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139 【2年前】(85)
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「母さん……」
呟いた薫に、今度は向こうが目を見開いた。
1分は、そうして見合っていただろうか。ようやく、彼女は一歩下がり、薫を部屋に招き入れた。
「ごめんなさいね。あの……思っていたのと違ったものだから」
彼女のその口調に我に返る。
母親ではなかった。よく似てはいるが、話し方は全く違う。そう、外見と顔の造作はそっくりだが、仕草や表情の作り方は別人だ。
それでも、その女性は在りし日の母を彷彿とさせた。現実感のないまま、薫は女性の言葉をぼんやりと繰り返した。
「思っていたのと違った?」
「ええ。その、てっきり……女性だと思っていたものだから」
「女?」
「だってあなた……薫さん、でしょ? 美知留さんの、その……お子さんっていうことは」
突然、奇妙な感覚がこみ上げてきた。母の名前に懐かしさと違和感とが渦を巻き、世界が揺れる。激しい目眩に立っていられず、薫は横の壁に手をついた。吐き気がこみあげてくる。生唾を飲みこみながら口を押さえて俯くと、女性が顔をのぞきこんでくる。
「大丈夫? とりあえず上がって……お茶でも淹れるから」
自分が何をしに来たのかもわからないまま、薫は促されるままに靴を脱いだ。奥の部屋は六畳ほどのフローリングで、真ん中に低い小さなテーブルが置かれている。座布団を示され、薫はへたりこむように座った。
この女性は誰だ。一体、母とどんな関係がある。
彼女はテーブルの上に置いてあったポットから急須にお湯を注ぎ、用意していたらしき湯呑に緑茶を注いだ。
ほっとする香りに、薫は口を押さえていた手を離した。
「あの……あなたは、母の……双子、とか?」
「いいえ。あなたのお母さんとは血縁関係も、面識もないわ。びっくりしたでしょう?」
「ええ……少し。どういうことですか?」
前置きも何もなく、薫は質問していた。女性が悲しそうに微笑む。
「それは、私も聞きたかったこと。どうしてこんなことになったのか。あなたなら答を知っていると、田嶋さんに言われた」
田嶋を呼び出そうかと一瞬考える。何も知らないままの者同士を、いきなりこんな状況に放り込むなんて。
だが、そうしてはいけない気がした。彼女は何かを知っている。自分も何かを知っている。互いに答え合わせをしろと田嶋は言っているのだ。
緑茶を飲み、大きく息を吐くと、薫はやっと自分を取り戻した。女性の方を見る。生きることを諦めたような、ぼんやりした表情だった。髪は長く、後ろで一本にまとめている。柔らかい後れ毛が額にかかっていて、鼻筋も、唇も、額も、眉から瞼、目の開き方まで、すべてが母と同じだ。背格好も、座った時の視線の高さも、何もかもが薫の記憶を刺激する。
そう、母は美しかった。
決定的に違うのは、その瞳の持つ光だった。母の目は凛々しかった。強い意志と、それを実現させようとする努力を厭わない強さと、薫を慈しむ歓びとを、母の目はいつでも宿していた。
目の前の女性は、ただひたすらに哀しい目をしている。何かを成し遂げようとする意志を奪われ、自分がどこへ向かって歩いているのかもわからない不安と、薫への申し訳なさとの入り混じった目だ。そこに生来のたおやかさが加わり、母とは全く違う優しさと弱さが彼女の顔を彩っていた。
「俺も、あなたなら答を知っているという意味合いのことを言われた。ここに俺の人生があると」
「そう。なら、一緒に見つけないといけないのかしらねぇ」
女性はそう言って、自分も緑茶を飲み、後ろのベッドに寄りかかった。
この人は何をして暮らしているのだろうと、薫はふと思った。働いているのだろうか。だとしたら、どんな仕事だろう。医者という雰囲気ではない。知的ではあるが、活動的なようには、あまり見えなかった。
腹を探りあうような沈黙の間、女性は薫の顔を眺めていた。やがて気が済んだように湯呑に視線を落とし、小さく呟く。
「本当に、お母さんに似ている……あいつには、やっぱり似てないじゃない……よかった」
「あいつ」
直観的に、それは自分が知っている男のことだと薫は思った。
「似てないって」
「あいつはね、すべて計画していたのよ」
ひとりごとのように女性は続けた。感情がそぎ落とされた低い呟きには、拭いきれない憎しみの残滓が漂っている。
薫は待った。自分の人生の内に埋め込まれていた悪意を、彼女が暴き始めるまで。
