのぶに朔太郎も心を開くようになる。
『うふふ。わし、かかさまの抱っこだいすきじゃ』
そのうちにのぶは彼の尋常じゃない能力に気がついて…?
近所から『殿ちびちゃん』と呼ばれるようになった朔太郎とともに、田楽屋の店先で次々に起こる事件を解決する。
亭主との関係
子どもたちを振り回す理不尽な出来事に対する怒り
友人への複雑な思い
たくさんの出来事を乗り越えた先に、のぶが辿り着いた答えは…?
※田楽屋を営む主人公が、わけありで預かることになった朔太郎と、次々と起こる事件を解決する物語です!
※歴史・時代小説コンテストエントリー作品です。もしよろしければ応援よろしくお願いします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる