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1 真冬の札幌なんか行きたくねぇ
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困ったことに、雇い主である南条弥二郎は時宗自身の叔父だった。
こんな真冬に北海道に行く仕事なんぞ絶対に断りたい。なのに叔父は頑として時宗にこの仕事をやらせるつもりだ。理由は? そんなの簡単。時宗以外のスタッフは、黒岩敬樹という17歳のバイトだけだからだ。
弥二郎が自分で厳寒の地へ行くのは御免こうむる。とすれば残りは時宗しかいない。
「な? とりあえず居場所はわかってんだ。行って、説得して、連れて帰る。簡単だろ?」
「簡単なら自分でやってくれよ」
「は~? この年寄りにそういう仕事やらせる? 見ろよ天気予報。今日の札幌は最低気温マイナス10度だってよ。信じらんねぇ」
「こういう時だけ年寄りぶるな。40は年寄りとは言わない。あんたはまだまだ男盛り。寒さなんて大したことない」
「大したことないって思うならお前が行け」
堂々巡りである。金のない探偵事務所、北海道まで行かなくても、すでにここには寒風が吹き抜けている。ボロいテーブルのあっちとこっちで案件は行ったり来たり。ただひとり、敬樹だけが目を輝かせて成り行きを見守っていた。
むっつりと2人が黙り込むのを待ち構え、敬樹は元気よく手を挙げた。
「はい! ぼくが一番若いです。ぼくが行ってもいいですか?」
「「お前はダメだ」」
「なんで~」
2人同時に否定されて口を尖らせる敬樹に、弥二郎が呆れた顔をした。
「未成年者送り込むわけいかねぇだろが。お前は留守番組だ。っていうか学校どうしたんだよ」
「やだなぁぼく通信制だって何回言えばいいんですか。だから行かせてくださいって。味噌ラーメン食べたい」
「ダメだ」
がっかりする敬樹を眺め、時宗は溜息をついた。
「……しょうがない。行ってくるか……」
時宗が折れた途端、満面の笑みで弥二郎が資料を広げ始める。
「土産は柳月の三方六な! あれ前にもらったら、クッソうまかった」
「買ってくるわけねぇだろ、ふざけんな」
「え~」
弥二郎に加えて敬樹にまでがっかりした顔をされ、時宗はむすっと資料を覗きこんだ。
「仕事で行くんだ。土産なんか買って荷物増やすのは困る」
「ぶ~~」
「ぶ~じゃない。次に食い物の話したら俺はこの案件から降りるからな」
冷たいな~と呟きながら、弥二郎は資料をガサガサやりだした。一枚の書類の向きを変え、時宗の前に置く。
身上書に写真はついていなかった。素っ気ない経歴からは、探す相手の性格は伺い知れない。
「今野海斗?」
とん、と指先で経歴を指さしながら、弥二郎が説明を始める。
「23歳だ。お前と同じ年だな。札幌生まれ。今回は彼の祖父が依頼人だ。昔、娘の結婚に反対して喧嘩になり縁を切られたんだが、もうすぐ死ぬ段になって、一目孫に会いたいと」
「じいさんの娘……今野の母親は?」
「数年前、えぇと……ここに書いてある。5年前に病死してる。父親は……その後死んだらしいとしか書いてないな。和解のチャンスがないままだったが、じいさん自身の病状が悪化して、ついに呼び寄せる気になったわけだ。遺産のこともあるしな。ただ、顧問弁護士が住所を調べて何度か封書を送ったものの、一度も返事が来ていない。宛先不明で封書が戻ってくるわけじゃないから、本人がそこに住んでる可能性は残ってる。で、誰か行って本人がほんとにそこにいるかを確認して、連れてきてくれないかと」
「なんで話をうちの事務所に持ってきたんだ?」
弥二郎は視線を上げた。椅子の背にもたれかかり、敬樹の持ってきた緑茶に手を伸ばす。
「じいさんには他にも子供がいて、大っぴらに孫を探すとそいつらに妨害されかねないって話だ。おれはじいさんとちょっとした昔馴染みなんで、今回依頼された」
