偽夫婦お家騒動始末記

紫紺

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第2章

その1

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 隼が紫音と江戸で出会う一年前にさかのぼる。

 常陸の国の大大名と言えば、まごうことなく水手藩だろう。徳川御三家の一つであり、かの有名な副将軍、水手光圀公の領地であったことは誰もが知るところだ。
 篠宮隼の故郷、前田藩は、その水手藩の北側にこっそりと存在しているような小さな藩だった。だが、この地は土も水も良く農地に適し、加えて海に面しているため漁業も盛ん。領民は飢えを知ることがなかった。
 隼が宮仕えをしていたころの藩主は松元家当主、直親なおちかという人物で、平均的ではあるが、派手を好まない質実剛健型の藩主だった。

「篠宮殿、昨日の模範試合、見事だったな。さすがだ」
「いえ、まだまだでございます。接戦でございました」

 親し気に声を掛けてきたのは、前田藩家老の今泉在良ありよし。代々家老職を担う前田藩の重鎮だ。取り巻き連中を引き連れ、殿への謁見に行く途上か。

「まあ、相手が一条殿だったからなあ。あいつもいい腕だ。それでも最後は篠宮殿が勝利を収めたのだから、指南役の面目躍如ということだな」

 唇を真一文字に結んだ隼の肩を二度叩くと、今泉一行は去っていった。
 彼が口にした模範試合とは、年に一度、藩主の前で行われる御前試合の話だ。篠宮家は代々、前田藩に剣術指南役として仕える家柄。隼で四代目だった。

 模範試合の相手は、その年の最も手練れと言われる人物を相手にする。隼は三年連続で同じ相手と戦っていた。
 一条かなめ。奇しくも隼と幼馴染。彼の父親が指南役を務めていた頃から、同じ道場で切磋琢磨していた仲だ。背が高くがっしりとした男前なのに、田舎の野暮ったさが付いて回る隼と比べて、要は少々神経質なところはあったが、気の利いたセリフが言える垢ぬけた男だった。
 武家の娘や町娘にモテたのは、圧倒的に要の方。それでも、二人が思いを寄せていた女性は隼を選んだ。

「全くおまえは、俺の欲しいものを全部持って行きやがるな」

 遠慮のない物言いをするのも二人の間柄あってのこと。隼は苦笑いを浮かべる。

「何言ってる。剣術指南なんだから、剣の勝負だけは私に勝たせろよ。出世も石高もおまえの方が数段上だ」
「でもなあ。俺は未だにひとり者だからな。おまえに先を越されたのは悔しいよ」
「要ならどんな美女でも嫁いでくるだろう……」
「なんだよ。その台詞、おまえが言うかよ。ホントになんで佳乃さんはおまえを選んだかな」
「す……すまん」
「あほ。惨めになるわ」

 今度は要が口角の片側を上げて苦笑する。隼にしてみても、どうして佳乃が自分を選んだのかわからなかった。
 前田藩家老の一人、橘藤十郎たちばなとうじゅうろうの三女佳乃は、領内きっての美女と誉れ高い女性。幼い頃は定府のため江戸市中の別邸で暮らしていたこともあって、立ち居振る舞いや所作が洗練されていた。だからこそ、同じように垢ぬけている要を選ぶと、隼ばかりか周囲も思い込んでいた。

 小さいながらも富める土地に恵まれた前田藩。領民はもとより藩士たちですら、平穏で困難の少ない日々が続くと信じていたのだが……。
 平和な前田藩が思いも寄らぬお家騒動に見舞われたのは、隼が佳乃を篠宮家に迎えた二年後だった。



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