そしてそれは、薫を確かに変えたのだ。
呟いた薫に、今度は向こうが目を見開いた。
1分は、そうして見合っていただろうか。ようやく、彼女は一歩下がり、薫を部屋に招き入れた。
「ごめんなさいね。あの……思っていたのと違ったものだから」
彼女のその口調に我に返る。
母親ではなかった。よく似てはいるが、話し方は全く違う。そう、外見と顔の造作はそっくりだが、仕草や表情の作り方は別人だ。
それでも、その女性は在りし日の母を彷彿とさせた。現実感のないまま、薫は女性の言葉をぼんやりと繰り返した。
「思っていたのと違った?」
「ええ。その、てっきり……女性だと思っていたものだから」
「女?」
「だってあなた……薫さん、でしょ? 美知留さんの、その……お子さんっていうことは」
突然、奇妙な感覚がこみ上げてきた。母の名前に懐かしさと違和感とが渦を巻き、世界が揺れる。激しい目眩に立っていられず、薫は横の壁に手をついた。吐き気がこみあげてくる。生唾を飲みこみながら口を押さえて俯くと、女性が顔をのぞきこんでくる。
「大丈夫? とりあえず上がって……お茶でも淹れるから」
自分が何をしに来たのかもわからないまま、薫は促されるままに靴を脱いだ。奥の部屋は六畳ほどのフローリングで、真ん中に低い小さなテーブルが置かれている。座布団を示され、薫はへたりこむように座った。
この女性は誰だ。一体、母とどんな関係がある。
彼女はテーブルの上に置いてあったポットから急須にお湯を注ぎ、用意していたらしき湯呑に緑茶を注いだ。
ほっとする香りに、薫は口を押さえていた手を離した。
「あの……あなたは、母の……双子、とか?」
「いいえ。あなたのお母さんとは血縁関係も、面識もないわ。びっくりしたでしょう?」
「ええ……少し。どういうことですか?」
前置きも何もなく、薫は質問していた。女性が悲しそうに微笑む。
「それは、私も聞きたかったこと。どうしてこんなことになったのか。あなたなら答を知っていると、田嶋さんに言われた」
田嶋を呼び出そうかと一瞬考える。何も知らないままの者同士を、いきなりこんな状況に放り込むなんて。
だが、そうしてはいけない気がした。彼女は何かを知っている。自分も何かを知っている。互いに答え合わせをしろと田嶋は言っているのだ。
緑茶を飲み、大きく息を吐くと、薫はやっと自分を取り戻した。女性の方を見る。生きることを諦めたような、ぼんやりした表情だった。髪は長く、後ろで一本にまとめている。柔らかい後れ毛が額にかかっていて、鼻筋も、唇も、額も、眉から瞼、目の開き方まで、すべてが母と同じだ。背格好も、座った時の視線の高さも、何もかもが薫の記憶を刺激する。
そう、母は美しかった。
決定的に違うのは、その瞳の持つ光だった。母の目は凛々しかった。強い意志と、それを実現させようとする努力を厭わない強さと、薫を慈しむ歓びとを、母の目はいつでも宿していた。
目の前の女性は、ただひたすらに哀しい目をしている。何かを成し遂げようとする意志を奪われ、自分がどこへ向かって歩いているのかもわからない不安と、薫への申し訳なさとの入り混じった目だ。そこに生来のたおやかさが加わり、母とは全く違う優しさと弱さが彼女の顔を彩っていた。
「俺も、あなたなら答を知っているという意味合いのことを言われた。ここに俺の人生があると」
「そう。なら、一緒に見つけないといけないのかしらねぇ」
女性はそう言って、自分も緑茶を飲み、後ろのベッドに寄りかかった。
この人は何をして暮らしているのだろうと、薫はふと思った。働いているのだろうか。だとしたら、どんな仕事だろう。医者という雰囲気ではない。知的ではあるが、活動的なようには、あまり見えなかった。
腹を探りあうような沈黙の間、女性は薫の顔を眺めていた。やがて気が済んだように湯呑に視線を落とし、小さく呟く。
「本当に、お母さんに似ている……あいつには、やっぱり似てないじゃない……よかった」
「あいつ」
直観的に、それは自分が知っている男のことだと薫は思った。
「似てないって」
「あいつはね、すべて計画していたのよ」
ひとりごとのように女性は続けた。感情がそぎ落とされた低い呟きには、拭いきれない憎しみの残滓が漂っている。
薫は待った。自分の人生の内に埋め込まれていた悪意を、彼女が暴き始めるまで。
そしてそれは、薫を確かに変えたのだ。
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