時宗は腕を組んで難しい顔をした。
「『妨害』するほどの財産ってことか」
「そういうことだな。じいさんはいくつか会社を所有している。経営自体は長男に任せてはいるが……」
「身代をつぶしそうな息子なら、孫に遺産をかっさらわれるのは死活問題だろうな」
「そういうこと」
よくある話だ。時宗の身にも覚えがある。クソ兄貴とクソ親父の顔を最後に見たのは、大学に入る直前だった。縁を切った後に拾ってくれたのは弥二郎で、以来、時宗は彼の仕事を手伝ったり他のアルバイトをしたりしながら大学を卒業し、そのままここで働いている。
弥二郎は何も言わず学費を援助してくれた。卒業できたのは弥二郎のおかげといっていい。
しょうがないんだよな。
大学を卒業するにあたって、普通の会社に就職しようかとも思った。でも結局時宗は、ろくに金にもならない酔狂な仕事を手伝っている。なんだかんだ楽しみながら。
そういや、弥二郎はどうして探偵事務所なんかやっているんだろう。
いつか聞こうと思いながら、ずっと謎のままだ。ま、いずれわかるだろうさ。
資料をクリアファイルに放り込み、弥二郎はぽいと時宗に渡した。あとは適当に読んでおけということらしい。クリアファイルを持ちあげながら弥二郎に言う。
「経費はちゃんと出してくれよ」
「あいあい~」
手を振る弥二郎の後ろで、敬樹がデスクに座り込んだ。
「明日の飛行機、午前6時半頃に羽田発直行便の始発あるんですけど、窓側? 通路側?」
「……頼むから、もっと遅い時間にしてくれ」
「は~い、午前9時頃の便を予約しちゃいますね~」
てきぱきマウスを動かす敬樹を恨みがましく横目で見ながら、時宗は考える。マイナス10度って何着ていけばいいんだ? 足元も覚束ない未知の場所に行くわけだから、お粗末な装備じゃ多分凍死する。
クリアファイルを持って時宗がのっそり立ち上がると、弥二郎は楽しそうに笑った。
「やる気まんまんだな」
「ちげぇよ。服と靴を買いに行くんだ。そっちも経費で落としてくれるんだろうな」
「ほ~い、領収書ヨロシク」
溜息をつきながら、時宗は事務所を後にした。
こんな真冬に北海道に行く仕事なんぞ絶対に断りたい。なのに叔父は頑として時宗にこの仕事をやらせるつもりだ。理由は? そんなの簡単。時宗以外のスタッフは、黒岩敬樹という17歳のバイトだけだからだ。
弥二郎が自分で厳寒の地へ行くのは御免こうむる。とすれば残りは時宗しかいない。
「な? とりあえず居場所はわかってんだ。行って、説得して、連れて帰る。簡単だろ?」
「簡単なら自分でやってくれよ」
「は~? この年寄りにそういう仕事やらせる? 見ろよ天気予報。今日の札幌は最低気温マイナス10度だってよ。信じらんねぇ」
「こういう時だけ年寄りぶるな。40は年寄りとは言わない。あんたはまだまだ男盛り。寒さなんて大したことない」
「大したことないって思うならお前が行け」
堂々巡りである。金のない探偵事務所、北海道まで行かなくても、すでにここには寒風が吹き抜けている。ボロいテーブルのあっちとこっちで案件は行ったり来たり。ただひとり、敬樹だけが目を輝かせて成り行きを見守っていた。
むっつりと2人が黙り込むのを待ち構え、敬樹は元気よく手を挙げた。
「はい! ぼくが一番若いです。ぼくが行ってもいいですか?」
「「お前はダメだ」」
「なんで~」
2人同時に否定されて口を尖らせる敬樹に、弥二郎が呆れた顔をした。
「未成年者送り込むわけいかねぇだろが。お前は留守番組だ。っていうか学校どうしたんだよ」
「やだなぁぼく通信制だって何回言えばいいんですか。だから行かせてくださいって。味噌ラーメン食べたい」
「ダメだ」
がっかりする敬樹を眺め、時宗は溜息をついた。
「……しょうがない。行ってくるか……」
時宗が折れた途端、満面の笑みで弥二郎が資料を広げ始める。
「土産は柳月の三方六な! あれ前にもらったら、クッソうまかった」
「買ってくるわけねぇだろ、ふざけんな」
