偽夫婦お家騒動始末記

紫紺

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第1章

その5

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「お疲れ様」

 午後からの作業を終え、隼は家路につく。時に寄り道をすることはあるが、ほとんど判で押したような日々だ。長屋に帰れば飯が待ってるようになったことは特筆すべきことだが、彼の毎日の行動に大きな変化はなかった。

「今日、駒井さんに捕まってね。おまえのこと、話したよ」
「そうなんだ。なんて言ったの?」
「ああ、ええと。水茶屋の女だって言っておいた。同郷の出身だと口裏を合わせるように頼んだ」

 向かい合って、さほど豪華でもないが品数に苦労の跡が見える夕餉を共に取る。紫音は漬物をカリカリと音をさせながら、相槌を打つ。

「へえ。ま、茶屋は茶屋でも陰間茶屋だけどね」
「そうは言えんだろ」
「うん、そうだね。ありがとう」

 空になった茶碗を持って立とうすると、紫音がさっと手を出す。少しの間。相変わらず白くて美しいその手に隼は茶碗を乗せた。

「悪いな」
「なぜ? 嫁だよ、俺は」
「嫁は『俺』とは言わない」
「ははっ。全くだ」

 こんもりとよそわれた茶碗を受け取り、また箸を動かす。

「ところで、変わったことはないか? 変な奴がウロウロしてるとか」

 隼の問いかけに、味噌汁を飲み終えてから紫音は切れ長の双眸を見開き答えた。

「いや、なんにも。もしかしたら、もう諦めてくれたかも」
「そうか……じゃあ、もうここに居なくても大丈夫なんじゃないか?」
「え……それはまだ早いよ……」

 さっきまでの明るい表情が一変し、俯き加減になる。声も小さくなった。

「俺がいたら……邪魔? そんなに追い出したい?」
「邪魔とかじゃないが……いつまでもこんなままごとしてるわけにいかないだろ」

 突然不機嫌そうなふりをする紫音に、隼はムッとする。押しかけてきたのは間違いないのだ。紫音がいて便利になったことは認めるが、長居させるつもりはもとよりない。

「でも、俺がいたら便利だろ? それとも……誰かいい人いるの?」
「馬鹿な。そんなもんはいない。わかってて聞くな。第一居たら、おまえをここに連れては来ない」

 気まずいような、緊張した空気が流れる。紫音がここに来てから、こんな雰囲気は初めてだ。居心地の悪さに、隼は無言で飯を搔っ込んだ。

「ごめん。でも、それなら……もう少しここに居させて下さい。俺、初めてなんだ」
「初めて?」
「うん。何も恐れることなく日々を過ごして、夜は眠り、朝は起きて、ハヤさんを見送ったら姐さんたちとおしゃべりして……こんな当たり前の日々は……」

 陰間茶屋に居た頃には、決して味わえることはなかった平穏な日々。身も心も削りながら紫音は生きてきた。曰く苦界と呼ばれる花街。その様は想像するしかないが、それでも紫音の言葉は隼の心を突いた。
 なにより紫音は『諦めてくれたかも』と言うが、隼自身が実は懐疑的だ。美貌のみならず教養や話術のどれを取っても一流だ。裏花街(陰間茶屋街のこと)での地位も高かったはず。これだけの逸材をそう簡単に諦めるだろうか。

 ――――どうせ長くはない平和だけれど……急いでそれを終わらせることはないのか。どのみち、お互いの人生を歩むしかないんだ。

「追い出すつもりはないから。この話は終わりだ」

 そう言って、再び空になった茶碗を膳に置いた。紫音は上目遣いで隼に投げていた視線を柔らかく変化させ、ほっと安堵の息を吐いた。そのままこくりと頷くと、黙ってまた箸を動かした。



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