「え~」
弥二郎に加えて敬樹にまでがっかりした顔をされ、時宗はむすっと資料を覗きこんだ。
「仕事で行くんだ。土産なんか買って荷物増やすのは困る」
「ぶ~~」
「ぶ~じゃない。次に食い物の話したら俺はこの案件から降りるからな」
冷たいな~と呟きながら、弥二郎は資料をガサガサやりだした。一枚の書類の向きを変え、時宗の前に置く。
身上書に写真はついていなかった。素っ気ない経歴からは、探す相手の性格は伺い知れない。
「今野海斗?」
とん、と指先で経歴を指さしながら、弥二郎が説明を始める。
「23歳だ。お前と同じ年だな。札幌生まれ。今回は彼の祖父が依頼人だ。昔、娘の結婚に反対して喧嘩になり縁を切られたんだが、もうすぐ死ぬ段になって、一目孫に会いたいと」
「じいさんの娘……今野の母親は?」
「数年前、えぇと……ここに書いてある。5年前に病死してる。父親は……その後死んだらしいとしか書いてないな。和解のチャンスがないままだったが、じいさん自身の病状が悪化して、ついに呼び寄せる気になったわけだ。遺産のこともあるしな。ただ、顧問弁護士が住所を調べて何度か封書を送ったものの、一度も返事が来ていない。宛先不明で封書が戻ってくるわけじゃないから、本人がそこに住んでる可能性は残ってる。で、誰か行って本人がほんとにそこにいるかを確認して、連れてきてくれないかと」
「なんで話をうちの事務所に持ってきたんだ?」
弥二郎は視線を上げた。椅子の背にもたれかかり、敬樹の持ってきた緑茶に手を伸ばす。
「じいさんには他にも子供がいて、大っぴらに孫を探すとそいつらに妨害されかねないって話だ。おれはじいさんとちょっとした昔馴染みなんで、今回依頼された」
時宗は腕を組んで難しい顔をした。
「『妨害』するほどの財産ってことか」
「そういうことだな。じいさんはいくつか会社を所有している。経営自体は長男に任せてはいるが……」
「身代をつぶしそうな息子なら、孫に遺産をかっさらわれるのは死活問題だろうな」
「そういうこと」
よくある話だ。時宗の身にも覚えがある。クソ兄貴とクソ親父の顔を最後に見たのは、大学に入る直前だった。縁を切った後に拾ってくれたのは弥二郎で、以来、時宗は彼の仕事を手伝ったり他のアルバイトをしたりしながら大学を卒業し、そのままここで働いている。
弥二郎は何も言わず学費を援助してくれた。卒業できたのは弥二郎のおかげといっていい。
しょうがないんだよな。
大学を卒業するにあたって、普通の会社に就職しようかとも思った。でも結局時宗は、ろくに金にもならない酔狂な仕事を手伝っている。なんだかんだ楽しみながら。
そういや、弥二郎はどうして探偵事務所なんかやっているんだろう。
いつか聞こうと思いながら、ずっと謎のままだ。ま、いずれわかるだろうさ。
資料をクリアファイルに放り込み、弥二郎はぽいと時宗に渡した。あとは適当に読んでおけということらしい。クリアファイルを持ちあげながら弥二郎に言う。
「経費はちゃんと出してくれよ」
「あいあい~」
手を振る弥二郎の後ろで、敬樹がデスクに座り込んだ。
「明日の飛行機、午前6時半頃に羽田発直行便の始発あるんですけど、窓側? 通路側?」
「……頼むから、もっと遅い時間にしてくれ」
「は~い、午前9時頃の便を予約しちゃいますね~」
てきぱきマウスを動かす敬樹を恨みがましく横目で見ながら、時宗は考える。マイナス10度って何着ていけばいいんだ? 足元も覚束ない未知の場所に行くわけだから、お粗末な装備じゃ多分凍死する。
クリアファイルを持って時宗がのっそり立ち上がると、弥二郎は楽しそうに笑った。
「やる気まんまんだな」
「ちげぇよ。服と靴を買いに行くんだ。そっちも経費で落としてくれるんだろうな」
「ほ~い、領収書ヨロシク」
溜息をつきながら、時宗は事務所を後にした。
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